守田です。(20120613 18:30)

昨日に続いて、阿部さんのお話の続きをお届けしたいと思いますが、福島からあるところへ避難されている方から、佐藤雄平知事に関する事実関係が少し違っているというご指摘を受けました。正しくは以下のような経緯をたどったと教えていただきました。

***

福島県民は、佐藤雄平知事を2度、当選させています。
2010年2月にプルサーマルに関して県の態度を180度転換。
2010年8月6日にプルサーマル受け入れ決定→MOX燃料装填
2010年9月に試運転開始
2010年10月に商業運転開始
そしてこういうことがあってから、2010年10月末に、佐藤雄平知事を「再選」したのです。

***

僕自身も調べてみたところ、第一期の当選が2006年、その後、2009年ごろまでプルサーマルに慎重な姿勢をとっていたものの、ご指摘のように、2010年に転換し受け入れを表明しています。第二期の選挙は2010年10月で、民主、社民に加え、自民も「プルサーマルを受け入れてくれたから」と支持を表明。唯一の対抗馬だった、共産党の佐藤克朗氏を破って当選しています。その意味で福島県民は、確かにプルサーマルを選択した佐藤雄平知事を、この選挙で選択したことになります。

この点、訂正してお詫びします。僕がきちんと調査して書くべきでした。申し訳ありません。

さて、以上のことに踏まえつつ、阿部さんの話に戻りたいと思います。話はようやく阿部さんがカライモブックスに辿り着いたものの、かぎがかかっていて中に入れないところからです。

******

中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている 下
フォーラム福島支配人 阿部泰宏

あのとき、ここがなかなか分からなかったのですけれども、ここをようやく探し当てて辿り着いたら、せっかくきたのに、かぎがしまっていて、ここで何かをやっていて、「なんだ」とか思ったのだけれど、そこのガラス窓にあった、「今、福島のことについて、市民を集めて、討論をしているので、申し訳ありませんが5時までお客様はお待ちください」という張り紙を見て、僕と嫁さんは、すごくありがたいと思いました。

僕は本当に不思議な気持ちになりました。水俣のことを自分が知りたくてここに来たら、福島のことを憂慮する方たちが集まって、ジャーナリストの方の話を熱心に聴いているのですよ。女の子とか学生さんとか、お母さんたちがいて、僕はあのとき本当に救われました。これしかないんです。われわれには。解放されるとか、救われるということは。

だから少ないかもしれないけれど、福島のことを気遣ってくれて、明日は我が身だという危機感で動いてくれている人たちをつなぐというか、これしかもう福島県民が救われる道はないなと思ったのですけれども、大多数の福島県民はそのことに気づいてない気がします。だから吉野さんなどは、そういう意味ではまるでミツバチような存在だと自分で思って、日本中を飛び回っています。だから本当に今日は、守田さんの話を聞いて、こういう場にいて、こういうことを言って、僕自身にとって、セラピーになっているなと思います。

守田「とても嬉しいです」

―たたきつけるようなことで申し訳ないのですけれども、本当に思うことは、福島のことを助けてくれとかそういうことではないんです。京都を汚さないで欲しい。ここは盆地で、福島とまったく地形が同じなのです。幾ら除染したって戻ってきます。周りが山に囲まれているし。

守田「山がやられたらもう駄目ですよね」

―駄目です。除染なんて、あれは金儲けのためにやっているだけです。除染は科学的な見地や技術ですが、本当は理念や哲学が必要だと思います。なんのためにやるのかという高い志があって初めてできる作業です。金のためでは駄目です。

僕は劇場をやっているので、いろいろなメンテナンス業者さんが入りこんできます。あるとき、気の置けない業者がこういうことを言ったのです。原発事故前まで、建設業はどん底状態だった。しかし建設業関係は、今は、復興や原発特需で沸いている。除染はエンドレス。いくらでも金が入ってくる。だから息を吹き返したし、今は仕事に困らない。次から次へと、やってくれという発注で予約でいっぱいだ。でもその担当の方は、僕にこう言ったのです。「仕事がらある家やある企業のビルとかをくまなく測るけれど、単純に思う。人間の住める場所ではない」と。そして「いくらやったって無理だ」と。でも、その人はそれを言ってしまったら終わりなのです。そういう状況になってます。

ある新聞記者が僕に言い訳のように言いました。「いろいろと頑張ったけれど、編集会議をすると、まるでゲートルを巻いた上司が機関銃を構えていて、それをちらつかせながら言われている気がします」と。ある県庁マンが僕に言いました。「阿部さん。阿武隈川もう、みな底は原子炉なみで、とても公表できません」と。仙台湾を調べるべきなのに、調べないのは、とんでもないことになっているからです。太平洋側の魚は当分、食べないほうがいいです。とくに子どもさんは、これから本当に大変な時代を生きなくてはいけないということに関しては、本当に・・・」(声がつまる)

