守田です(20230815 22:00)

● 日本の戦争犯罪者がアメリカの戦争犯罪を使って生きのびた!―動画『原爆と731』をご覧下さい。

本日8月15日は「終戦記念日」と言われていますが「終戦」という言い方はおかしい。「敗戦記念日」というべきです。ただし連合国への降伏文書への調印は9月2日、ないし3日に行われたので、国際的にはこの日が正式な「敗戦の日」です。
その点を指摘した上で、僕も「敗戦記念日」に寄せた一文を記しておきたいと思いますが、何より訴えたいのは、今一度、この戦争の終結過程をきちんと見つめておこうということです。

というのは実はあの戦争、とくに日米が激突した太平洋戦争は、軍隊対軍隊の戦いとしては1944年秋ぐらいでほぼ決着がついていました。日本軍の主力が壊滅してしまったので降伏は目に見えていたことでした。
にもかかわらずアメリカ軍は、1945年に入って猛烈な都市空襲を始めました。無差別虐殺でした。さらに沖縄上陸戦を行い、8月に2発の原爆を使い、どちらでも大量虐殺を行いました。日本はその後に降伏しました。

この1945年過程で行われた米軍の攻撃はすべて戦争犯罪でしたが、これを日本の側から敗戦過程で積極的に利用した人々がいました。旧日本軍上層部でした。
とくに活用したのは原爆による大量虐殺。なんと日本軍は攻撃を受けた直後から被害調査を克明に調べ上げ、それを即刻英訳しました。そして日本が降伏するや否や、アメリカ軍に差し出したのでした。

何のためか。日本の戦争犯罪の訴追を免れるためでした。そのためにアメリカの戦争犯罪を利用したのでした。こうしてたくさんの戦争犯罪人が生き延びましたが、その中でも特筆すべきは陸軍731部隊が生きのびたことでした。
満洲に展開して細菌戦研究を行い、中国人捕虜などを実験材料にして人体解剖も行った部隊です。それが戦後日本にさまざまな影をもらたしましたが、その点を語った動画をご紹介します。敗戦を思う日々にご覧いただきたいです。

● そもそも誰もアメリカに勝てるとは思っていなかった-動画『日本は必ず負ける戦争にのめり込んだ。誰もこの国を守ろうとはしなかった』をご覧下さい。

さらに訴えたいのは、この戦争の始まった過程をきちんと見つめておこうということです。
太平洋戦争は1941年12月8日に日本海軍が、アメリカのハワイにある真珠湾を攻撃することにより始まりましたが、実は衝撃的なことに、この戦争に突入する以前、日本の閣僚たちは誰一人、アメリカに勝てるとは思っていなかったのでした。

当時、日本政府の最高意思決定機関は、天皇列席の下に閣僚たちが話し合う「御前会議」でしたが、そこに参加しているもので、アメリカに勝てると思っていたものは1人もいなかったのです。
実はこのころ日本とアメリカは石炭の生産で10倍、鉄鋼生産で12倍、石油生産で530倍の違いがあり、総合力でみても80倍の差がありました。確かにどう見ても勝てるはずがなかったのです。

しかしながら日本はこの勝てない戦争にのめり込んでしまったのでした。なぜだったのか。アメリカは日本の中国侵略を批判し、撤退を要求してきたのですが、すでに日本は中国大陸で20万人の将兵を失っていました。
それで撤退できなかった。なぜか。なんと政府と軍部は国民を恐れたのでした。さんざん人々を煽って、中国侵略戦争に若者たちを差し出させ、戦争協力を求めてきたので、民衆の戦争熱を前に「今更引き下がれなかった」のでした。

東条英機は「あれだけ殺して手ぶらでかえるわけにはいかん」と言ったそうです。「あれだけ殺して」とは日本軍兵士のことです。それで陸軍は海軍に、海軍は陸軍に「戦争を止めよう」と言いだして欲しかった。
さらには天皇が「やめよ」と言えば戦争にはならなかった。しかし誰も言わなかった。誰も命を懸けて国民を守ろうとなどしなかったのです。開戦過程についておさえておかねばならないのはこのこと。この点を語った動画をご紹介します。

敗戦の日。みんなで二度と国家に騙されないこと、かつまた二度と戦争を煽る民衆にならないことを誓い合いましょう!

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