守田です(20240323 23:30)
『福島第一原発事故の「真実」』(講談社文庫)の読み解きの続きです。
3月10日にJR奈良駅前でお話したスピーチの中でもこの点に触れています。動画の8分30秒~16分50秒ぐらいです。
前回は、3号機は注水前にメルトダウンしていてため、注水では冷却できず、メルトスルーが起こり格納容器破損の可能性があったこと。しかしサプレッションチャンバーの水が偶然にも逆流し、冷却ができて破損には至らなかったことをみてきました。
今回は1号機で危機が進行し、格納容器損壊にいたるなど、最も恐ろしい事態が深まっていたことを見ていきます。
● 1号機は冷却できないままにメルトダウンに向かった
3月11日に福島第一原発が地震と津波に襲われた時、実は最初に危機に陥り、そのまま危機を深刻に深めながら、吉田所長以下、現場の方たちがそれを把握できないまま、破局に向かっていたのが1号機でした。
どういうことかというと、まず1号機は東日本大震災発生の午後2時41分からわずか数時間でメルトダウンしてしまいました。後に行われた解析によれば、午後5時55分に原子炉水位が核燃料の先端まで減り、午後7時29分にメルトダウンが始まっています。
この際、吉田所長らを翻弄させたのがIsolation Condenser=非常用復水器、通称イソコンでした。原子炉内の高温の蒸気を建屋4階の冷却水タンクに導き、そこを配管が通って蒸気を冷やし、水に戻して戻す仕組み。しかも稼働すれば電気を必要としませんでした。
なぜか1号機だけにあって地震直後午後2時52分に自動起動、しかし原子炉の圧力や温度が想定以上に下がりだしました。マニュアルでは1時間あたり55度以上のペースで落ちる場合は停止となっていたため、運転員は弁を閉め、開ける動作を繰り返して調整。
しかし3時37分に電源を失い、稼働と停止を示すランプが消え、イソコンが動いているかどうか分からなくなってしまいます。いやより正確には現場の運転員は停止中と判断していたものの、それが中央制御室の当直長にも免震棟の吉田所長も伝わっていませんでした。
困難を深めたのがイソコンが1971年の1号機の稼働以降、一度も動かされたことがなく、稼働状態を知るものが現場に1人もいなかったことでした。それでその後に電源が回復し再起動されたものの、正常状態がどうか確信が持てず、すぐに停められてしまいます。
ところがこれらの過程が吉田所長にまったく伝わらず、吉田所長はイソコンが動いていると思い続けていました。実際にはほとんど稼働せず、炉内はまったく冷却されないまま水-ジルコニウム反応などによりメルトダウンが進行。
これらの過程で、現場は全電源喪失の際に原災法第10条通報を行い、さらに1号機、2号機の冷却状態が分からなくなったため午後4時45分に第15条通報を行っています。原子力緊急事態宣言です。これを政府が記者会見で発表したのは午後7時40分でした。
その時、枝野官房長官(当時)は「原子炉そのものに問題があるわけではございません」と発言しましたが、実際にはその10分前にメルトダウンが始まっていたのでした。しかし誰もこの大危機を把握できていなかったのでした。
● 消防車注水は届かず12日間冷却ができないまま格納容器が破損していた
1号機はどんどん深刻な状態に陥っていきました。圧力容器内の蒸気が格納容器に漏れ出し、格納容器の圧力も上昇。さらに建屋周辺の放射線値も非常に高くなりだしました。
午後11時50分、一部の電源が回復し格納容器の圧力が見えました。6気圧でした。通常の気圧の6倍で、設計時に想定された最高圧力5.28気圧を上回っていました。吉田所長らはこの段階でイソコンが動いていないと確信。格納容器を守るベントを決断しました。
12日午前2時半には格納容器圧力は8気圧にもなり、いつ爆発するか分からない。ところが電源がなくバルブを手動であけに行かなくてはならない。高線量の中の作業のため「決死隊」を組織しましたが準備に時間がかかり、送りだせたのは午前9時過ぎでした。
しかし決死隊が建屋の中に入ってバルブに近づくと、かなりの線量で検知器が振り切れてしまい断念。続いて遠隔操作でバルブを開けることが試みられ、コンプレッサーを調達して圧縮空気を送り込むなどしてようやくベントができました。午後2時半でした。
これと並行して、午前2時ごろより吉田所長の判断で消防車からの注水を行うことを決断。原子炉に向かう配管に消防車を接続し、注水を開始しました。現場は注水とベント「成功」で一息つきました。メルトダウンの進行を把握できてないままに。
ところが午後3時36分。1号機が爆発を起こしました。原子炉内で発生した水素が格納容器のつなぎ目から漏れ出して建屋内にたまり、爆発したのですが、これは誰も予測してなかったまったくのノーマークの出来事でした。
この爆発で1号機と2号機の間でかなり進んでいた電源復旧作業もすべてご破算になり、現場は失望と混乱を深めました。そしてその中で実は消防車からの注水が、原子炉にほとんど届いておらず、まったく冷却できていなかったのに、そのことが見過ごされてしまいました。
なんとこの事実が把握できたのは2016年9月のこと。事故当時、現場は1号機に続いて3号機が危機に陥ったため、その対応に追われ、1号機の危機は去ったものと考えて、その後12日間も、冷却できないままに放置されて、23日の注水再開ではじめて水が入ったのでした。
この間にメルトダウンした核燃料は圧力容器の底を破って格納容器底部に広がり、ペデスタルと言われる圧力容器を支える部分のコンクリートをすべて溶解させてしまいました。さらに格納容器の鋼鉄の壁を膨張させ、裂け目を作ってしまっていたのです。
衝撃的な事実です。最も恐れられた格納容器破損が実際に起こっていたのでした。場所はサプレッションチャンバーとドライウェルのつなぎ目の下あたりで、いまもそこから高濃度の放射能汚染水が大量に漏れ出していることが確認されています。またペデスタルは鉄筋しか残っておらず、地震の時の倒壊なども懸念されています。
しかし裂け目はそれ以上、破局的に広がりはしなかった。内部の放射性物質が大量に飛び出し、放射線値が高すぎて現場での対処ができなくなる最悪の事態には至らなかったのでした。
なぜそうはならなかったのか。さまざまな仮説が建てられていますが、実はまだはっきりと分かっていないのです。破局をどう免れたのか解明できていない。このことが告げているのは原子力の統御など全くできていないという事実です。撤退あるのみなのです。
続く
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