守田です。(20131119 21:00)

昨日18日より、福島原発4号機からの燃料棒取り出しが始まりました。東電は起こるべき困難を小さく想定していますが、すでにテレビや新聞などで、東電の作業を不安視する報道が、多数、繰り返されています。
NHKですら、福島内で、作業が安全に行われるかどうか、住民の不安が高まっていることを報道しています。
しかし、これらの報道に決定的に足りないのは、「不安だったらどうするか」です。答えはいたってシンプル。周辺からの避難と、広域にわたる避難準備・訓練を行うことです。にもかかわらずこの当然の答えに踏み込んでいるマスコミがどこもないのが残念です。

危機を前にしても、「正常性バイアス」に邪魔をされて、「避難」の必要性の認識に進めない・・・この限界を超え出ていくための一つの方策として、福島原発の状態が最悪化した場合、どのような状態にいたると政府が考えていたのかを、確認しておくことが重要です。
そこで提示したいのが、2011年3月25日に内閣に提出された最悪の場合を想定したシナリオです。具体的には、福島原発1号機が再度の水素爆発を起こすなどして、現場での冷却などの事故対処ができなくなり、結果的に1号機から4号機まで、次々と破たんする事態です。
この場合、とくに4号機の燃料プールにある大量の燃料棒が大気に晒されて膨大な放射能が飛散することが予測されていました。この放射能による被曝を避けるため、国は半径170キロ圏を強制避難区域とし、250キロ圏を、希望者を含んだ避難区域として想定し、自衛隊にも避難作戦立案の指示を出していたのです。

この想定の作成者は、当時の原子力委員会の近藤駿介委員長でした。このため政府内の対策チーム内で「近藤シナリオ」と呼ばれました。最悪の事態を想定するようにとの菅総理の指示に応じて作成されたものでした。
シナリオの全文は以下から見ることができます。
http://www.asahi-net.or.jp/~pn8r-fjsk/saiakusinario.pdf

私たちが今、腹をくくって見据えておかなければならないのは、この「近藤シナリオ」で想定された最悪の事態の可能性は、未だ去ったわけではないということです。巨大地震をはじめ、何らかの不測の事態で、どれか一つの原子炉が対処不能になった場合に、この想定と同じことが起こってしまう可能性があります。
いやこれは放射能被曝の影響を軽く見積もっている政府サイドから出てきたシミュレーションですから、事態はもっと深刻になるかもしれない。強制避難区域が半径170キロよりももっと拡大する恐れすらあるということです。
このような可能性を直視するならば、私たちの国が今、東京オリンピックの準備などしている場合ではないことは誰の目にも明らかでしょう。オリンピックにかける資金の全てを福島原発事故の真の収束と、避難準備に使うべきです。それこそが真に日本を、世界を、守る道です。

このシナリオに関する問題をより詳しく捉えるために、当時、首相補佐官として事故対処にあたった民主党の馬淵澄夫議員による自著の中での記述をみていきましょう。
そもそも馬淵議員は、3月26日の夕方に細野豪志首相補佐官に電話で呼び出され、翌日26日に東京にかけつけてこのシナリオを見せられ、急きょ、首相補佐官への就任と、この最悪の事態の封じ込めへの着手を要請されたのでした。
馬淵議員は、このとき自分が突きつけられたシナリオのことを、以下のように述べています。

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「首都圏全体が避難区域となる」
「もし原子炉の一つが新たに水素爆発を起こし、冷却不能に陥ったとしよう。格納容器は破損し、中の燃料も損傷、大量の放射性物質が一気に放出される。
高線量により作業員は退避を迫られるため、これまで続けてきた注水作業を中断せざるをえない。冷却できなくなった他の原子炉でも、格納容器や燃料プールに残された燃料がやがて露出し、そこから新たに大量の放射性物質が放出される。
つまりどこか一つでも爆発が起これば、他の原子炉にも連鎖し、大規模な被害となるということだ。

シナリオで特に危険性が高いと指摘され、シミュレーションの対象となっていたのは1号機だった。
この1号機で水素爆発が起きた場合、高線量の放射性物質が放出され、人間が近づくことすらできず、全ての原子炉が冷却不能に陥る。その結果、8日目には2、3号機の格納容器も破損し、約12時間かけて放射性物質が放出される。
6日目から14日目にかけては4号機の使用済み燃料プールの水が失われ燃料が破損、溶融し、大量の放射性物質の放出が始まる。約2か月後には、2、3号機の核燃料プールの干上がり、ここに保管されていた使用済み燃料からも放射性物質が放出される。

