守田です(20210610 21:00)

● 歴史の捉え返しの中から真実が紡ぎだされていく

ETV特集「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」の文字起こし3回目をお届けします。

今回はそれぞれが過去を、歴史を捉え返し、沈黙を破ってきた過程が描かれています。まずは沈黙の背景にあった、キリシタンと被差別部落の人々の捉え返しが進められていることが描かれています。
もともとは被差別部落の人々もキリシタンでした。しかし江戸時代、キリシタンへの弾圧が始まると、被差別部落の人々は仏教に改宗し、長崎奉行所のキリシタン取り締まりにも関わるようになりました。
この対立の歴史に学ぶ勉強会が、カトリック信者と被差別部落の人々の間で合同で行われたのです。ここで西村さんと中村さんは初めて出会いますが、中村さんは先祖のしたことをキリシタンの方たちに謝罪します。見ていて胸が詰まりました。

キリシタンの側からも沈黙を打ち破る動きが出てきます。きっかけになったのは1981年のローマ教皇、ヨハネ・パウロ二世の長崎訪問でした。教皇は「戦争は人間の仕業だ」と言われた。多くの長崎のキリシタンの方が目を開かされたと言います。
「原爆も人間の仕業なのだ」・・・それは永井隆博士が述べた「神が浦上に原爆を落とした。浦上は生贄の子羊となった。怒ってはならない、喜びなさい」という「呪縛」の言葉を解くもので、多くのクリスチャンの方の原爆体験の証言の開始につながったそうです。
中村由一さんも積極的に差別のことを話し続けています。大阪貝塚市の中学校と20年以上、交流し、体験を語られていますが、そのシーンが番組の中にもあります。ご自分の小学校の卒業証書をめぐるお話など、胸に迫るものばかり。
番組の最後に、2017年夏、浦上部落と浦上天主堂で行われた慰霊祭が映し出されました。沈黙を破って語られてきた言葉をいかに私たちが受け継ぐのか。「重い問い」だと番組は最後に問題提起して閉じています。ぜひご覧下さい!

なお長崎の沈黙を破ることに大きな力を発揮されたヨハネ・パウロ二世は、この訪問の後、旧ソ連邦が崩壊する過程で重要な発言をされ、「社会主義の害悪」が崩れることに貢献されるとともに、新自由主義が強まる現代資本主義への警鐘もならされました。
そのときアドバイザーとなって教皇を支えたのが我が恩師、宇沢弘文先生でした。宇沢先生は、教皇が広島・長崎で語られた歴史の捉え返しも含んだ感動的な演説をさして「あれこそ社会的共通資本の考え方なんだね」と何度も僕に教えてくれました。
そのヨハネ・パウロ二世の訪問が、永井博士の呪縛を説き、ナガサキの痛み、悲しみを未来に向けて解き放つきっかけであったことに深い感銘を覚えました。核と戦争を許さない道を、これからも、みなさんとともに歩み続けたいです。

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ETV特集「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」
2017年8月12日放送 デイリーモーションの動画より
https://onl.tw/ySqWD77
文字起こし3回目 39分05秒あたりから

ナレーション
7月16日、浦上のカトリック信者にとって忘れることのできない大事件から150年を迎えていました。
浦上四番崩れ。江戸時代の末、3400人もの潜伏キリシタンが捕らえられ、全国に流罪になったのです。

この大弾圧の背景には、浦上のキリシタンと被差別部落の人々との対立がありました。
今、浦上ではその対立の歴史を見つめ直そうとしています。カトリック信者と被差別部落の人々の合同の勉強会が開かれました。
西村(勇夫)さんと中村(由一よしかず)さんは、この勉強会で初めて顔を合わせました。

中村さん「浦上で生まれて、部落で生まれて」
西村さん「ほう。どこよ」
中村さん「浦上町という被差別部落の中で生まれました」
西村さん「あ、そうですか」
中村さん「それで原爆で」
西村さん「町ごと」
中村さん「はい。町ごとやられました」

