守田です。(20140820 08:00)
8月31日に京都市にペシャワール会の中村哲医師をお招きして講演会を行います!
ピースウォーク京都が主催です。ピースウォーク京都は2001年9・11事件の直後から戦争に反対して歩き始めたグループでこの年の暮れに中村哲さんをお呼びして講演会を行いました。
僕もこの講演会の時からスタッフとして参加。以来13年間もみんなと一緒に繰り返し繰り返し平和を訴えて歩いてきました。
中村哲さん講演会も8回も開催。京都ノートルダム女子大学のシスター小久保(シスターであったのは当時)の全面的協力もあってのことでした。
中村哲さんとペシャワール会に魅せられたのは、平和を紡ぎ出す本当に見事な力があるからでした。武器を持たないで平和を作ること、いや武器を捨ててこそ、本当の平和を紡ぎ出せることを身をもって体現されてこれれました。
私たちは毎年、中村さんのお話を胸いっぱいに吸い込み、それを力に、アフガン戦争、イラク戦争、イスラエルのガザ侵攻など、戦争に反対して歩いたり、企画を開催したりしてきました。
山科在住のペシャワール会農業担当の高橋修さんにもお話を聞き、2008年8月26日にワーカーの伊藤和也さんが現地で何者かに殺害されて亡くなってしまったときには、僕と連れ合いの浅井さん、メンバーの冨家(旧姓)さんで掛川のお葬式にも駆けつけました。
大変、悲しく、辛いできごとでしたが、その中からも、中村哲さんとペシャワール会がいかにして、アフガニスタンの大地に平和の種を撒こうとしてきたのかを学んできました。
中村さんとペシャワール会は、現地の人々に水を供給してきたことで有名です。医療活動からアフガンへの関わりを始めた中村哲さんは、子どもたちが泥水を飲んでお腹を壊し、危機的な状況にいたっていくことを慨嘆。
泥水を飲んだ子どもに後から治療をするのでは「間尺に合わない」と考えられ、「まずは生きておれ、病は後で治す」と井戸を掘り始めました。1年で600本も掘るという凄さでした。
その後、井戸だけでは足りないと考えて、用水路の建設に乗り出したのですが、そのとき中村さんは、江戸時代に日本で開発されたさまざまな河川技術を調べ上げ、現地に適用しました。
なぜ江戸時代の技術なのか。一つにはそれが現代にも通用する立派な技術であること、同時にコンクリートなど、現代技術を多用しないため、壊れたときに地元の人が自分たちだけで直すことができるからです。
この工法を身に付けるために、中村さんは郷里の九州の主要な川を自ら歩かれました。とくに技術的な模範となったのは筑後川の山田堰でした。用水路への取水地点が堰ですが、ここの石の配置の仕方などがアフガンのクナール川に適用されました。
中村さんは同時に古文書も読破されました。すると堰などの技術的な面だけでなく、河川改修にまつわるさまざまな社会的困難性が記載されていました。
先にも述べたように、用水は堰をつくり、水の流れを多少せき止めて分水します。すると用水のできた側は潤いますが、反対の側には、堰を作ったことによる洪水時の越流の恐れのみができてしまいます。もちろん用水の恩恵も直接には受けない。
そのため用水を作ると、かえって地域の対立を産む面があり、このことをあらかじめ視野に入れて、用水の利益をいかに対岸にも供給するかが問われます。
江戸時代の用水路建設には、こうした面での知恵もたくさん詰まっていました。というか用水はこうした面への配慮を含めてはじめて、地域に平和と豊かさをもたらす社会的技術体系として存在してきたのです。
中村哲さんがこの技術を思想体系としても捉えてアフガ二スタンに正しく適用することができたのは、中村さんが常に平和の創造を考えられ、試みられてきたからです。