この場合、周辺に撒き散らされる放射性物質による被曝線量はどれほどになるのか。
最も大量の燃料を抱えているのは、4号機の使用済み燃料プールだ。このプールに保管されている、原子炉二炉心分・1535体の燃料が溶け出ると、10キロ圏内における1週間分の内外被曝線量はなんと100ミリシーベルト、70キロ圏内でも10ミリシーベルトにも上ると推測されていた。
さらにチェルノブイリ原発事故時の土壌汚染の指標では、170キロ圏内は「強制移転」、250キロ圏内は「任意移転」を求められるレベルだった。汚染の状況はひどく、一般の人の被曝限度である「年間1ミリシーベルト」の基準まで放射線量が下がるのに「任意移転」の場所でも約10年かかると試算されていた。

「福島第一原発から250キロ圏内」―それは首都圏がすっぽりと覆われるほどの広大な範囲だ。北は岩手・秋田、西は群馬・新潟、南は千葉や神奈川におよび、東京23区全てが含まれる。この圏内における人口は3千万人にも上った。
近藤シナリオにおける最大の衝撃はこの点にあった。」
(『原発と政治のリアリズム』馬淵澄夫著 新潮社 p24~26)

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さて、ここで押さえておかなければならない重要な点は、政府がこの「最悪のシナリオ」=170キロ圏強制避難の可能性を隠し続けたという事実です。その上で枝野長官が「にわかに健康に被害はない」などと言い続けたのですから、国民・住民に対する重大な裏切りです。
しかも、このような決定的に重要な情報を隠し通したことについて、民主党議員たちはその後に居直りを決め込んでいます。
この点で、顕著な発言をしているのが、当時、内閣副官房長官として、事故処理のナンバー3の位置にいた、福山哲郎民主党議員です。彼もまた自著の中で次のように述べています。

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「官邸はこの時点で「最悪の事態」を想定しており、原発の危機的状況について認識を共有していた。
ただ、「メルトダウンの可能性を知っていること」と、「実際にメルトダウンが起きているかどうかを知っていること」はまったく意味が違う。想定される最悪の事態が、実際にどの程度の確率で起こり得るのかについては、官邸に来ている情報では誰にも分からなかった。
たとえば、こうした事故が発生した場合、「政府は考えられる最悪の事態を国民に告知すべきだ」と指摘する識者がいる。起こり得る最悪の事態に備えて、国民は自らの判断で対処することができるからというのだ。告知しないのは「政府による情報の隠蔽だ」と批判する声さえあった。

しかし、これは極めて無責任な意見だと私は思う。事故が発生した時点では、その最悪の事態はいつ、どの程度の確率で起こるのか、起こった場合にどのようなかたちで収束するのかまったく分かっていない。
政府が優先すべきは、その最悪の事態を回避することだ。想像してほしいのだが、最悪の事態を想定して、そのまま国民に向けて告知したとする。
不安に駆られて、あるいは万が一に備えて福島周辺から、あるいは首都圏から急いで避難しようとする膨大な数の人々は、いったいどこに逃げればいいのか。逃げた先からいつ戻ればいいのか。その間の生活や経済活動はどうなるのか―」
(『『原発危機 官邸からの証言』p31、32)

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福山議員のこの発言は驕りと開き直りに満ちています。そもそも彼は、メルトダウンの可能性は知っていたが、実際にどの程度の確率で起こり得るのかはまったく分からなかったと言っています。つまり起こる可能性が低いなどとはとても言えなかったのです。
にもかかわらず、彼は人々を逃がそうとはしなかった。また危険性を伝えようともしませんでした。
「避難しようとする膨大な数の人々は、いったいどこに逃げればいいのか。逃げた先からいつ戻ればいいのか。その間の生活や経済活動はどうなるのか」と言いますが、反対に言えば、それが確保できなければ、危険情報を伝えるべきではなかったと言って、人々を危機に晒し続けたことを肯定しているのです。

これは危機に対しての人々の自主的な対応力を極端に過小評価し、人々がパニックに陥ることのみを恐れる、上から目線で人々を見下している官僚にありがちな「パニック過剰評価バイアス」の典型です。災害心理学で、行政などが陥りやすい「避難を阻む罠」として繰り返し指摘されているものです。
もちろん、事態が伝われば、世の中は大変なことになったでしょう。しかしそのために、今よりも、大量の人々が、原発の近く・・・最も激烈な汚染地帯から離れることに結果していたでしょう。
同時に力強い民衆運動が不可避的に起こり、避難の権利が確立されて、広範囲な汚染地帯から大量の人々が脱出できていた可能性があります。そのことで生産も停滞したでしょうが、全国民・住民が一致して、原発災害に立ち向かう大きな構えが生まれたことでしょう。

