守田です(20240723 13:30)

● 三田茂医師講演を動画をご覧下さい

本年5月12日に、岡山の三田茂医師を京都にお招きし、記事のタイトルに掲げた内容で講演して頂きました。京都「被曝二世・三世の会」の2024年次総会記念講演の場にてです。
すでに記録動画もご紹介していますが、大変好評で、すでに1000回近く再生されています。ぜひご覧下さい。まずは動画をご紹介します。

● 講演内容を全文文字起こししました お読み下さい

この講演、とても大事な内容なことが詰まっていますが、2時間ギッシリ話しているので、一度、聴いただけでは理解できないところが多いかと思います。
またお時間が足りなくて「観たいけれど時間がない」と思われる方もけっこういるかと。
それで全文を文字起こしして、ご紹介することにしました。

ただし全体で4万5千字あるので、いっぺんに掲示するには長すぎます。何回かに分けて紹介します。
動画と一緒にご覧になり、難しい所は繰り返し読むなどして、理解を深められて下さい。
初回は講演の冒頭3分50秒から18分48秒までをお送りします。なお写真はすべて講演動画からです。三田医師提供です。


◯ 三田医院の三田茂です!(3分50秒より)

三田医院の三田茂です。今日は2時間みっちりお話しします。何回も予行練演習してきましたがちょっと力が入りすぎてしまうかも知れません。本当は5~6時間欲しいところです。
2016年にこの会で1回目のお話をした事があります。8年位前になるのかな。その時からずいぶん進歩したと思っています。
まずはちょっと自己紹介を。東京で診療を行ってきた三田医院の写真をお見せします。うちの父が、1963年に東京の小平市というところで開業して、僕はその跡を継いで、二代目という事でやっていました。

◯フクシマ原発事故で東京が激しく汚染され、たくさんの健康被害が起きた

東京都の地図をお見せします。

小平とは真ん中辺りです。東に東京23区、西に奥多摩、武蔵野丘陵の続きですよね。南側に多摩川が走っていて、そこに向かってちょっと標高が低くなっていて、さらに東の方に葛飾があります。江戸時代から葛飾の東を東葛と言い、今はディズニーランドなんかがある葛飾の南を葛南といいます。こういう言い方が昔からある地域です。(地図の赤丸は守田が書き込み)

火山の事を研究している先生が作った、放射能の流れを示した地図をお見せします。

福島原発が爆発して、放射能の雲が火山灰と同じように流れたのです。それほど上空ではないところをです。山に沿って降りてくる。それから、海に出たのがまた陸地に入ってくる。それで東京の東の方にも落ちました。そこでもものすごい汚染を起こしました。福島市よりも東京の東の方が、汚染が高いと思います。
ですから僕は、福島の事を心配してますけれども、僕はもともと東京都民で、代々東京ですから、東京の事が本当に心配で、こういう調査を始めたわけです。

日本共産党都議団が作った汚染マップをお見せします。

原発が爆発した後のGW明けに、東京を10キロメッシュで区切って空間線量を明らかにされました。その時は小平市のあたりはあまり汚染されていなかったのです。東側の葛飾、江戸川、東葛、葛南、この辺がものすごく汚染された。
年間で計算し直して1ミリシーベルトという線がひかれています。だいたい山手線の西側のところですけれども、実際に後で出しますが、この辺の子たちの白血球異常がすごく強かったと僕は思います。奥多摩もちょっと汚染があった。

「東日本土壌ベクレル測定プロジェクト」の作った図を示します。

国が土壌の汚染度を測らないので、民間の人たちが、自分たちのお金で土を集めて、検査センターに出して、「こういうふうに汚染しているよ」と示しました。土を調べるというのは国際的な方法です。
図を見ると福島、北関東もだけど、東京のあたりが濃いでしょう?だから、ここがとても危ないと思うのです。土を調べてみると西日本の所々でも海に面した辺りで高い所があります。だけどまあ危ないのは東京かなと僕は思います。 

富士フィルムから送られてきたものを示します。「お客様への重要なご連絡」と言うのですけれど、3月22日に富士フィルムから僕たち医療者に向けてきた連絡です。

「フィルムに黒い点々が写っています」という事でですね。「3月20日過ぎのフィルムに黒い点々が写りますけれども、東京とか東北、関東の県など、たくさんのところから連絡がありました」と。
「検討した結果、原発の爆発によって出た放射能によって汚染されたフィルムだ」、こういう連絡が来ました。僕は自分で診療していてこれには気が付かなかった。ちょっとうっかりしていたのかもしれない。でも友達の放射線技師は、「確かに病院のフィルムに点々が写りました」って言ってました。
フィルムって表に置いていたのではないです。光に弱いから病院の一番奥のところ、人が出入りしない所、ちゃんとした所だと鉛のケースに入れて置いてあるのですよね。それでも汚染したんです。東京でも。

