守田です。(20160902 09:00)

功利主義の捉え返しをジェレミー・ベンサムの思想の考察から行っていく試みの第二回目です。

2、法実証主義の祖、ベンサム

第1回目の考察(明日に向けて(1292)ベンサムのパラドックス)を踏まえて、今回は西洋思想史の中におけるベンサムの位置性を見定めてみましょう。
ベンサムは日本ではあまり評判がよろしくないので、その積極的な側面に光を当てていきたいと思うのですが、それは哲学史よりも法理論史の中にあるようです。
なぜならベンサムは法理論に言う「法実証主義」の祖だからであり、近代法の主要な概念を提起したのだからです。実は私たちもまたベンサムの提起にけっこうあやかっています。

この点について現代自由主義法理論の第一人者であったイギリスのH・L・A・ハート(1907-1992)は次のようにベンサムを評しています。
「功利主義者ほど偏見のない公正さで、法に関する改革の情熱と、そして、権力が改革者の手の中にある時でさえ権力の濫用を制御する必要性があるという正当な認識を合わせ持った者はいない。
ベンサムの著作の中に、法治国家の要素を、また、私たちの時代において自然法の用語を使って擁護されている原理のすべてを、逐一認識していくことができる。
表現の自由、出版の自由、団体をつくる精神、法は執行される前に公表され広く知られなければならないという要求、行政官を制御する必要性、責任がなければ刑事罰は問われるべきではないという主張、そして法律がなければ刑罰はいらないという合法性の原則の重要な主張がそこにみられる」(『法学・哲学論集』みすず書房 p61)

どうでしょうか?私たちの人権を守ってくれている憲法の中に盛り込まれた多くの法思想が実にベンサムによって編み出されたことがみてとれるのではないでしょうか。私たちは明らかにベンサムの恩恵を受けているのです。

ここで言う法実証主義とは、これまで論じてきたイギリス経験論に脈打つ神学的世界観の否定と、現実の人間の積極的肯定が、法理論という形であらわれた一つの帰結であるということもできます。
つまり、法とは神に与えられたものではなく、人間が自分たちで社会的に決めたものだという「実定法」の立場を主張するものです。それはホッブスやロック以来の社会契約論に対する批判の系譜に立つものでもあります。

社会契約論というのは社会の始原的な成り立ちを人々が相互にかわした社会的契約におくものでトマス・ホッブス(1588-1679)を出発点としています。
そのホッブスは、ありのままの人間を、相互に生命と財産の保全を求めて相争う存在であり、社会契約によって政府を形成し、権力を譲渡して治めてもらわなければ互いの安全を保障しえない存在として捉えたのでした。
ホッブスは、人間の「利己心」を事実として、現にあるあるものとして認識したものの、きわめて否定的な評価を与えていたのです。

イギリス思想史におけるジョン・ロック(1632-1704)以降の流れは、このホッブスのペシミスティックな人間観を克服し、相互に利己的な人間が、他方で相互を尊重しうる根拠を探るものとなりました。
ホッブスが考えたように原始的な契約など持ち出さなくとも、現実に存在する人間の考察の中から、社会の存続の根拠を唱えられるはずだという観点がさまざまに考察されました。
これを受けて人間は快楽(喜び)を追及し、苦痛を避けようとすることを行動原理にしている、それならば人々の喜びが最大化することを目指すことこそが社会的善だとする「最大多数の最大幸福」の考え方が唱えられるにいたるのです。

このスローガンを初めに唱えたのはフランシス・ハチソン(1694‐1746)だと言われています。人は他者の喜びや悲しみに共感できる、そこに道徳の基礎があるとする「道徳感覚理論(モラルセンス理論)」に立ってのことでした。
さらにこの発想をより深めて主著『人性論』にまとめたのがデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)でした。
そこではイギリス社会に極めて強い影響を与えていた「現世はただ神の千年王国の実現のために費やすべきもの」というカルヴァン主義の教義を逆転させ、現世における幸福の追及こそが人間の生であるという主張が意気軒高に打ち出されたのでした。