少なくとも、子どもたちの疎開は大きく進んだでしょう。そうして、全国からの注視の目の中で、周囲から人を遠ざけ、今よりも格段に高い安全性を確保したうえで、廃炉作業の慎重な進捗が始まっていたでしょう。
あまりにも人々に災厄をしいた東京電力はとっくに淘汰され、責任者が逮捕されて厳しく罰せられていたでしょう。それらこれや私たちの国の、根本的な変革が始まっていた可能性が大きくあります。にもかかわらず、民主党政府は、真の危機を国民・住民から隠し通したのです。

私たちの国の民は、あの戦争の惨禍の中からも再生してきた民です。80か所の都市を徹底的に空襲され、広島と長崎に原爆を落とされ、沖縄は地上戦の末に占領されてしまった。
しかもその過程で、成年男子の多くが戦死し、都市の住民の多くも米軍に殺されてしまいました。文字通り、日本全土が廃墟になりました。
その中からこの国の民は、憲法9条を掲げた国を再生し、戦前のファシズムを超えた民主主義を紡ぎだし、自衛隊はあっても、一度も戦闘をさせることのない国の在り方をこれまで築いてきたのです。

にもかかわらず、民衆を信用しようとはしない。いや民衆が自ら力をつけて立ち上がることを、根底において恐れている。それが今の政治家や官僚たちの姿なのではないでしょうか。
民衆が目覚めてしまえば、政治家も、官僚も、ほとんどが必要のない人種だったのだということが見えてきてしまうからです。だからこそ、彼ら・彼女らはいつでも真実を伝えることを恐れる。真実を牛耳る「権利」こそが支配の力の源だと感じているからです。

そして今、私たちが何度も確認しておくべきことは、今なお、同じことが続いているということです。
「万が一に備えて福島周辺から、あるいは首都圏から急いで避難しようとする膨大な数の人々は、いったいどこに逃げればいいのか。逃げた先からいつ戻ればいいのか。その間の生活や経済活動はどうなるのか―」
おそらく自民党もこれとまったく同じことを考えていることでしょう。そのため当時の民主党と同じように、どのような危機があっても、それを国民・住民に伝えようとしないでしょう。なぜか。逃げる手段など、まったく確保できないからです。

しかしそれは確保しようとしないからでもあります。すべての人を逃がす方策は無理でも、子どもたちの安全を優先的に確保するなど、できることは今でもたくさんあります。
そのことは不可避的に、世の中の根本的変革を伴います。民衆の壮大な覚醒も伴わざるを得ません。
為政者たち=権力者たちは、まさにそのことを恐れているのではないでしょうか。だから秘密保護法まで持ち出して、真実の隠蔽体制を強化しようとしている。

安倍首相にいたっては、真の危機を覆い隠すだけでなく、自ら自身が真の危機から顔をそむけ、忘れるために、「東京オリンピック」に奔走しようとしているようにしか見えません。真の国家の危機を見据えられない根本的脆弱性を感じます。
繰り返しますがそこにこそ私たちの直面する危機の根拠があります。危機を隠したからと言って、危機はなくならないのに、人々の力を危機の突破に集中するのではなく、危機感そのものを解体せんとしているのです。その先にあるのは国家の壊滅だけです。

このことをしっかりと押さえて、私たちは真の危機を人々に訴えていきましょう。実は危機感はすでにかなり共有化されているのです。誰もが政府のことも東電のことも信じていないか、少なくとも疑い出しているのです。
しかし自分たちに自信がない。どうしてたら良いかが分からないので、「正常性バイアス」が解けないのです。しかし各地で、避難計画をリアルに作り出せば、やるべきことも、やれることもまだまだたくさんあることが見えてきます。
その動きが活性化していけば、避難の権利の拡大にもつながるでしょう。だからこそ今、私たちは今、国をあげて、原発災害対策に取り組んで行く必要があるのです。

そのためにも、もう一度、「最悪のシナリオ」が他ならぬ政府によって描かれていたという事実を広めていきましょう!
覚悟を固めて、前に進みましょう!