守田です。(20130222 15:00)

2月12日のことになりますが、京都で脱原発のため、あるいは環境全般を守るために、精力的で多彩な活動を展開している京都のNPO、環境市民さんに除染活動についてのインタビューを受けました。環境市民さんのHPをご紹介します。

環境市民
http://www.kankyoshimin.org/

この内容を、同会の「環境Channei」というネット番組で流してくださっているので紹介します。また動画をみる余裕のない方のために、インタビューのガイスト(骨子)の書き起こしを加えました。以下、ご覧下さい。

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除染について考える
パーソナリティー 同会理事 下村委津子さん
ゲスト 守田敏也
2013年2月12日収録
http://www.youtube.com/watch?v=UkdopPDwPeo&feature=youtu.be

-杜撰な除染が明らかになったがどう思うか

除染がいい加減に行われていることが明らかになったことには社会的な意義がある。
しかし抜本的な問題は、除染が可能なのかどうかという問題だ。
もちろん、除染には出来るところと出来ないところがある。実際に行われているのは飯舘村の山林など出来ないところが多い。こういうところでは業者の対応もいい加減になりやすい。
そのためすでに環境省に市民から報告や抗議が寄せられていた。それが新聞で取り上げられたに過ぎない。
問題の根本は、末端の業者さんにあるのでなくて、無理な除染を行わせている政府や環境省の側にある。マスコミはそれを書かないので残念だ。

-国ができない除染させていることには何の理由があるのか

事故を小さく見せることだと思う。とくにたくさんの人がそこに住めなくて避難している。その方たちに戻れるという幻想を与えたり、酷い場合には実際に戻している。そのために出来もしない除染が行われている。

-実際に住んでいる人もいる。そこでの除染についてはどう考えたらいいのか

除染は放射性物質を消し去る行為ではない。どこかに移動することしかできない。「移染」と言った方が正しい。そのため汚染物質の量や状態によってできるできないが決まる。その仕分けがまったくされていない。
汚染を山だと考えると、裾野のではやることできる。ところが今は山の頂上あたりで行っている。例えば飯舘村を本当に除染するのなら、激しく汚染されている山の木をすべて切り倒さなければならない。しかもそれをどこかに移動しなくてはならない。現実には不可能だ。

-飯舘村の人から見れば、いつかは戻れると思わされているのでは

村の方々の間にはいろいろな意見があると思うので、代弁することはできないが、アンケートなどを見ていると、「もう戻れないだろう」「もう戻らない」という声がどんどん増えている。現実が見えてきている。そういう方にとっては「戻れない地域だ」とはっきりした方が、次の生活に向かいやすい。
とくに全村避難となった飯舘村と違い、福島市内などからの避難は自主避難であり、経済的な負担が余りに大きい。多くの場合、母子避難で、お父さんが高線量地帯に残って、生活を支えるために働いている。いろいろな負担が重なっている。戻れないことが明らかになれば補償が得られる。

-除染では、処理しなければならないものが新たにたくさんできているのでは

そのとおりで、汚染された土などはどこかに集めて管理しているが、除染に関わった人の衣服、手袋などの処理がとても曖昧になっている。
そもそも除染のもうひとつの問題は、除染がとても危険な被曝労働であることだ。そのままではそこに住めないものがあるから、どけにいく。自ら汚染物質に近づいている。原子炉の中の労働が、外に出てきてしまったようなものだ。
それが何らの専門的な知識もなく、対策もないままに、市民の方が参加させられたり、かき集められた労働者の方々がさせられている。とても深刻な被曝労働になっているが、これもマスコミはきちんと書かない。書いてくれているのは東京新聞だけだ。

-子どもたちが住んでいるわけで、お父さん、お母さんが少しでも放射線値を下げたい気持ちはわかる。しかし先に、本当にそこに住んでいいのかをはっきりさせるべきだ。それがなされないことが悔しく思える。

確かに悔しい事態だ。自分も除染に関わったことがある。福島大学と京都精華大学の合同チーム(放射能除染・回復プロジェクト)が行っている、可能な、あるべき除染のあり方を探る活動だった。
自分が行くと、そこには子どもが歩いている。その子を避難させることは自分にはできない。だとしたら、その子を守るために少しでも放射能を減らしたい。たとえ住めない地域であったとしても、放射能がたくさんあるよりは下がったほうがましだ。そういう気持ちから除染をしようと思うのはとてもよくわかる。
ところが除染をして「それで安心して暮らせます」と言われるとなんとも言えない。「申し訳ないけれど、ここは住むことができないところです」と言わざるを得ない。

-前には原発は安全だと言っていたが、今は放射能は(少しなら)安全だと言っている。

今、現実にあることは、放射線管理区域が広がっていることだ。この区域は、飲み食い、寝ること、18祭未満の者を連れ込むことが禁止されているが、福島駅周辺が全部、この値になっている。そこに住んでいて問題がないというのであれば、レントゲン室の管理などは一体どうなってしまうのか。
どう考えたって、今まで危険だと言われてきたところが、安全だと言い換えられている。そこに住んでいる人たちもそれを知っているので、心の中では不安だと思っているはずだ。その不安自身も身体に悪い。

-なぜ国は、ここは一刻も早く避難すべきことだと言わないのか。国民を守るのが国ではないのか。

原発を守るためだろう。国民の命よりも、自分たちの権勢を優先している。そのために原発を維持してきた。原発の維持のためには安全だと言わなくてはいけないから、安全対策をしてこなかった。この大きな矛盾に対して、市民が意識を覚醒しなくてはいけない。

-本当に必要な除染はどこであるかを考えなくてはいけないのでは。

必要なところと可能なところを考えなくてはいけない。可能なところとは、汚染が低いということと同時に、除染は非常に危険な被曝労働であるから、作業する人を守れる環境なのかということも大きなバロメーターだ。
実際に福島大学と京都精華大学の友人たちが、2011年5月に福島市で除染活動の調査を行ったときのことだが、福島駅から2~3キロのところで、150μSv/hという放射線を出しているところを見つけた。学校の通学路でその横を子どもたちが通っていく。これは即座に除染しなくてはいけないということで、放射性物質が付着している雑草を刈り取り、泥をすくって、近くの畑に埋めた。
もちろん放射性物質を畑に埋めていいのかと言えばいいはずがない。しかし近くを子どもが通っているのでせめて離さなくてはいけない。緊急除染だ。それで畑の持ち主の許可を得て埋めた。ところがその活動に関わった友人たちの多くに体調不良が出た。
福島大学の友人は、原因不明の全身の筋肉痛になった。原因が分からなかったし、参加者の一人が「破傷風の可能性があるのでは」というので病院で精密検査をしたが、何も異常は見つからなかった。現代医学で異常が見つからないのは被曝の症状としてよくあることだ。他の友人たちにも聞いてみたら、口内炎ができたり、下痢を起こしていた。
そのため今、除染に関わっている方は、ぜひとも危険性を十分に認識して、自分の身体を守って欲しい。同時に汚染物質を自分の家に持ち帰ることのないようにして欲しい。このことも除染ができるかどうかの大きな条件だ。

-今も危ない人たちが住んでいる人たちに何ができるかを考えると、政府にもっと真実を語ること、避難を促進することを求めなくてはいけないと感じた。また話を聞かせて欲しい。

以上