守田です(20220406 10:10)

京都府知事選にチャレンジしているかじかわ憲さんインタビュー3回目です。

出馬表明を語るかじかわ憲さん 守田撮影

―組合は新しい運動の敷布団になれ!―

守田 
そうやって共闘関係を作る上でしんどかったことは?

かじかわ 
やっぱり、そういうのを個人格でやってたからね。教職員組合の中でも意義を知って欲しかったけれど、なかなか分からないものね。そこがもどかしかったかな。
でも共闘が大きくなって目に見えてきたときに「なるほどこのためやったんか」と分かってもらえましたけどね。

守田 
近しい日本共産党の方たちから何か言われたことはありますか?

かじかわ 
日本共産党の京都府委員会の方からは「馬の脚になれ」と言われましたね。「共闘を作った時に、労働組合は馬の脚になってみんなを支えろ」と。「何を言われようともみんなを神輿に乗せて運んでいけ」と。
なんだかそれが染みついてしまったんですよね。それで戦争法のときは、労働組合は「敷布団になれ」と言われたじゃないですか?

守田 
えええっ?敷布団?

かじかわ 
知らない?

守田 
それはちょっと・・・

かじかわ 
古くから運動をずっとやってきた人たちは、「労働組合は敷布団」だと。「ママの会など新しくやってきた人たちを敷布団の上に支えろ」と言われたこともけっこうありましたよ。

守田 
誰に言われたんですか?

かじかわ 
それは共産党とかそっちではないですよ。古くから運動をやってきたみなさんにそう言われたことがあって。

守田 
うーむ。それはなあ。ちょっと・・・

かじかわ 
確かにね。初めは組合員も覚悟ができてるんです。それならやろうと。でもだんだんと拗ねる人もでてきてねえ。

守田 
そりゃあ、拗ねるよなあ。

かじかわ 
「自分たちはいつまで経っても陽があたらないんですか」と言われたことあるしね。「縁の下の力持ちならずっと陽があたりませんね」と言われたこともあってね。
そんな思いをずっと胸に抱きながら、福ちゃん(福山和人さん)なんかとも一緒に共同をやって、それでどうしても地域にいくと新しく作られてくる共同に心が躍るわけです。
でもその一方で、気が付いたら「新日本婦人の会」とか、「京都建築労働組合」とか、長く頑張ってきた組織が、どこか「いろいろなことをやって当たり前」にされてもしまっている。それにはね。ものすごく悔しい思いも重ねてきましたね。

かじかわ、福山、守田で鼎談 本当によく息が合いました・・・。左京連絡会撮影のビデオから

守田 
よう分かりますわ。そんな思いをさせていたなんて申し訳ない・・・。

かじかわ 
それがふっきれたんが、この間のつなぐ京都の会議でね。「もはや労働組合の時代になった。表に出て」とみなさんに言ってもらえて、「候補への推挙が欲しい」と指さされた時に、「時代やな」と。
「こうやって下積みをしてきたら信頼を得られるんやな」と思って、深い思いに包まれてね。家に帰ってからほんまに嬉しくて酒を飲みまくりました。

守田 
そうですか!ああもう、みんなに伝えなくては。

かじかわ 
これだけの共同を作り、一緒にやって、だけれどもそれは下支えのものなんだよと思ってやってきて、ここまで来たなと思いましたね。

守田 
素晴らしい。ありがとうございます。

かじかわ 
それで大方腹をくくったのだけど、それを京都総評が「受け止めよう」と言ってくれた時に泣けたね。
長い話をしましたけど、そういう悔しい思いや、連合に泣く泣く行った仲間の思いも全部抱えて今回は立つと。そういう感じかな。

守田 
ああ、いいなあ。

―阪神大震災の時に感動して泣けた―

かじかわ 
本当に地殻変動だなと思ったのは、福島原発事故後の首相官邸前のデモですね。これは新しい何かが始まったとすごく実感できた。

それともう一つ、感動して泣けたのは、あ、実はようあっちこっちで感動して泣いてるんですけど、それは阪神大震災の時やった。
その時に尼崎にあった教職組合がまだ大丈夫、そこまでなら水を運べると聞いて、若いもんと一緒にヘルメットかぶってトラックをレンタルで借りだして、滋賀にいって、高教組で水やら毛布やらを集めて歩いて、尼崎を目指したんですよ。
それで途中の店に立ち寄ったら、「いかはるんやね」ということで、売れ残りのパンやら全部ほうりこんでくれて、満載のトラックで尼崎に着いたんです。
いまだに言ってくれるのは「あのときに一番にかけつけてくれたのはあなたたちだ」と言うことです。そんなことは考えもしなかったけれどね。