だから空中にそれだけのものが漂っていて、病院の一番奥まで来ているってことは、まあ僕たちは沢山吸っている。相当被曝している。だから僕は『新ヒバクシャ』という名前で、今までの被爆(被曝)、いろんな被爆(被曝)がありますよね。それらとはちょっと分けて、311福島原発由来のものを『新ヒバクシャ』と規定しています。
医師会で理事なども担っていたので、そこで講演も行いました。小平市医師会小児科医会にてです。

医師会のその時の会長に、「放射能から子どもを守るということで講演をしろ」と言われてしました。
これが2012年12月に行った講演のスライドです。小児科の先生を中心にいろんな先生が集まって、自由に研究したり発言したり、そういう場です。その時に使ったスライドをお見せします。
三田医院で2011年の夏から、「僕はこういう事を気にしています。先生方はどうですか」というそういうスライドなのです。

「呼吸器疾患」がとてもおかしくなった。例えば、蓄膿症、副鼻腔炎とか、それから喘息が本当にコントロールできなくなる。前はうまくコントロールできていた喘息が、ちゃんとコントロールできない。100%治せない。だから、僕はもう汚染していると思っているから患者さんに「ちょっと東京は汚染がひどいから、どこか他に行ってくれないか」と言って、北海道に行く、沖縄に行く、仕事でヨーロッパに出かける。そうすると翌日に咳が止まる。治ったかと思って帰ってきて、羽田で降りてモノレールに乗ると咳が出始める。山手線に乗ると咳が止まらない。そういうことが何例もあったのです。
「ああ、やっぱり駄目なんだな」というのが僕の避難・移住の決意の原点みたいなのかもしれない。

「皮膚炎が悪化」した。「アレルギーが悪化」した。「若年者の上半身のリンパ節腫脹」と言うのは、首とか顎のところとか、わきの下とかひじとか、腕のこういう近く、そういうところのリンパ腺が、すごく腫れた人がいます。そういう時期がありました。
この下のもみんなそうなんだけれど、なぜか分からないのだけれど、そういう時期があるのです。あれ、おかしいなと思っていると、3~4ヶ月そういう事が続く。いろんな人に。それで半年すると無くなってしまっている。で、もう起きないかと思っていると違う事が起きる、というのが特徴だったと僕は思う。

「高齢者の無症候性肉眼的血尿」。これは痛くもかゆくもないのに、おしっこをすると真っ赤な血尿が出るという事です。浅草に行ったら血尿が出た、何ヶ月かたって浅草に行ったらもう1回血尿が出た、違う人がスカイツリーに行ったら血尿が出た、小平はそれほど被曝してなかったのですけれど、さっき言った東葛エリアの子どもたちの訴えでは血尿が多かった。これはあとでみなさんたちの検査のところでも出てきます。鼻血、それからあざ、こういうのも多かったです。「こんなことあるわけない」と当時の首相は、ものすごく「風評被害だ」って言って攻撃しましたけど沢山出ました。鼻血が。

「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」って分かりますか?例えば手足を虫に刺されたり、怪我をしたりする。そうすると正常の免疫の人にはそんなことは起きないのだけれども、免疫が落ちていたりすると、皮膚の下でブクブクに、ばい菌が増えてしまうのです。こんな言葉は知らないのが普通だと思うけれど、2012年、13年は、東京の患者さんたちは「蜂窩織炎」という言葉を知っていました。毎日、沢山起きたからです。
「成人のヘルパンギーナ」。これは小児の病気なのだけれど、大人でそうとしか言いようのない人が沢山いた。こんなの僕は、医者になってもう40年近くなりますけど、その時以外、見たことがないです。こんなことは。 

それから「子どもが帯状発疹」に。帯状疱疹はだいたい年寄りの病気だから、子どもがなるもんではないのだけれども、何例も見ました。皮膚科の先生も「おかしい、おかしい」と言ってましたね。
「高齢者が血圧が上がっちゃう、不整脈、心房細動」になる時期がある。これも数ヶ月の間です。そのあとはスーっと収まっていった。だからなんか不思議ですね、被曝というのは。