二人は「浦上四番崩れ」の発端となった場所にやって来ました。
1867年、秘密の教会で祈りをささげていたキリシタンたちが長崎奉行所に捕らえられます。

案内者
「ここで被差別部落との関わりが出てきて、部落の人たちが動員をされて、その人たちが襲った場所です」

キリシタンの迫害に被差別部落の人々が関わっていたのです。なぜ両者は隣り合って暮らしながら対立する関係になったのでしょうか。
もともと浦上の被差別部落の祖先も江戸時代の初めまではキリシタンでした。しかしキリシタンが弾圧される時代になると、被差別部落の人々は仏教に改宗します。
やがて一部の人々は、長崎奉行所のキリシタン取り締まりにも関わるようになったのです。

差別を受けた人々に深い関心を寄せてきた作家の高山文彦さん。
キリシタンと被差別部落。二つが対立した複雑な歴史が戦後の沈黙の背景にあると考えています。

高山さん「二つの浦上がありました。この二つの浦上の人々は、時の権力者によって、ある種利用されたところもありました。
それによって加害者、被害者の側に立たされて、長い間、血で血を洗う抗争もあり、ずっとそれ以降は沈黙をしてきたんですね。常にここは被害と加害が混在してまして、それがずっと繰り返し行われてきた。
従って沈黙は、そういった長い歴史の中で醸成されてきた被差別的な風土が、さらに原爆によって助長されたと。倍加された。それ故に強いられた長~い沈黙、そして深~い沈黙であった」

長く分断されていたキリシタンと被差別部落。
浦上を歩いた中村さんと西村さんは、お互いの歴史を確かめ合いました。
中村さん「もう同じ、何というかな、えーっと、私の方の先祖が捕らえる身であったんだなって。そのためにキリシタンの人たちに対して大変なことをしてきたんだなって。やっぱりそれをお詫びしなけりゃいけないなという気持ちでいっぱいです。どうも。(頭を下げる)
同じ四番崩れの中で捕らえる身と捕らえられる身の状況に、そんな人たちと今日こうして話ができること、すごい」
西村さん「先祖がね、守り通したこのカトリックの信仰・・・」

カトリック信者と被差別部落の人々は手を携え、浦上の歴史を語り伝えようとしています。
西村さん「原爆で残った人がもう寂しくなって」
中村さん「そうです」
西村さん「もういないんですよ」
中村さん「少なくなって」
西村さん「本当に気の毒。また会いましょう」
中村さん「はい、また会いましょう。会いたいです」

度重なる弾圧。そして原爆。
重い受難の歴史を背負った浦上のカトリック信者たち。
被爆体験を語りはじめるきっかけとなったのが一人の人物の来日でした。

1981年長崎を訪問したのがローマ法王ヨハネ・パウロ2世。第二次世界大戦をポーランドで体験し一貫して戦争に反対していました。
ヨハネ・パウロ2世
「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」

ローマ法王の言葉は長崎の被爆者たちの心を捉えます。
青年期に信仰が揺らいだ西村勇夫さんも目を開かされたといいます。

「人間の仕業だったのか、戦争もね。まさかローマ法王が『人間の仕業』だったんだと言うことをね。改めて何か重くなあ。
人間は何でもできるんだ。戦争もできる。平和も作り得る。なるほどな。戦争ばかりはやったら駄目だな」

「原爆は人間の仕業なのだ」。
西村さんは封印していた被爆体験と向き合う覚悟を決めます。
この時、西村さんの心を捉えたマリア像がありました。焼け落ちた浦上天主堂にただ一つ残されていた「被爆マリア」です。

「見るたびに、あ?、マリアさま、原爆に遭いましたね。原爆に遭われて同じ苦しみがあった。マリアさまのね、私は瞳を見て、まなこがね、なんとも平和を求めておられるな。まなこに吸い込まれそうになる」

家具や内装を手掛ける職人になっていた西村さん。自身の工房で被爆マリアの彫刻をはじめました。
それを手に世界各地を周り、長崎の受難、自身の体験を語るようになったのです。

スペイン北部の町、ゲルニカ。4月、西村さんはこの街を訪れました。1937年、ゲルニカは史上初めて無差別爆撃を受け多くの市民が亡くなりました。
ピカソの絵で知られたその爆撃から今年が80年の節目にあたります。
4月26日、ゲルニカのサンタマリア教会。犠牲者への追悼ミサが開かれました。西村さんは4ヶ月かけて彫り上げた被爆マリアを奉納しました。
神父
「被爆マリアに感謝します。二つの街が兄弟のように感じました」