なおハチソンを始め、これらモラルセンス派の人々にスコットランドの人々が多かったことから、この一連の思想は「スコットランド啓蒙思想」と総称されます。
僕はちょうど昨年の夏にその詳しい解説を行いました。以下の記事などを参照していただけると嬉しいです。

明日に向けて(1137)スコットランドにおけ独自の人間観の形成(スコットランド啓蒙思想に学ぶ-4)
2015年8月30日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/465647b8d1287421cb141d8dab8ba36b/?st=1

さてそもそも功利主義とは、快楽を追及し苦痛を避けることを人間の本性をとらえ、最大多数の最大幸福をめざす思想であり、今回の連載の主役であるジェレミー・ベンサムによって体系化されたとされています。
それで間違いはないのですが、功利主義とはもともとスコットランド啓蒙派の中で形成され、ヒュームなどによって確立されてきた思想です。
ヒュームらが主張したのは、人間は他者を理解しうる存在なのであり、だからこそ一方で利己的であっても社会がうまく存続できるということ、絶対的な神の助けなどがいるわけではないということでした、
そこに込められたのは、人間の自然状態を限りない愛を込めて肯定していくことでした。

これに対してベンサムがより良き社会の実現のために最も追い求めたのは立法の諸原理でした。しかもベンサムは功利主義の問題意識性を継承しつつも、「道徳感覚理論」を社会の存続の根拠と考えるのは脆弱だと考えました。
そしてこれを超えるものとして、他者と共存しうる人間のあり方をもっぱら法的に作りだせうとするシステマチックな観点を打ち出すにいたったのです。
なぜなら立法の観点に立つならば、「共感」とは一方で「反感」とも裏腹な情動であり、共感を社会の存立根拠にするならば、必然的に反感が人間の争いの根拠としても存立してしまうことになると考えたからでした。

このためベンサムは「人間存在は利己的であるのか否か、その場合、共感とはどのような役割を果たすのか」というそれまでの問題意識性=プロブレマティークそのものを法においては不要だと考えていきます。
そうして、もっぱら人間を正しい方向に導くものとしての法のあり方を問題にしていき、社会的快楽を増やすことは善、減らすことは悪、苦痛を増やすことは悪、減らすことは善という原理に基づいた法の体系化を目指したのでした。

それは、後に功利主義を現代自由主義社会の中心思想にまで高め上げたジョン・スチュワート・ミル(1806-1873)が、論文『ベンサム』(1838年)において酷評したごとく、「少年のままに生涯を過ごした」ベンサムによって初めてできたことでした。
ベンサムは人間存在の洞察においてあまりに単純であったがゆえに、かえって人間を「快楽」「苦痛」という二つのファクターから分析できるとこれまた単純に考えることができたからです。
このもとにベンサムは人々を最大多数の最大幸福をめざす方向へと導いていくことができると考えたのでした。

このようにしてベンサムは、社会の存立根拠を「共感」という情動ではなく、人間の社会的な価値判断力に委ね、それを法律として示すことに力を注ぎました。
そのもとでベンサムは、冒頭にハートが述べたような現代法学の基礎となる考えを次々と打ち出し、現代の法理論に大きな貢献をなすことになったのです。

続く

補足
なお功利主義は「快楽」「苦痛」原則に基づくものと長らく訳されてきましたが、この日本語の「快楽」という言葉には、初めから否定的な意味も含まれていることに注意が必要です。「快楽をむさぼる」と使われる如くです。
ではこの言葉は英語ではなんと書かれているのかというとpleasuruです。一般には「快楽」とは訳されず、「喜び」「歓喜」などと訳され、否定的な響きはほとんどありません。
このように日本では功利主義は、初めから批判的意味合いの入り込んだ言語に訳され、解釈されてきたこと、それもあって日本社会に浸透しにくかったこともおさえておくべきです。