・・・参加者からの意見(省略)

―福島を覆っているのは同調圧力なのですよ。さっき守田さんがモニタリングポストについて話してくれました。(モニタリングポスト周辺だけ除染されている。だから福島の人に「これはモニタリングポストではなくて、除染ポストですよね」と言ったらみなさん笑う・・・という話)まさにその通りで、一番低い数字が公表されているのです。守田さんがおっしゃったことは事実で、このことは少なくとも福島市民は全員知っています。この実態を。だから誰も公表された数値など本当は信じてないのです。でも無理やりそれを信じ込ませて生活しているのです。

毎朝起きると、NHKで、今日の放射線値が報道されています。新聞をめくれば、株の銘柄ではないかと思うぐらい、事細かに今日の数値が書いてあります。ありますけれど、それはまったくのまやかしです。そこで測ったのは事実かもしれないけれども、1メートルあがればぜんぜん違うかもしれないし、地表で測ったら0.6マイクロシーベルト毎時だったものが、2とか、3マイクロシーベルトだったりするし、そこから数十センチ離れたところで、とんでもない数値が出たりするのです。うちの劇場の裏を測ったら、40マイクロシーベルト(毎時)を振り切りました。

そうした中で、健康被害も起きているはずですが、どこかで自治体なりがある程度観念して、やはりそれはあるのだと認めない限り、大多数の人間は、自らまやかしに同調しようとすることを続けてしまいます。そうしないと暮らせないのです。普通の生活が送れないのです。そこで深く突っ込んで考えてしまったら、逃げるしかなくなるのです。

弁護士さんの集まりがあって、訴訟のための窓口なのですが、人生相談的な色合いも持っているところがあるのですが、僕がそこにいったときに、あるお母さんがきていて、そのお母さんはどちらかというと、県や国の言うことを丸飲みにしていた方でした。市民運動や守田さんが言われることは一切、信じなかった。そのことに反発すら覚えていた。

ところがあるとき、5歳の男の子をばあちゃんに預けてパートに出ていた。そうしたらばあちゃんから電話がかかってきて、今、孫が鼻血を出した。すぐに戻ってこいという。今までも一度も鼻血を出したことのない自分の子どもが、ダーっとすごい鼻血を出して、いくら対処しても止まらなかったそうです。30分出し続けたそうです。でも医者に駆け込んで、放射能のせいでしょうといっても、立証されていないし、違うと思う。何かストレスのせいではないかと片付けられてしまったそうです。それでそのお母さんは一発で変わりました。

それでも吉野さんの活動や、矢ヶ崎先生や守田さんの話に対しては、やはり直視したくない、突っ込めないという面があります。でも自分の子どもにそれが起こったら逃げなくちゃいけない、どうしたらいいと変わったのです。私はシングルマザーで何もない。逃げたはいいけれど、その先でどうやって生活したらいいのという話になったのです。

なのでそういう健康被害の話は幾らでもあるのです。でもそれを真に受けてしまったら、直視してしまったら、何かをしなくてはいけなくなる。映画でアル・ゴアの『不都合な真実』というものがあるのですが、われわれ自らが、ガバナンスが発するまやかしだと思っている情報に、自ら積極的に、もうそれでいい、これを受け止めてしまおうという、自ら進んで同調してしまう何かがあるのですよ。

だから最初のうちは、福島市民はすごく怒っていたし、みんなカーッとなっていました。しかし怒りは持続しないのです。慣れるし、忘れるし、しまいには諦めの境地になってしまい、大きいものに自分を預けてしまったほうがいい、自由なんか捨ててしまったほうが楽だという、退廃的な感覚が蔓延していると僕は思います。

・・・以降、参加者の討論が続く。記録はここまで。

*******

阿部さんの発言には、福島の今が鮮やかに切り取られていました。
僕は阿部さんの文学的・哲学的な力を感じました。
ある友人が、今の状況下での「文学の使命」を語り続けているのですが、それを思い起こさせらる発言でもありました。

問題はもちろん、この「退廃的な感覚」をどうするのかですが、そのためにこうした「感覚」が、けして福島に特有のものではなく、私たちの日常の中にあるものであること、それと対決し続けなければ、非常時に全面化してしまうものであることをつかみとっていくことが大事だと僕には思えます。

そして同時に、このことと自らが対決する中から、私たちは自らのうちに、福島の人たちに語りかけていくべき言葉を見出すことができるだろうし、みいだすべき責務があるのだと僕は思うのです。その言葉はあるいは、「同調」の中にある人を傷つけるものになるのかもしれません。しかしそれでも僕は、その痛みを恐れながらも、言葉を発し続けていこうと思います。

未来に向けて、阿部さんとの連携を続けていきたいです。

連載終わり