それで体育館の後ろからそっと入って荷物を渡して、帰ろうとするときに、路肩で車を止めて、そこで夜明かしをする子どもの姿を見たんです。
親父が返ってくるのを待って毛布を車の中に敷いてしわを伸ばしていた。「ああ、この子どもたちに何ができるのか」という思いで現場を後にした。
そうしたら全国からたくさんのトラック、共産党の小型の宣伝カーなんが2号線にずらっとならんで救援に駆けつけてくるのですよ。
それを見ながら空のトラックで帰りながら、子どもが毛布を伸ばしている姿と救援に駆けつけてくるトラックの姿が重なって「この国は捨てたもんやない、立ち直れる」と思ったね。泣けたね、あの時は。

みやこメッセの演説会の時に阪神大震災の時のことを思い出して涙するかじかわ憲さん 守田撮影

守田 
阪神大震災のとき、僕もとりあえず集められるだけのものを集めて現場に持っていきました。

かじかわ 
神戸ではその後も医労連のみなさんが、電線が垂れ下がっている中を班を作って医療訪問をしたんですよ。
京都新聞の労働組合が、神戸新聞と京都新聞をつないで、京都新聞が神戸新聞号外を印刷して、神戸で配られましたが、その号がいまもありますよ。
その後も何回も神戸に行きました。三宮の地下街で地震にあったし、西宮の小学校にもずっといました。
そのときに連合のゼンセン同盟のチームと一緒になったんです。向こうチームの代表と私が話をしたら、向こうが「京都教職員組合がずっと出している新聞を知っています」と。こちらが「ゼンセン同盟がこういうときのボランティアで優れていることを知ってます」と。「だったら夜回りは混合チームを作りましょう」ということになり、教職員組合がリーダーになり、ゼンセン同盟の若い人とコラボで班を作って夜回りをしました。そういう形で現場で共闘したんです。

守田 
ここでもまた共同を作り上げている・・・

かじかわ憲さんと西村健太さんとでガッツポーズ 守田撮影

―かじかわ憲は災害に強い、五感から動いていく―

かじかわ 
その後からね、ボランティア三昧なんですよ。東北にも行きましたし、熊本もいきましたし、呉にも行きましたし。岡山の真備町にもいきました。救援が必要なところには行く。福知山の洪水のときは現地貼り付きでみんなを入れました。
そういう現場に行くと、「あの家からあのときあれを運びだしたなあ」とかの記憶が蘇ってきます。「阪神大震災のときは屋根裏からやっと仏壇をみんなで運び出したんやで」とか、とにかく災害の場では、悔し涙を流した人をぎょうさんみてきました。
「そこに行政の力がこう入らなあかん」とかなんぼでも思いましたね。僕らボランティアができることには限界があるんですよ。なんぼ頑張っても、ボランティアではね。あとは行政がやらなあかんって思ったもんね。
「災害に強い」というのはどういうことなのか、行政が何をしなければならないのか。ホンマに何度も現場で見てきたからね。これは一つの私の政策の大きな柱なんですよね。それをもっと言わなあかんな・・・。

守田 
それはすごい強みですよ。もっと宣伝しなくちゃ

かじかわ 
例えば福知山の水害のときに、町内会までずっと入ってね。うちの総評の若い部隊を連れていってね。「ここまで水が来ました」とかそんな話をしました。
いまでも現場にいったら「ここはよくこれだけ復興したなあ」と思うところがたくさんあります。家を一戸、みんなで洗ったりしたからね。

由良川沿いも全部入りました。教職員組合でどこまで車が入れるかみんな調査してくれて、どこの学校が水没、そこが助かっていると、夜遅くに電話をいれてくれた教職員組合の仲間もいました。
それでちょうど府教委と労使の交渉をやっていたのですが一時休戦。「こちらの情報を全部渡すから、そちらの情報も全部欲しい。それで学校再開を共にめざそう」という話をしました。
教育委員会が水没している状況も、全部うちの宣伝カーで調べに入って確認して、それで教育委員会が前線基地を綾部高校におくという連絡をいただいて、うちと連携したのです。

