守田です。(20161101 11:00)

前回に続いて日本環境会議沖縄大会における宮本憲一名誉理事長の講演のノートテーク後半をお届けします。
今回はとくに環境政策に焦点を絞ったお話がされています。
四大公害裁判以降、発達してきた人格権を広げ、沖縄から環境権を確立していこうという素晴らしい提起です。
こちらもぜひお読み下さい。

*****

「安全保障と地方自治」-2
宮本憲一(日本環境会議名誉理事長)

環境政策の復権について語っていきたいと思いますが、判決は環境政策の軽視と無知を表しています。
これまでの基地公害は人格権を無視したもので、高江のヘリパットや辺野古基地の判決は最高の法理としての人格権が沖縄で無視されていることを示しています。
さらに判決は環境権を無視しています。環境事前評価制度の意義を軽視していまして、埋立による環境破壊は不可逆的、絶対的損失であり、いったん破壊してしまったらもとに戻らないわけですから、環境経済学の中では最も重大な損害です。

ここで言いたいのは公有水面埋立法は、初めの法の制定の時とは社会的前提がまったく異なってきたと言うことなのです。
戦前は領土拡張のために埋立が認められました。その場合は漁業権とか権利の侵害だけを考えればいいとなっていたわけです。
ところが戦後に臨界工業地帯を作ったり港湾を作ったりして、日本の海岸は海洋国家であるにもかかわらずガタガタにされてしまったのですね。自然海岸は40パーセントも喪失してしまいました。
東京湾にいたっては自然海岸は10%です。大阪湾は5%しかないのです。もう海岸ではないわけです。
これは環境破壊と災害の増大を招いたので、1973年の改正で、法の規制の中心は埋立の奨励ではなく、規制に転換したのです。
いまの法律をみてもそうです。瀬戸内環境保全特別措置法をみても原則、埋立は禁止とうたわれています。そのぐらいこの時点において、埋立についての政策が変わったわけでして、私は沖縄でだけ埋立が続いているのは、本当に困ったことだと思っているのですね。

改正の要点は、漁業権など権利者擁護の視点に加えて、それ以外の自然環境の保全、公害の防止、埋め立て地の権利移転または利用の適正化などの見地からの規制の強化となっているのです。
それが4条1項1、2を含めて、埋立を許可する場合の最も重要な条件が変わって、いかに環境を重視するかということかということがこの埋立法の主旨になっているわけです。
私は翁長知事の作られた第三者委員会は、この点について十分に検討されたと思います。それで前知事が埋立を承認したことには瑕疵があると明確に示したわけです。
当然、判決ではこれを議論すべきだったと思うのですが、高裁では第三者委員会の陳述はまったくなかったですね。初めから聞く耳を持たないという姿勢でした。

第三者委員会は次の点を指摘しました。
1、埋立の必要性が立証されていない。埋立の不利益も立証されていない。
2、生物多様性に富む自然環境の喪失、造成後の基地の公害、県、名護市の地域計画の阻害、多重な米軍基地負担の固定化の問題などを認めないで承認した。
3、生態系の評価ができていない。
4、「埋立地の用途が土地利用又は環境保全に関する国または地方公共団体の法律に基づく計画に違背せざること」について十分な検討がないというものです。
私は大浦湾を調べてみれば当たり前のように、あんな良い環境を埋め立ててはいけないとなると思うのですね。それほど重要な環境であるということの認識がないことが恐るべきことだと思います。こうした第三者委員会の指摘はまったく妥当です。

これに対して判決の異常な点は、翁長知事の第三者委員会による埋立に伴う環境破壊についての報告など全く検討せず、前知事の埋立承認の正当性を追認したことです。
しかも明らかに前知事は防衛庁の環境アセスメントの不備を認めていたわけです。ところが政府の圧力と3000億円の振興費の5年保証に目がくらんでしまいました。
判決はこの前知事の承認を適正として、事後的な修正や監視をすればよいとしていますが、不法な判決です。

少しこれまでの環境に関する裁判の状況を補足したいと思いますが、私は四大公害事件の裁判について関与しましたが、この裁判は画期的なものでした。
それまでの裁判は財産権が侵害されたものをどう補償するかというものであったのですが、戦後の水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病の裁判はそうではない。
健康が侵害される、日常の生活環境が破壊される、そういうものをどうやって責任を認めさせ、補償させるのかというもので、大変、難しいものでした。
病理学的に個別的因果関係を証明しようとしたら不可能に近いからで、それまでと同じように個別の因果関係に基づく財産権で争っていたら、全部、負けていた可能性があります。
しかし新しい法理の中で勝訴したわけで、その結果として人格権というものが認められたわけです。

さらに2014年5月には福井地裁が大飯原発3,4号機の運転再開を人格権で差し止めたわけです。
これは非常に大きな意味をもっていまして、この判決では公法私法を問わず、すべての法分野において人格権は最高の価値を持つとし、危険な原発の再開を止めたわけです。厚木基地の使用差し止めもこの人格権と同じような法理によって動き始めています。
にもかかわらず人格権を侵害する基地建設がこの沖縄でなぜ差し止めることができないのかということが非常に大きな問題です。

埋立のような環境破壊は不可逆的・絶対的損失を招くので、予防が最高の環境政策なのです。アセスメントによって不可逆的損失が予測されれば、予防の原則によって工事の差し止めが認められなければならないのです。
1992年の国連環境開発会議で認められた予防の原則というのがあるのですが、これが温暖化防止の原則ともなっています。この原則から工事の差し止めが認められなければならないのです。この法理が環境権です。
この環境権をどうするのかということが問題で公明党が憲法に加えると言っていますが、私は公明党の考えには反対でして、今の日本国憲法の方が平和主義に基づく立派な憲法ですからそのもとで環境権を認めていけば良いと思っています。
これを実行力をある形で制定すべきではないかというのが一つの提案です。これを沖縄こそさきがけて提唱し、その第一歩として埋立を禁止するという動きがあって良いと思います。

以下、「沖縄の自治権差別の歴史」という話をしたかったのですが、時間が来てしまいました。
みなさん、ご存知ないかと思うのですが、実は1920年まで沖縄には地方自治が適用されていなかったのです。
アジアで唯一、近代的な地方自治制を日本が敷いたわけですが、それが明治21年から23年なのですけれども、その段階で沖縄はこの法制を適用しないとされ、その後の改革でも沖縄は議会を持たされなかったのです。
そういうことを続けてきて、30年間、沖縄の地方自治は遅れてしまったのです。
さらに教育においても沖縄には高等教育機関を作らず、さらに戦争があり、米軍配下に置かれたわけです。

その意味で私は今、直面しているこの問題こそが、長きにわたる沖縄への差別を打ち破る事態であり、そしてまた今の安倍政権をみていると、この問題の解決こそが日本の平和、自治、環境の展望を指し示すことになると思うのです。
けしてこれを沖縄の人たちに任せておけばいい、沖縄の人たちに日本の民主主義がおんぶしていればいいとは私にはとても思えません。
ぜひこの会議を通じて、辺野古の問題についての具体的な支援を皆様方がしてくださいますことをお願いしまして発言を終わります。
(大きな拍手)

連載終わり