守田です(20130415 08:00)

安倍政権は今、日本はTPPに参加させて、新自由主義経済の中により深く入り込もうとしています。世界を席巻する新自由主義経済の基軸は、市場万能論です。すべてを市場に委れればすべてはうまくいくというイデオロギーが背後に存在している。そういいつつ、実際にはさまざまな特権は残りつつあるのですが、いずれにせよこれが現代世界の趨勢です。
この流れが始まったのは1970年代でした。とくに後半から勢いがつき出し、アメリカ・レーガン政権、イギリス・サッチャー政権、日本・中曽根政権のもとで、新自由主義政策がどんどん進められていきました。
その結果、訪れたのは世界大での貧富の格差の拡大です。日本も同じことで、とくに小泉政権になってから、雇用契約の自由化の名のもとに労働者の権利が次々と打ち捨てられ、非正規雇用が一気に増えてしまい、ワーキングプアという言葉までが生まれました。

現代世界をまっとうな方向に戻すためには、やはりこの残酷で理不尽な新自由主義の流れを押す戻すしかないと僕は思います。そのことで民衆がもう一度、力をつけることの中でのみ、核の時代を終わらせ、環境と平和を最も大事にする新たな時代が開けると思うのです。その意味で放射線防護と新自由主義批判は密接に絡まっていると僕は思います。
ではどのようにこの弱肉強食を是とする残酷な資本主義に歯止めをかけるのかと考えたときに、反対にどうしてこうした粗野な資本主義が台頭し、猛威をふるっているのかを考えなければならないと思います。そのとき私たちが注目すべきことは、新自由主義が、1980年代の相次ぐ社会主義政権の崩壊の中でこそ、より力を持ってきたという事実です。
それまでの資本主義、つまり新自由主義以前の資本主義は、社会主義との対抗から、部分的に社会主義的政策を自らの中に取り入れることをしてきました。とくに社会福祉の面で、社会主義国家と比べても遜色のないサービスを増やし、人々が社会主義に流れるのを食い止めようとしたのしたのでした。こうした政策は「ケインズ主義的福祉政策」などと呼ばれます。

しかしこのケインズ政策は、1970年代に行き詰まっていきました。それに代わったのが、高度な福祉国家を目指すこうした政策を全面的に否定した新自由主義の登場だったのです。したがってそれはある意味では社会主義の優位性を明らかにするモメントも持っていたはずでした。
にもかかわらず、社会主義はこの時期、まさに1980年代にこそ相次いで崩壊していきました。これに連動しつつ、資本主義内部でも社会主義を掲げた政党や、ケインズ政策に依拠した政党、派閥などが後退していきました。このことで新自由主義は、貧富の格差の拡大という社会矛盾を広げながら、ひたすら力を増して来たのです。
このことを考えるときに、この新自由主義と向かい合うためには、一度、社会主義とはなんだったのかという問いと向き合わねばならないのではと僕には思えます。

では社会主義とは一体何だったのでしょうか。社会主義が登場したのは1800年代のヨーロッパです。もう少し前、フランス革命の頃から社会主義の萌芽をみてとることができます。しかしなんといっても社会主義が世界史的な力を持ったのは1917年のロシア革命以降でした。世界の各地で自由と正義を愛し、資本主義の矛盾を憂いた人々は、社会主義の旗を掲げて立ち上がり、植民地の解放や、帝国主義国の民主化をもたらしたのでした。
しかし先にも述べたように、社会主義は、政権についた国の多くで新たな抑圧や社会的硬直化を生み出し、1980年代末にあいついで瓦解してしまいました。社会主義はどうして挫折してしまったのでしょうか。この問いに対し「敗北したのはにせの社会主義にすぎない」という答え方があります。しかし僕にはそれでは失敗の責任を、歴史上の人びとに押しつけることにしかならないように思えます。
むしろ僕には、この失敗が、社会主義を目指した人々が、多かれ少なかれ、「科学」や「生産力」の発展に、あまりに多大な期待を寄せたことによって、もたらされたのではなかったかと思えます。そのことを歴史の中から学ぶことが問われているように思えます。

この捉え返しはけしてネガティヴな行為ではないと思います。先人たちの失敗に学び、そこで目指したものを発展的に継承しようとする中から、新たな変革の論理が見えてくるからです。
その意味で、社会主義の世界史的な行き詰まりを超えて、人間らしい、豊かな社会を創造する道を模索するために、今ここで、「社会主義再考」と題した考察を進めていきたいと思います。キーワードは「科学主義」と「生産力主義」です。
「明日に向けて」の思考実験として、ともに考察していただければと思います。

続く