守田です。(20130602 22:00)

表題のタイトルの企画が6月15日に京都市伏見区の龍谷大学深草キャンパスにて行われます。福島の今を知り、痛みを分かち合い、放射線防護の徹底化をめざし、原発のない世の中をめざすためのものです。
主催は、日本科学者会議京都支部、ふしみ「原発0」パレードの会、龍谷大学教職員組合の方々。僕も基調講演とパネルディスカッションの司会を務めさせていただきます。
福島を知るために、また福島から今の日本、私たち自身のことを知るために、可能な方はぜひご参加ください。

まず基調講演で、僕は「福島は今、原発は今、日本は今」というお話をさせていただきます。(チラシの順番と少し入れ違えます)
言わんとするのは、一つには福島を中心とした私たちの国の被曝状況が非常に深刻であることです。このことを福島駅周辺で撮影した写真などをまじえてお話します。
二つには福島原発の今の状況があいからず非常に危険であることです。また原発サイトに溜まった膨大な汚染水が海洋投棄されようとしているなど、放射能汚染の拡大が続いていることなど、最近の状態についてもお話します。
三つには、こうした状況の中で安倍政権が原発再稼働と輸出に踏み込み始めたこと、同時にその中で、汚染地域へ人々を帰還させようとの動きを強めていることを批判的に捉え返します。

とくに強調したいのは、こうした安倍政権の動きは、広範な人々に被曝を強制し続けるものであり、構造的暴力そのものだということです。
僕はここには、旧日本軍性奴隷問題やその背景としてあった軍隊内の虐待など、正されることのなかった歴史的な暴力構造が流れ込んできていると思います。
これに対して、数日前に国連人権理事会が、日本政府に対する人権を守れとの勧告を行いました。政府は即刻これを受け入れるべきですが、同時に私たちはこの声が私たちにも向けられていることを自覚しなくてはいけない。
今こそ私たちは、この国の底流にある暗い暴力構造にストップをかけ、確立された人権と少しでもきれいな環境を、未来世代に渡していくべく奮闘すべきなのです。このことを基調として発信させていただきます。

続いて、パネリストの方たちがお話されます。実は僕は、今回のパネリストの方たちとそれぞれに思い出深い出会いを重ねてきました。それぞれに福島原発事故の中を生きる人々のある種の象徴的な立場におられます。
まだ当日の順番が決まっていませんが、みなさんに一人ずつ、ご紹介したいと思います。

今回は福島県の浜通り、南相馬市にゆかりの方がおふたり、参加してくださいます。南相馬市から滋賀県大津市に避難されている青田恵子さんと、南相馬市から滋賀県長浜市に避難され、今は南相馬にもどられている橘満さんです。
青田さんは詩を綴られる方。ネット上でずいぶん広がった『拝啓関西電力様』をはじめ、郷土を放射能の害によって追われた痛みを切々と綴られてきました。
僕が初めて青田さんとお会いしたのは、今年、滋賀県高島市マキノ町で行われた「びわこ123キャンプ」という子どもたちの保養キャンプでのこと。そこで相馬弁で詩の朗読をお聞きしました。深く胸を打たれました。

また橘さんは、南相馬市の甲冑師をしておられる方。2011年5月に僕が初めて東北を訪れた際に、宮城県角田市のピースファームでお会いしました。以来、さまざまな形で交流を続けてきましたが、昨年、南相馬に単身帰られました。
一番の理由は、伝統行事である「相馬野馬追」に甲冑師が欠かせないからです。同時に橘さんは、南相馬の今を見るためにも帰るのだとおっしゃられました。
そんなおふたりには相馬の人々の思いを語っていただきたいと思っています。なお、おふたりをはじめ、相馬の人々を思って綴った記事を以下にご紹介します。青田さんの詩も載せてありますのでぜひご覧下さい。

明日に向けて(652)ふくしま・相馬の思いを胸に
http://toshikyoto.com/press/720

あとの二人は福島市ゆかりの方です。加藤裕子さんは、2011年春に大阪府高槻市を経て京都市に避難されてきました。加藤さんは5月に京都精華大学を借りて行われた「ゴーゴーわくわくキャンプ」に参加されたのですが、僕にとって初めてお会いした避難ママさんのお一人でした。
その後に、中村和雄さんの京都市長選の応援演説の場などでご一緒し、『福島の子どもたちからの手紙』という書物に、一緒に避難してきたお子さんが手紙を載せたことで関わっていることをお聞きして記事にしたことがあります。
この本に寄せられた子どもたちの言葉はどれも胸に染み入るもので、涙なくして読めないもの。加藤さんはそんな子どもたちの思いを一身に受け止めながら、原発と放射能の恐ろしさを懸命に訴え続けれこられました。ぜひ以下の記事の子どもたちの言葉に触れてください。

