守田です(20211124 23:30)

● なぜ日本人は広島・長崎原爆を体験し、被爆者運動、反核運動も盛んなのに、原発を54基も受け入れてしまったか

森川さんと守田のもりもり対談3回目をお届けします。
今回は「なぜ日本人は広島・長崎原爆を体験し、被爆者運動、反核運動も盛んなのに、原発を54基も受け入れてしまったのだろうか」というタイトルで話し合いました。
まずは動画をご覧ください。

前半で森川さんが歴史的経緯を解き明かし、後半で守田が反核運動が盛んだったのに何が足りなかったのかを考察しました。

● Atoms for Peace と 原水爆反対運動

森川さんが話されたのは、原発が受け入れられていった歴史的経緯です。
というのは第二次世界大戦後、アメリカは核実験を繰り返し、1952年に水爆開発にも成功しましたが、旧ソ連もまた核開発を急ぎ1949年に原爆開発に成功、両国は深刻な核戦争の危機へと進んでいきました。
これに対し1953年末にアメリカは、アイゼンハワー大統領が「Atoms for Peace」演説を行い、原子力の平和利用を始めることを表明しました。核=原子力を殺人兵器としてではなく「平和のために利用する」というキャンペーンを始めたのでした。

これが大きく促進される契機となったのが、1954年3月のビキニ環礁核実験と原水爆反対運動の高揚でした。この水爆実験ではアメリカは、当初の見積もり以上の放射性物質を放出させ、もの凄い規模の汚染をもたらしてしまいました。
周辺の島々の人々がもの深刻な被曝をし、近海にいた第五福竜丸を始め、多くの漁船などが被爆しましたが、このことが焼津になんとか戻ってきた第五福竜丸乗組員によって伝えられて日本中に知れ渡り、水爆反対の大きな運動が起きました。
起ちあがったのは各地の女性たちでした。どの政党、どの「進歩的」組織に率いられたものでもありませんでした。思い思いの署名が立ちあがり、一年間で成人人口の半分以上がサインするほど発展。世界にも大きな影響を与えました。

アメリカは大変なプレッシャーにさらされました。原水爆反対へと発展し、世界に広がっていったこの運動をおさえられず、やがて1963年に旧ソ連、イギリスと大気中核実験を禁止する条約に調印するにいたります。
しかし一方で「原子力の平和利用」キャンペーンを強め、「原爆と原発は違う」と強調。とくに日本で「原子力平和利用博覧会」などを何度も開いて原子力発電を広げ、核兵器製造も含んだ核産業体系の延命の道を切り開きました。
原水爆反対の大規模な運動を起こした日本民衆も、世界の民衆も、本当は原爆と原発が密接に関連した一つの体系であることを見抜けず、「平和利用」の名のもとに騙されてしまったのでした。

● 命を守る力を強化しよう!

動画の後半では僕が、当時の民衆に何が足りなかったのかを分析しました。再度、かつての原水爆反対運動の捉え返しに戻りましたが、その際僕は、東京の「第五福竜丸展示館」への森川さんとの訪問の思い出から話し始めました。
僕はあそこに行った時に、久しぶりに亡き母の声を聴いたような気がしたのです。「雨にあたってはダメ」と僕を軒下に入れようとした母の声をです。
母は1952年6月に僕の兄を生み、1959年8月に僕を生みました。その間に母は僕の兄か姉を中絶しています。妊娠時にもともと病弱だった母の体調があまりにきびしくなり、妊娠継続をあきらめたと聞いています。

そんな時にビキニ環礁の核実験は起こりました。核実験はその後も継続され、魚が汚染されたために食卓から消え、放射性物質の混じった雨が何度も日本に降り注ぎました。
若い母はその中で必死に小さき兄を守り、僕を生み、幼い子どもらを被曝させないために必死だったと思うのですが、これは当時、多くの女性たちが辿った道の一つでした。
多くの女性たちがそんな風に子どもたちを守ってくれ、新たな命も生み出してくれた。僕の世代の方は、誰もがお母さんに「雨にあたってはいけない」と言われているはずです。

その女性たちの願いが大きな力となって、大気中核実験が止まったわけですが、その力は政治の世界に浸透しきれなかった。あまりに社会が男性優位だったからです。だからこそ、民衆が騙されて原発を受け入れてしまったのではなかったか?
そもそも男性の方が「エネルギー問題」に弱い。本当は原爆も原発も、エネルギー問題ではなく、命の問題なのに、パワーの問題にすり替えられて騙されてしまった。このことを問題にするのは、今、まさに同じことが問われているからです。
福島原発事故に際しても、命を守るために多くの女性たちが子どもを抱えて危険地帯から飛び出した。その力が原発を止めてきた。命を守る力を政治的な力にまで発展させてきた。いま最も強くしなければならないのはこのパワーです。

原発問題を「エネルギー問題」にくくろうとする騙しのテクニックを突き破り、命を守る運動を拡げましょう。
そのために僕はいま、多くのみなさんに第五福竜丸に触れていただき、みなさんのお母さん、おばあさん、そして当時の女性たちに出会っていただきたいと思うのです。動画をご覧になり一緒に考えていただけたら幸いです。

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