平和とは争いの種を無くすことで実現されます。そのためにはまずは飢えを凌がなくてはならない。飢えが凌げたら、病を減らさなくてはならない。そしてその次には争いの根拠を一つ一つなくしていき、平和の創造を共同事業化していくことで広がっていきます。
実際にこうして進められた用水路建設には、元ゲリラ兵士だったアフガン人の多くもが武器を捨てて参加しました。ときにはこうした方が岩盤を砕くために地雷を見つけてきて使用したことも。「地雷の平和利用です」と中村さんは笑われました。
僕もこうした話を、接待役などで何度も中村哲さんから直接伺う機会にも恵まれ、強く感化され、筑後川に赴いて山田堰周辺を踏査したことがあります。
山田堰を今も守る方たちからも話を聞けましたが、水をめぐる争いがどんなに苛烈なものだったのか、また水争いを収めるために先人がどれほど苦労をして河川改修を繰り返し、今の私たちの暮らしが作られたのかを学ぶことができました。
僕自身はそこから水をめぐる思考を発展させ、ため池の研究にも手を伸ばしていきました。僕の恩師の宇沢弘文さんが、ため池を人々が豊かな暮らしのために共有すべき「社会的共通資本」の典型と捉えていたこともあり、日本で二番目に古い香川県の満濃池にも何度か足を運び、周辺を踏査しました。
すると講演の中で、中村哲さんが「用水の次はため池です!」と話されたことがあり、身体がしびれるような感動を味わったことがあります。
現実にはその後、アフガニスタン現地で伊藤和也さんが殺害されてしまうという悲劇がおこり、大切な仲間を突然失うとともに、日本人ワーカーのほとんどが引き上げざるを得ないという苦難をペシャワール会は経てきました。
またこれに重なるように、暴れ川でもあるクナール川の洪水も続き、用水路建設が困難を極めました。しかしこの中で中村哲さんは現地の方々と命がけの改修工事を繰り返し、小規模なため池も連結させるなどして、用水路を確かなものとしてこられました。
その間にも世界は混乱を繰り返してきました。アフガニスタンもいまだに政情が安定しません。2003年、「大量破壊兵器をイラクが隠し持っているから」というまったく根拠のない理由でアメリカ軍とイギリス軍が軍事侵攻したイラクは今、内戦的な危機の中にあります。
ものすごい軍事力と大量の弾薬、それらのための巨額な軍事費をつぎ込んでも、平和などまったく作れない。むしろ争いが拡大するばかりです。中村哲さんとペシャワール会の用水路に結実している実践とアメリカの戦争の末路の対比が際立っています。
私たちがそんな中村哲さんをお招きし、ペシャワール会のその後の歩みについてお聞きしようと思い立ったのは、安倍首相が強引に集団的自衛権を閣議決定し、自衛隊をアメリカの行っている破滅的な戦争に参加させようとしているからです。
大嘘つきの安倍首相は、世界に展開している日本のNGOを守るためだとも言いましたが、中村哲さんは「自衛隊が来た方が私たちは危険です。自衛隊が来たら私は逃げます」と敢然たる批判を行われました。
全くその通り。安倍首相は中村さんをはじめ、多くのこの国の民が、第二次世界大戦の反省からつかみとった不戦の思いのもと、世界各地で積み上げてきた信頼という名の貴重な遺産を台無しにしようとしています。
亡国の首相であり、日本の戦後の平和の歩みに唾する大罪人です。この安倍政権の戦争への暴走を食い止める一助として私たちは再び、中村哲さんの言葉にみなさんと一緒に耳を傾けたいと思うのです。
どうかみなさん。8月31日の中村哲さん講演会にお集まりください。
また中村哲さんは各地で講演されていますので、お近くの会場に足をお運びください。
大阪でも京都より一足早く8月24日に開催されます。講演会情報以下に記し、ピースウォーク京都の案内を貼り付けておきます!
