守田です。(20121024 07:00)

詩を三編、ご紹介します。

***

バイアスを越えでて

人は自らの思いや
行いことに合わせて
容易に認識を
加工する

前々から知っていた
この事実に
嫌というほど直面したのが
この19ヶ月の日々だった

人はそこにいたければ
そこを安全だと見なそうとするし
それを食べたければ
大した害はないと考えようとする

懸命に飛びついても
採ることのできないブドウが
次第に酸っぱく
見えてくるのと同じだ

このある種の
「認知機能」は
バイアスと呼ばれる
それは生活の知恵でもある

大事なのはバイアスが
心の防衛機能でもあるということだ
だから正しい認識を
ただ対置してもだめなのだ

認識を変えるのには
心の支えがいる
でもだとすれば支えがあれば
認識は容易に変わりうるはずだ

だから今
言葉たちは
人の心に向けて
発せられなければならない

脳に対してではなく
胸に向けて
知ではなく
熱をもたらさなければならない

そうして心が
勇気に充たされたとき
人は認識の枠組みに
ようやく手を入れることができる

バイアスを笑うことなかれ
バイアスを厭うことなかれ
求められているのはそれを
必要としている関係性の打破だ

人々をして
真実に向かわしめるのではなく
人々の一員として
真実をともに創造せよ

強くなることによってではなく
優しくなることによって
バイアスを君とともに
越えでていこう

20121023

説得

君の心の中に
不躾にも僕は入っていって
それで好き勝手なことを
喋りまくり
色々なことを
たきつけたりしているのだが

一つ言えることは
僕は君の目を見て
その奥にある光をガイドに
喋っているのでもあり
だから実は
一方的に喋っているようでありながら
随分、喋らされても
いたりするということで

だから
責任を取らなけければいけない時は
僕の言葉を僕に帰属させてもらって
全く構わないのだが
何か僕の言葉に
打たれてくれるものがあるとするならば
それは君の中にもともとある
何かであることだけを
知って欲しいと思う

アプリオリなものへの
後天的かかわり
少々味気ない言葉だが
そんなところに
関わりのポイントというのは
やはりある

だからそれは創造のようで
創造ではなく
発掘のようで
発掘ではない

では何かという問いに
答えねばならないのならば
それはかのギリシャの
偉人が述べたことだと
そう言う以外にないだろう

そういうわけで
僕は相変わらず不躾に
君の中に入っていくのだが
僕は実は君の君に対する関わりの
水先案内人にすぎない

そのことを知ってもらって
まあ偉そうな口ぶりに関しては
大目に見てもらおうというのが
僕の魂胆だというわけだ

19990607

能力

人を愛することは
素晴らしい
恋焦がれるほどに
愛することは
もっと素晴らしい

実際のところ
快活な速度で
野山を駆け巡ることや
美しい声で唄えることが
ひとつの
人間的能力であるように
人を愛する力もまた
まごうことなき
一つの能力なのだ
それゆえ
人に恋焦がれるとき
その能力は
実に伸びやかに
発達していく

だから君は
大いに人を愛すると良い
恋焦がれ
身をよじることが
できるほどならば
それだけ君の
人間的力は
高まってゆく

そうして君は
情熱の中で
あるいは歓喜を
あるいはほろ苦さを知り
人生の断面の鮮やかさに
魂を磨くことになる

君は人を愛することで
君自身を育てる
誰もが
愛される存在から
愛する存在者へと
転換していくように
君もまた
育てられる存在から
自らを育てる存在者へと
立場を入れ替え
そのことができて初めて
人を育てる側に移行していく

だからまた
もし、君が今
人を失って
悲嘆に暮れているのならば
少しだけ冷静になって
その痛みもが
君を磨いていることを
知るといい
人を失う経験もまた
この能力の造成のためには
不可欠な
一コマでさえあるのだ

人に対して
能動的に生きる
だから己に対して
肯定的に生きる

ああ
人生はかくも素晴らしい

19991021
20121024改訂