守田です。(20150828 15:00)

いささか唐突に思われるかもしれませんが、8月30日16時から京都市の出町柳「かぜのね」でスコットランド啓蒙思想ついて学び、日本の社会活動のあり方を考える企画で問題提起を行うことにしました。

日本の社会活動のあり方を考えよう
-スコットランド啓蒙思想の対話性と現実性に学ぶ-
https://www.facebook.com/events/795032107261199/

この企画に向けて、なぜ今、スコットランド啓蒙思想なのかを論じたいと思います。

1、スコットランド啓蒙思想に何を学ぶのか

スコットランド啓蒙思想とは、イギリス市民革命期の内戦ののちに、イングランドから暴力的に統合された側のスコットランドで次第に熟成されていった思想であり、「イギリス経験論」の中核をなすものです。
オランダ人医師マンデヴィル(1670~1733)の『蜂の寓話』などの示唆を契機とした、フランシス・ハチスン(1694~1746)ら「モラル・センス派」に始まり、デヴィット・ヒューム(1711~1776)やアダム・スミス(1723~1790)などへと発展していきました。
後年にはジェレミー・ベンサム(1748~1832)やジョン・スチュワート・ミル(1806~1873)などの功利主義へと収斂されていった一つの人間観と言えるものです

その主要な考え方は、キリスト教、とりわけカソリックのみならず、当時、勃興していたプロテスタントの中でも最も苛烈な教義に立っていたカルヴァン主義的な世界観に対抗した現世肯定主義や現実主義でした。
利己的な側面を含む人間のさまざまな欲求の追及に対する大らかな了解と、他方でこうした「不十分な」人間が、尊厳に満ちた豊かな社会を成り立たたせしめるに足る根拠としてのシンパシイ(共感)の重視でした。
人間の利己性を現にあるものとして容認しつつ、それをシンパシイをもとに対話的に統御していくものとして社会的正義の実現が目指されたのであり、そのための具体的な方策の考察が、最も価値化されました。

これはイングランドに発っしたイギリス市民革命が、カルヴァン主義に影響された清教徒=ピューリタン=「ピュアな人々」を中心に、その狭義の不寛容性ゆえに反対者に対する苛烈な弾圧や殺戮に彩られたことと関連しています。
スコットランドの側はこの苛烈な暴力に晒される側にあったのですが、イングランドに併合されたのちにスコットランドの人々は、苛烈な暴力に同じ暴力を対置するのではなく、その根っこにあるピュアリズム=不寛容性に抗おうとしたのでした。
一方でそれはイギリス絶対王政による王権神授説という「正義」への対抗の位置性も持っていました。そのために教義に忠実たらんとする原理主義的な発想よりも、対話性や現実性を重視した寛容な精神が育まれていったのです。

なぜ今、こうした思想に学ぶことの意義を感じるのかと言うと、今、私たちは、かつてない社会運動の高揚の中にいるからです。
僕が見る限り、この中でこれまで四分五裂の状態にあった日本の民衆運動が、つなぎ直しの時代を迎えているように思えます。誰もがそれを望んでおり、各地で互いをリスペクトしあい、あらなた結合を生み出す努力が重ねられています
この動きをさらに豊かに発展させるためにこうした大らかな思想に学ぶことに意義があるのではないかと思うのです。その中で、これまでともすれば仲間割れを繰り返し、民衆同士で傷つけあってきたこれまでの限界性を越えるヒントがつかめればと思います。

とくに大事なのは近代の私たちの国が、思想史的にスコットランド啓蒙思想を含むイギリス経験主義の対極にあった、大陸合理主義の発展としてのドイツ観念論の系譜に強く影響されてきたことです。
例えば明治・大正時代に兵庫県篠山市などから広がった民謡に「デカンショ節」があります。学生歌として広く歌われたこともあって「デカンショ」とは、デカルト、カント、ショーペンハウエルのことをさしているという説が語られ続けています。
篠山市では「もともとは意味のない掛け声である」とも言われているそうですが、ともあれ当時の学生たちが何を好んでよく読んだのかを象徴するエピソードだと言えます。

さらにこの国の民衆運動は、多かれ少なかれマルクス・レーニン主義の強い影響を受けてきましたが、そのマルクスもドイツ観念論の集大成とも言えるヘーゲルの思想に学び、ヘーゲルを内側から越えることをめざした青年ヘーゲル派から出発していました。
これに対してスコットランド啓蒙思想からベンサム、J・Sミルへと発展していった功利主義は、私たちの国の中では「損得勘定に根差した思想」とネガティブに捉えられることが多く、積極的に学ばれることが少なかったように思えます。
ごくわずかに、イギリス経験論の側からマルクス主義を理解しようとする人々もいましたが、マルクス理解の主流的な位置を占めることはありませんでした。

こうしたことにも影響されつつ、私たちの国の民衆運動は、どちらかというと原理性やピュアさを重んじる傾向が強く、対話性や現実性が後ろ回しにされ、他者に寛容となれない体質をひきづってきたように思えます。
とくにこの傾向を強く持っていたのが僕自身も長く属してきたこの国の左翼運動であるように思えます。そもそも左翼の中では他の勢力をリスペクトすることが極めてまれであるとさえいえたのではないでしょうか。
いやそれはこの国の左翼運動だけではなく、ロシアや中国のマルクス主義など、日本民衆が接した多くの左翼運動が共通にもっていた傾向であったようにも思えます。僕の知る限り共産主義運動はどこも不寛容なピュアリズムを引きづっていました。

これらのことを考えるとき、僕はピュアリズムの大きな限界性を越えるために、スコットランド啓蒙思想の中から何かを学べるように思うのです。
象徴的なタームを並べるならば「ダイアローグとリアリティ」ということになると思いますが、これらの発想を反省的に体得する中から、他者の見解に寛容で、大らかな民衆運動が育っていくといいと思います。
というよりも実際に今、国会前で、あるいは各地の電力会社前でそんな雰囲気が生まれつつあるようにも思います。それをさらに前に進めるため一助としてこの考察を行ってみたいと思うのです。

続く