守田 
共同の相手が行政にまで広がっていったわけですね。僕も丹波篠山市で原子力災害対策検討委員会を行政の方たちと一緒にやってきたからその大切さが良く分かります。
しかも2019年の災害で東日本で71河川が決壊して300か所以上が氾濫して、そんなことがまたいつ西日本でも起こるかも知れない。今後ますます問われていますよね。

かじかわ 
そう。それでそうやって行政ともコラボしながら調査に入ると、その先で何が起こっているか、全部イメージできたね。
私は行政の仕事をやるときには五感が大事だと思うんですよ。災害が起こった時に、匂い、手触り、そういう皮膚感覚がとても大事で、それは現場にいかないと分からない。「あの泥がついたらとれないぞ」とか。匂いも染みつくんです。
ちょうど牧場が流されて、堆肥ごと由良川に入ってしまったので、車にもその匂いが染みついた。後で洗って匂いを落とすのが大変でした。
そういう経験から言えるのは、五感で行政が動くときは強い。数字でやったら弱いということです。土木事務所が現場になければならないのはそういうことです。

守田 
そうです。僕も人間の五感、六感も含めて、現場に立って得られるものはとても大きいと実感し続けています。現場にいかなくちゃなんです。

かじかわ憲はグリーンリカバリーも掲げています

―京都子どもネットの立ち上げ―

かじかわ 
もう一つ、大事な共同を作ってます。子どもの貧困問題。「京都子どもネット」というのを作ってます。そのメンバーもいます。弁護士から児童相談所、教職員組合はもちろん、その運動をやってきた人たち。冊子も出しています。
そのときにグループ組んでやってきて、福島がああなったときに、そこのグループの人たちと調査に入ったんです。それで福島の人たちとも深くつながっています。

守田 
調査はどんなことを?

かじかわ 
災害が起こった時に子どもの中に起こる状況、それで公の役割、学童や児相の役割を検証してみいへんかということで、報告書作って持って行ったときに、ちょうど6年経ってたんです。
震災のときに小学校に入った子どもたちが中学校に入るようになっていた。そういう曲がり角にいるこどもたちの状況を再度聴きました。災害の中に置かれた子どもたちの状況を、神戸の例からも聴きました。

学校の役割。避難所と簡単に片づけたらいかん。子どもたちがその中でどういう活動していくのか。復興の中で主役になっていくのはどういうあり方かと言う議論をやりましたね。
親が国保が払えない。子どもが医療費がもらえない。子どもの無保険を作ったらいかんと主張して、朝日新聞がそれを取り上げて、「子どもの無保険」という言葉を作り、それはダメだと語る中で、いまは親が保険を払えなくても子どもは救済されるようになりました。

守田 
全国で?

かじかわ 
うん。

守田 
すごいな

かじかわ 
その時の世論作りを一緒にやった。それまでは学校の側が子どもの貧困がどういうことが把握できてなかったんです。子どもの忘れ物とされてきた。「給食費を忘れてます」と。
そうじゃなくて、お金を持って行けない子に寄り添うと言う姿勢が、教職員組合も不足していました。そんな子がたくさん出だした時期があったんですよ。教組にもどってきた最初です。

憲法平和ネットをやりながら、もう一方でそれをやっていた。京都で全国教育研修集会をやったときに、夜にその子どもの貧困問題についての企画をやりました。
子どもを真ん中において、子どもに関わるあらゆる専門家が一堂に会する必要があると言う主張を作りました。それに惚れて政策化をしたのが本田久美子さんです。
だから彼女は、子どもを真ん中において、そこに起こることを行政が一括してやるシステムがいると主張したわけです。
これを捻じ曲げてリストラに使ったのが門川市政やった。子どもはぐくみ局、そのもとで汚職腐敗までいきよった。とんでもない間違いを彼らは犯したと思う。

僕らが目指したのは汚職腐敗の温床なんじゃない。子どもを真ん中において、学校や福祉施設や弁護士や児童相談所が、あらゆる問題を一気に解決していける道筋を作りたいという思いやったんです。
だからコロナの保健所役割が見えるんです。

続く

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