「原因のよくわからない下痢」、それが続くと出血する。「おもらししたり、大人なのにおねしょしてしまったり」。こういう例もすごく多かったです。  
「自己免疫疾患様の訴え」。自己免疫疾患というのは、膠原病みたいなものだけど、膠原病と言うのは非常に定義が厳しいです。「こうなって、こうなって、この条件の幾つを満たせばこういう病気」と言う、定義があるのですけれども、定義にぴったり合わないけれども、その仲間としてしか考えようがない。類似のものとして治療するとうまくいってしまう。「そういう訴えがとても多かったけど、どうですか?」という話をして、そういう会を持ったということです。(13分52秒まで)

◯東京首都圏の小児の好中球が減少した 

先ほどもお話があったのだけど、「フクシマ原発事故後1年 東京首都圏の小児の好中球減少」のグラフです。

好中球というのは白血球の中の好中球っていう分画だけれども、このグラフは好中球の数です。0歳で4000ぐらい。0歳、6歳、15歳、ですからそれぞれ乳幼児、学童ということです。
大体4000ぐらいが、正常の中央値。だから4000ぐらいの人が一番多くって、上下均等に分布と言うのが普通なのだけれども、東京の首都圏の子たちは下の方がずっと多い。4000より上の子なんかあんまりいない。下がすごく多い。1500以下なんて言うのは「好中球減少症」といって、ちょっと免疫的には危ない状態です。「注意しないといけない」と言われている状態の人なのです。

赤ちゃんでね、好中球が0の人もいた。お母さんから「病院に行っているのだけれど、何にもしてもらえない」という連絡が入ったので「逃げなさい」って言って、九州に逃げて4000ぐらいに上がりました、パっと。そういう事があった、子どもたちには明らかに。
これが2011年夏から2012年の春。10歳未満の子どもたちのデータですが、小児の「異型リンパ球」と言うのがあります。

白血球の一分画で普通は血液を採っても出てこない。特定な病気の時に出て来ることはありますけれども、異型リンパ球は、まあ首都圏の子たちを連れてお父さん・お母さんが心配だからとうちに来たわけですよね。それで、そんなちっちゃい子の健康診断の時に採血なんか普通はしないのですけれど、頑張ってやってみたらば、さっき言った東葛エリアはすごく多かった。この異型リンパ球が二人来たら1人は出ていた。武蔵野は出ない。多摩川とか、川崎の土地の低いところでは出た。これがもうくっきり分かれているのですね。

ここに「医学会スライド」と書いてあるのだけれども、いろんな学会にこれを報告しようとしたけど、どこも受け付けてくれない、放射能の話は。「偉い」と言われている先生のところで「僕はこういう事を確認している」と言うと、「そんな報告は今までに無い」と言って受け付けてくれないので、僕は岡山市に避難・移住して、三田医院を移転しましたけど、岡山市医師会に入っています。岡山市医師会医学会というのがあって、そこにこういうことをね、賛同者は全然いないですけれど、年にひとつ、なにかテーマを決めて発表していこうと思ってずっと発表しています。そのスライドです。

インフルエンザについてのグラフをお見せします。

インフルエンザというのは、当たり前のように思うかもしれないけれど、冬になると年末年始頃に流行り始めて、春になると収まる。
小平市で「インフルエンザ情報」と言うのを立ち上げたのです。小平市の全例報告です。そうすると大体例年は、年末に子どもたちの間でインフルエンザが流行る。学校でうつす。学級閉鎖になる。2~3週間するとお家に帰ってお父さんお母さんにうつる。で、だんだん治ってくる。B型になって収まってくる。子どもが大体大人の倍ぐらいかかるというのが、インフルエンザという病気の決まりのパターンなのですよね。

それが2011年の次のシーズンには、インフルエンザは子ども達で全然はやってない。学級閉鎖も出ていないのに、お父さん達が会社で、部署の半分が休んでいました。インフルエンザが移って。それで、2~3週間くらいして、子ども達にちらほらうつり始めて、ちょっと学級閉鎖をして、結局、大人が子どもの倍ぐらいだった。

僕はこれね、本当にびっくりするぐらいに大変な話だと思う。もう「頭の先から足が生えている」ぐらい大変な話だと思います。こういう決まりきったパターンをとる病気が、そのパターンを取らなくなっている。こういう事で大変な事が起きているのではないかと思いました。

それで、新しい岡山に移転した三田医院の外観をお見せしますけれども、これは岡山に移住して、一番最近の2023年11月に、岡山市医師会医学会で行った講演のスライドの一枚目の写真です。

「2011年フクシマ原発事故による放射能汚染、東京から避難移住した一開業医が」、一開業医というのは僕の事ですけれど、「東日本、首都圏、さらに岡山の健康被害を考える 第6報」。2023年で6回目。2018年から毎年、これを発表して、今日はそのスライドなどを使いながらみなさんにお話ししていきます。(18分48秒まで) 続く

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