同じ無差別爆撃を受けた長崎から来た被爆マリア。ゲルニカの人々は自分たちの苦しみを重ねていました。
ミサ参列者
「世界では戦争が続いています。願いを共有しなければなりません」

浦上の体験を伝えたい。中村由一さんは、長崎を訪ねる若い人々に、積極的に語っています。
大阪貝塚市の中学校とは20年以上にわたって交流を続けて来ました。

「長崎の浦上という所に浦上町という被差別部落があったんです。その浦上町という被差別部落が私のルーツになりますから。
だからおばあちゃんは『絶対に浦上から来たということは言ってはいけないぞ』、おばあちゃんが母に注意をします。母も兄も唇にチャックをしてしまわなければいけない。おばあちゃんたちも差別を受ける事になりますから」

由一さんは、被爆後に通った小学校時代のことを語りはじめました。
「はじめ中村由一という名前を呼ばれていたんですけども、『原爆』という名前が私の『中村由一』の代わりです。
今でこそ『差別』という言葉、『いじめ』という言葉があるんですけども、その当時は「いじめ」も「差別」も、言葉もありませんでした。その時に卒業式を迎えたんです。
『あなた、中村由一になって下さい。』
それまであなたは「河童」や「ハゲ」や「原爆」があなたの名前でした。ところが6年生になって担任の先生が私に言った名前は『中村由一』
私は立たないというよりも、立てなかったんです。だって私の名前じゃなかったから。
私は『ハゲ』だったら返事をして立ってます。『原爆』だったら返事をして立っています。でも担任の先生は私を『中村由一』と呼んだ。私は立たない勇気を選びました」

由一さんはそれでも卒業証書を受け取ります。しかし同級生はそれを取りあげ目の前で破りました。由一さんは必死の思いで取り返したといいます。
「その卒業証書をもらったときに、何と思ったのかって言えばこの卒業証書は母ちゃんの卒業証書です。私のじゃない。
母ちゃんが私を学校に出してくれるために、土方作業をして働いて働いて母ちゃんは、私を妹たちを学校に出してくれたんです。差別の中を戦った母であるということを。
『母ちゃんの卒業証書ですから』。私はそう言って母ちゃんに渡しました。

私は皆さん方、一人一人に聞きたいのは、この世の中に、差別をいじめを本当に無くすことができるのかどうか。
皆さん、どう思いますか。差別やいじめがこの世の中から消えてしまうことが本当にできるのかどうか。どう思います?
私ははっきり言います。なくすこと、できると思います」

8月9日。
浦上では二つの慰霊祭が行われていました。

中村さん
「新たな被爆者を出させないという誓いを新たに、今後二世三世中心に、被爆体験の伝承を広げていかなければなりません。」

浦上天主堂では、原爆で犠牲になった人々を追悼するミサが行われました。

戦後72年、差別を乗り越え、生き抜いてきた浦上の被爆者たち。
その言葉をどのように受け継いでいくのか。重い問いが投げかけられています。

語り 加賀美 幸子
取材協力 部落解放同盟長崎県連合会 長崎郷土振興会 NPO法人長崎人権研究所 長崎原爆資料館 長崎市永井隆記念館 惠の丘長崎原爆ホーム 深堀繁美 深堀好敏 長門充 長門実 川口昭人 山口渉 林田光弘 近藤さやか 宮崎懐良 宮崎善信
資料提供 米国立公文書館 「反核・写真運動」 ゲルニカ平和研究所 勉誠出版 解放出版社
撮影 新田和洋 金丸由宗
音声 安田英智 小崎修司
映像技術 島田隆之
音響効果 細見浩三
リサーチャー 長峰麻妃子
取材 岡田亨 村田潤
編集 松本哲夫
ディレクター 渡辺考
制作統括 山中賢一 塩田純

連載終わり

#原爆と沈黙 #長崎浦上の受難 #浦上四番崩れ #キリシタン #被差別部落 #ヨハネ・パウロ二世 #宇沢弘文 #社会的共通資本

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