守田です(20220623 14:00)
● 本日6月23日は沖縄慰霊の日です
「慰霊の日」を迎えました。沖縄戦で亡くなられたすべての方、傷ついたすべての方に、哀悼の意とお見舞いを捧げます。
またあの戦争の教訓から、二度と再び戦争を起こしてはならないと頑張り続けてこられた沖縄のみなさま、関係者のみなさまに深い感謝を申し上げます。
毎日新聞の記事と写真に胸を打たれたので、ご紹介します。
記事には動画も掲載されていて、この日を前に「月桃」の歌碑が西原町の運動公園に建立されたことも伝えられています。
この歌を作られた海勢頭豊さんのコメントも収録されています。ご覧下さい。
地上戦から77年、沖縄「慰霊の日」 世界で続く戦火の収束を祈る 毎日新聞 6月23日午前6時
https://mainichi.jp/articles/20220622/k00/00m/040/263000c
また沖縄戦について、2019年2月に滋賀県の中学校でお話した動画もご紹介しておきます。
● 戦闘はさらに続き、たくさんの島民が殺された
この日が「慰霊の日」とされているのは、70年前の6月23日、旧日本軍の沖縄守備隊第32軍司令官、牛島満中将と長勇参謀長が自決し、組織的な戦闘が終わったとされているからです。
しかし牛島中将が「最後の一兵まで戦え」と命令したため戦闘は続きました。すべてが終わったのは8月15日も過ぎて9月7日に沖縄守備隊による米軍への降伏調印がなされてからでした。それまで牛島中将の命令が生き続けたのです。
沖縄戦では何人の方たちが亡くなったのでしょうか。
沖縄県南部戦跡にある平和祈念資料館のHPには次のような記載が見られます。
Q 沖縄戦による死亡者数は?
A 200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕
日本 188,136人(沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)(他都道府県出身兵 65,908人)
米 12,520人
沖縄県平和祈念資料館
http://peace-museum.okinawa.jp/heiwagakusyu/kyozai/qa/q2.html
● なぜ島民がたくさん殺されたのか
一般人が94,000人も殺されてしまったわけですが、なぜだったのでしょうか?
この点で長い間、解明されていなかった事実を、2015年6月15日、NHKスペシャル「沖縄戦全記録」で報道されました。いまもご覧になれます。
沖縄戦全記録
https://www.nhk.or.jp/war-okinawa/
番組が明らかにしたのは、島民がたくさん殺されたのは、日本軍が島民を守らず、むしろ島民に戦うことを強制したからだったという点でした。
アメリカ軍に竹槍や手りゅう弾を抱えて突撃する「斬り込み」に、10代後半の女性までもが動員されました。
また首里城周辺の攻防戦に敗れた日本兵が、住民の避難先だった南部へ押し寄せたことでも、住民がよりたくさん殺されました。
日本兵は衣服を変え、住民であることを偽装すらしました。住民を隠れ蓑に使って犠牲を拡大したのです。
● 軍隊は住民を守らない
沖縄戦の教訓が突きつけることは、軍隊は住民を守らないということ。それどころか住民を利用すらすると言うことです。
日本政府は一度もこの事実を捉え返していません。自衛隊の中にもこうした教訓は伝えられていないでしょう。
しかし住民を守るのなら、住民を戦闘に参加させるなど言語道断だったし、戦場から遠い地帯に住民を避難させ、軍が近寄るべきではありませんでした。
それどころか勝ち目のない戦いをアメリカに挑んだことそのものが、住民の命を軽んじていた証でした。そもそも日本は防空体制すら整っていなかったのですから。
基地と軍隊があると、むしろ攻撃を受けやすく巻き込まれやすい。そのことをこそ沖縄戦は教えています。
だからこそ沖縄からの米軍と自衛隊基地の撤去を進めなければ。そうでないと亡くなられた方たちの霊が安らかに眠ることができないでしょう。あらためてこの日に、沖縄からの基地撤去を訴えます。
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