中村哲さん講演会スケジュール(ペシャワール会HPより)
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index_report.html
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ピースウォーク京都からの呼びかけ
-アフガニスタンからの報告-
中村哲さん講演会2014 ~軍事力で平和は築けない-ペシャワール会の30年~
◆8月31日(日)
◆開場13時30分 開演14時
◆資料代500円 申し込み不要
◆会場:京都大学・法経第4教室(時計台北側)
市バス 京大正門前【206、201、31系統】百万遍【17、3、203系統】
「私たちは自然さえ科学技術で制御でき、カネさえあれば豊かになれ、武力を持てば安全とする錯覚の中で暮らしています。
そして世の中は、自然から無限大に搾取できるという前提で動いています。疑いなく、ひとつの時代が終わりました。カネと暴力が支配する世界は自滅への道を歩んでいるように思われます。」
ペシャワール会報120号 2014年6月25日 ~ 中村 哲 ~
◆主催 ピースウォーク京都
連絡先 080-6159-6073 peace@pwkyoto.com http://pwkyoto.com/
「平和への貢献」とは喧嘩に加わることでも、喧嘩の道具を輸出することでもない。暴力化する世界情勢を生き残る道は、無用に敵対をつくらず、 犠牲を減らす努力である。そしてそれこそが破局を救う現実的な国際貢献となり得るのだ」(中村哲さん 2014)
★中村哲医師は30年間にわたって、パキスタンとアフガニスタンでハンセン病医療をはじめとした医療活動を続け、2000年の大干ばつを機に、砂漠化した農地の回復のため水利事業がその活動の中心となりました。
この活動を「ペシャワール会」が支えてきました。
私たちピースウォーク京都は2001年の冬から、これまで8回の講演会を開催してきました。
集団的自衛権行使が閣議決定され、平和憲法が危機に瀕している今、再び中村哲さん講演会を開催し、中村さんとペシャワール会が紡ぎ出してきた平和の歩みに学びたいと思います。
★大干ばつと戦争、井戸を掘り食料援助を行う
2000年、大干ばつで1200万人が被災し、400万人が飢餓線上をさまよっていたアフガンで中村さんは「まずは生きておれ、病は後で治す」と、飲料水確保のための井戸掘り事業に着手。
1年間で600本の井戸を掘り、20万人の飲み水を確保したところに、2001年9・11事件が発生。アメリカは報復と称し、アフガンに大規模な空襲を始めました。
大干ばつに加えた戦争で、人々がさらに絶望的な状態に追い込まれた冬、中村さんの日本中を回った食料援助の訴えに「命の基金」1億5000万円が集まり、小麦粉と食用油が、空襲の中で直接アフガンの人々に手渡されました。
★農村復興のために用水路建設に挑戦
アフガニスタンは、人口の8割以上が農民という伝統的農業国です。
戦乱のなか、農村の復興こそが重要だと考えた中村さんは、大河、クナール川から取水して干ばつにあえぐ大地を潤すという大事業への挑戦を決意します。
2002年春からアフガン東部山村の長期的復興計画「緑の大地計画」を開始し、さらに翌年、マルワリード灌漑用水路建設が開始され、7年後に最終地点のガンベリ砂漠までの25.5Km・灌漑面積約3000haが完成しました。
この工事には日本の伝統工法が多用されました。頻発する大洪水に命がけの水路の復旧活動を経て、その有用性が実証され、更に改良を加えながら近隣の地域に次々と用水路が建設されています。
大洪水の繰り返しで困難だった安定灌漑を実現し、合計16500haの不毛の砂漠が、65万人の命を養う緑の農地によみがえりました。
かつて100%近い食糧自給率を誇ったアフガンは、現在は半分以下に自給率が落ちたと言われています。
人々が食べて働き暮らしが成り立つことが、平和への大きな力になり、農業復興のモデルを示す意義は少なくありません。
灌漑用水路建設の総額は20億円、すべてがコツコツと重ねられた寄付によります。
アメリカはアフガンに100兆円を超える軍事費を投入し、殺戮と破壊と混乱だけを残して撤退=敗退したのです。
★「戦争をしない」憲法に守られて活動
ペシャワール会30年の活動は、「現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のためにはたらく」ことを大切に継続されてきました。
アフガニスタン東部では、かつて多くの外国NGOが活動していましたが、戦乱の中ですべて撤退しました。
アメリカの戦争に加担し出兵した欧米諸国と対照的に、武器を持って戦闘しない「平和憲法」を持つ日本への親近感が失われなかったことが、現地での活動の安全を支えてきました。
武力を行使しないことが、戦乱の地で最も有効な安全の要であることをペシャワール会30年の活動が実証してきたのです。
●中村 哲 氏(略歴)
ペシャワール会現地代表。PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。1946年福岡市生まれ。
国内の診療所勤務をへて1984年パキスタン北西辺境州のペシャワールに赴任アフガン難民の診療に携わり現在に至る。
マグサイサイ賞、イーハトーブ賞など受賞。
●ピースウォーク京都は、9・11事件の直後に、戦争に反対し、平和を自分の声で訴えていきたいと歩み始めました。
以来、アフガン戦争、イラク戦争、自衛隊の派兵に反対して、繰り返し街を歩いたり様々な取り組みをしてきました。
そのなかで2001年より中村哲さんをお招きして講演会を開催してきました。
◆運営実費のカンパをお願いします。
※当日のカンパは講演会運営費を除いてペシャワール会に送らせていただきます。
〔振込口座〕
京都銀行 下鴨支店 (普)3213202 ピースウォーク京都
郵便振替 00990-1-297950 ピースウォーク京都
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