明日に向けて(408)『福島の子どもたちからの手紙(朝日新聞出版)』を読む
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2d47e9e918af21db64b3f96cf60d0fb4

もう一人は福島大学の荒木田さんです。2011年秋に、「放射能除染・回復プロジェクト」の福島での試験除染のときにご一緒して以来、交流を続けてきました。
荒木田さんはいつも独特のトーンで、福島の今、日本の今を切り取ってくださいます。とくにその矛盾的なあり方、同時にそこに住んでいる己自身も含めた存在の矛盾を、鮮やかに描き出してくれます。
以下の記事に荒木田さんの文を載せたのですが、短いのでここでも紹介したいと思います。

明日に向けて(304)除染するほど、「住めない」と思う・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(3)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3ebae533afd6d0f6a86b9fd668af6153

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除染するほど、「住めない」と思う
荒木田岳(あらきだたける)

5月から福島大の同僚や京都精華大などの先生たち、市民の方々と一緒に 福島県内の除染に取り組んでいます。最初は、通学路や子どものいる家から作業を始めました。

政府は「除染をすれば住めるようになる」と宣伝していますが、それは実際に除染活動をしたことのない人の、机上の空論です。現場で作業している実感からすれば、除染にかかわるたびに、「こんなところに人が 住んでいていいのか」と思います。
原発から約60キロ離れた福島市内ですら、毎時150マイクロシーベルト なんて数字が出るところがあります。信じられますか?今日もその道を子どもたちが通学しているんです。
30マイクロくらいの場所はすぐ見つかります。先日除染した市内の民家 では、毎時2マイクロシーベルトを超えていました。つまり、家の中にいるだけで年20ミリシーベルト近くを外部被曝する。これに内部被曝も加味したらどうなるのか。しかもそんな家でも、政府は特定避難推奨地点に指定していません。
そしてどんなに頑張って除染しても、放射線量はなかなか下がりません。下がっても雨が降ったら元の木阿弥(もくあみ)です。一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。

今、私の妻子は県外に避難していますが、電話するたび子どもたちが「いつ福島に帰れるの」と聞きます。故郷ですからね。でも私には、今の福島市での子育てはとても考えられません。
そんな私が除染にかかわっているのは、「今しかできない作業」があり、それによって50年後、100年後に違いが出てくると思うからです。多くの人が去った後の福島や、原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。
結局、福島の実情は、突き詰めると、元気の出ない、先の見えない話になってしまいます。でもそれが現実です。人々は絶望の中で、今この瞬間も被曝し続けながら暮らしています。こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。そうすれば、まだこの歴史を変えられるかもしれない。今ならまだ・・・・・。

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以上、4人の方にそれぞれの立ち位置から福島について語ってもらい、そののちに僕が司会をさせていただいてディスカッションを行います。これは筋書きなしです。
こうした時間をできるだけ多くのみなさんと共有して、福島のそして東北・関東で被曝されたすべての方々の痛みを共有し、分かち合い、この苦しみを越えてい決意を一緒に紡ぎ出していきたいと思います。
どうかみなさま、少々遠方からでもぜひこの企画にご参加ください。お待ちしています!

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<聞け『ふくしま』の声〜今、そして未来(あした)のために>
日時  :6月15日 土曜日 
     13時開場 13時30分〜16時(予定)
場所  :龍谷大学深草キャンパス 22号館101教室
     (京都市伏見区深草塚本町67)
講演内容:守田敏也さんの基調講演
     福島に携わる方、避難されてる方のお話
     パネリストによるディスカッション

お話&パネリスト
◆青田恵子(あおたけいこ)さん
原発事故により、南相馬市から、宮城県柴田町を経て、滋賀県大津市に避難。事故に対する痛み・哀しみを詩に託して発信中。
◆荒木田岳(あらきだたける)さん
2000年から福島大学行政政策学類准教授
地方制度史、地方行政専攻。原発事故後、学生たちの被曝軽減のために奔走。福島の複雑な今を、独自の視点から発信してきた。
◆加藤裕子(かとうゆうこ)さん
福島市から大阪府高槻市を経て、京都市伏見区に避難。「命を守りたい!原発いらない!」とTシャツプロジェクトを立上げ発信を続けてきた。現在、「子ども・被災者生活支援法を考える会/京都」共同代表。
◆橘満(たちばなみつる)さん
南相馬市在住
40年ほど甲冑の製作修理に従事。原発事故で滋賀県長浜市に一年半避難し、昨年10月に福島に戻る。

入場  :無料
主催  :「聞け『ふくしま』の声〜今、そして未来(あした)のために」実行委員会
連絡先 :ふしみ「原発0」パレードの会事務局(京都南法律事務所内 0756042133 ミゾエ)

詳細は以下より
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-141.html
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-144.html