守田です。(20160810 11:30)

前回、広島市の済美学校の慰霊碑に刻まれた峠三吉の「墓標」という詩を紹介し、僕なりの解釈を披瀝しました。
その中でこの詩には子どもたちを守り切れなかった大人としての悔恨の思いも込められているように感じたことを述べました。

この記事を始めて読まれる方のため、ここでもう一度、この詩を記したサイトをご紹介しておきます。

峠三吉『原爆詩集』「墓標」 (広島文学館web)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TOGE/TogePoems.html#12

僕はこの詩を読んで、子どもの痛みに寄り添おうとし、子どもたちを救うことのできなかった自分を含んだ大人たちを厳しく問おうとする作者の思いを感じ、強く共感しました。
前回、そのことを書いたのですが、僕がそう思ったのにはわけがありました。広島に向かう直前の4日夜に、琵琶湖のほとりで行われていた子どもたちの保養キャンプに参加していたからです。

キャンプの参加者の子どもたちの多くは宮城県南部から来ていたのですが、その子どもたちに僕は、原発と放射能の恐ろしさと、命の守り方を教えました。
小学生たちが多くいましたが、~いつものことなのですが~僕はあえて大人にするのと対して変わらないレベルの話をしました。
注意するのは低学年の子どもたちが知らない単語を使わないようにすること、それは子どもたちへの礼儀だと僕は思っています。

そうしたら子どもたち、毎年のことではあるのだけれど、すごい集中力で食いついてきてくれました。一日中、琵琶湖で泳いだあとで疲れていたに違いないにも関わらずでした。
しかも講演後も小学校2年生と4年生の女の子たちから質問を浴びせかけられました。
スタッフとして参加している専門学校生と大学生のお姉ちゃんたちがフォローで参加してくれたこともあって、いつまでもやりとりが続きました。

福島原発による放射能被曝の中におかれている子どもたちと、広島原爆で殺された子どもたちの受けた被害には非常に大きな差異があります。
それを一緒にすることはできないし、してはいけないことだと僕は思います。
でも僕は思ったのです。子どもたちの可愛さはまったく変わらなかったはずだと。
好奇心に満ちたキラキラした目、こちらが真剣に話すと必ずそれを察知して応えてくれる柔らかい感性、何よりもその限りない愛おしさ、それは済美学校の子どもたちもまったく一緒だったでしょう。

だからこそ、子どもたちの痛みに寄り添いつつ、子どもたちを失ったこと、守れなかったことへの悲しみの深みに自ら入りながら、しかしなお前を向いて子どもたちの霊に語り掛けんとする作者の姿勢に僕はうたれたのです。
彼の悲しみが胸の中に入ってきて、握りしめたこぶしの力が手に写ってきて、そうして僕はどうしようもなく心が熱くなっていくことを感じざるを得ませんでした。

さらに後半を読み進めるにつけ「そうなのか」と心に染み入るものがありました。
詩をみれば明らかなように、これは朝鮮戦争の最中に書かれているのです。いやより正確に言うと、朝鮮戦争反対運動の最中に書かれています。
峠三吉は、新たな戦争の遂行を、亡くなった子どもたちへの冒涜ととらえ、自らが必死に反対運動に飛び込んで奮闘していることをここで彷彿とさせています。そしてこう綴るのです。

負けるものか
まけるものかと
朝鮮のお友だちは
炎天の広島駅で
戦争にさせないための署名をあつめ
負けるものか
まけるものかと
日本の子供たちは
靴磨きの道具をすて
ほんとうのことを書いた新聞を売る

こうしたくだりは峠三吉の詩が、今なおまさにリアリティを持って私たちに迫ってきていることを僕に感じさせました。
なぜかと言えば、71年前、広島に原爆を落とし、今なお、一切の謝罪をしていないアメリカは、まさにその後の71年間、世界中で戦争を続けてきたし、今も行っているからです。

今日、そのアメリカが行ったアフガン戦争やイラク戦争のために、中東の安定が根底から失われ、戦乱が広がっています。
シリアでイラクで、さまざまな政治勢力が入り乱れた戦闘が行われ、常に庶民が、犠牲になり続けています。
この地獄を逃れようと、毎日のようにシリアから人々があふれ出し、エーゲ海を渡ろうとして次々と海に没してしまってもいます。
いやこうした戦争だけでなく、アメリカは、度重なる核実験でも、もの凄い数の人々を被曝させ続けてきました。

負けるものか
まけるものか

それは現代の私たちが常に呟き続けてきた言葉です。峠三吉の「済美小学校」の子どもたちの霊に捧げられたこの詩はそのまま現代のアクチュアリティに繋がってくる。
そう、僕らは負けるわけにはいかないのです。

作者は最後にこの詩を次のようにくくっています。

君たちよ
もういい だまっているのはいい
戦争をおこそうとするおとなたちと
世界中でたたかうために
そのつぶらな瞳を輝かせ
その澄みとおる声で
ワッ!と叫んでとび出してこい
そして その
誰の胸へも抱きつかれる腕をひろげ
たれの心へも正しい涙を呼び返す頬をおしつけ
ぼくたちはひろしまの
ひろしまの子だ と
みんなのからだへ
とびついて来い!

なんと彼は、子どもたちの霊に「とび出してこい」というのです。
「みんなのからだへとびついて来い!」と。
子どもたちとともに戦争を終わらせようとする作者の願いと決意がここにほどばしっている。

そして僕自身は思うのです。
「あなたたちはもう出てきていますね」と。
「私たちの背中を押しているのはあなたたちなのですね」と。

そのあなたには、もはや峠三吉そのものが含まれているのかも知れない。
峠三吉がこの詩集を発表したのは1952年5月10日。
その10カ月後に彼は亡くなりました。
しかしこのフレーズはいつまでも消えていない。

負けるものか
まけるものか

そう。その思いはリレーのように私たちの心に繋がっています。
あの時の子どもたちは、生きていれば今はもう80歳前後。
きっと天からその後のこの国の歩みを見届け、ぎりぎりのところで私たちが平和を守ることを手助けしてくれたきたことでしょう。
そのことに感謝しつつ、私たちは目前の戦争を食い止めるための努力を続けようではありませんか。
そのために原爆被害で亡くなった方たちに思いを馳せ、痛みを心の中に落とし込み、平和への切実な思いを育みあっていこうではありませんか。

僕はそんな決意をさらに育てるためにも、いま、多くのみなさんに『原爆詩集』を読まれることをお勧めします。
ちなみにそう思って『原爆詩集』を岩波文庫から取り寄せたら、なんと2016年7月15日第一刷発行となっていることを知りました。
岩波書店でも同じことを考えられた方がおられたのですね。感謝したいです。
解説を大江健三郎さんとアーサー・ビナードさんが書いています。

ビナードさんは、戦後文学の中から最優秀詩集を1冊だけ選ぶなら、この書をノミネートする、驚くべき傑作だとした上で次のように書かれています。
「もうひとつ驚くべき点がある。日本の現代詩人や評論家の多くは、峠三吉にさほど注目せず『原爆詩集』の斬新な喚起力に気づかないまま、いまだに隅っこへと片付けようとしている点だ。」
なんとも鋭い斬り込みです。ビナードさんはそれをたいへんもったいないこととも指摘しています。

この二人の解説もお勧めです。
ぜひこの夏に『原爆詩集』を手に取って下さい。

最後に広島市における峠三吉のゆかりのスポットの紹介も記しておきます。
ご参考にされてください。

ゆかりのスポット紹介
https://www.library.city.hiroshima.jp/touge/spot/index.html

続く