守田です(20150202 21:30)

後藤さんが亡くなったことへの悲しみが続いています。多くの人が同じ思いだと思います。
今、大切なことは何でしょうか。後藤さんを忘れないことです。後藤さんの思いを引き継ぐことです。そのためにひたすら平和を願い、平和の創造のための努力を重ねていきましょう。戦争を止めるためにできることを行いましょう。

とくに中東での戦乱を止めるために私たちがなさなければならないことは、イラク戦争以来の10数年の流れの枠組みを押さえることです。
そう考えて思考を巡らせているときに素晴らしい文章、血の通った言葉にゆきあたったのでご紹介します。1月31日、後藤さんが亡くなる直前に発信されているものです。

イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと
2015年1月31日 15時4分  伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/

ぜひ全文をお読みいただきたいのですが、著者の伊藤さんは2004年4月の日本人人質事件で拘束された高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんの代理人弁護士を務められた方です。
解放までのすべてのプロセスに立ち会われたそうで、その時の経験と今回の事態の大きな違いを書かれています。
一番大事なポイントはイラク戦争後の10年余り、イラクの人々、とくにスンニ派に対してあまりにひどい攻撃や虐殺が繰り返されたにもかかわらず、超大国や国連を含み、世界中が無視を決め込んできたことです。
その中で犠牲者サイドにおかれていたイラクのスンニ派の中から、「イスラム国」というモンスターが出てきてしまったのです。

にもかかわらず、今もなおこの10年余りのイラクの流れとこれへの日本の関わり、責任に対する社会的捉え返しがなされていません。マスコミの多くも主体的に触れようとしていません。
歴史的いきさつを無視したままに「テロに屈するな」という言葉が連呼され、他方では「自己責任論」などシリアやイラクの人々に寄り添おうとした後藤さんへのバッシングがずいぶん前からなされています。
この構造はイラク戦争直後から作られてきたものです。虚偽の言葉の羅列によって、真実を覆い隠すこと。自らの罪に頬かむりし、他者をあべこべに攻撃することです。
今もこの国の中で、10年前とまったく同じことが続けられている。この虚構こそが覆されなくてはなりません。

2004年の人質事件のときも、僕は京都のムスリムの友人と共に、3人の解放に向けたメッセージを発し続けました。拘束したグループへのアラビア語の手紙を書いて、ありとあらゆる手段で流しました。
手紙はヨルダンに滞在していた日本人女性に届き、彼女がイラクに向かうタクシードライバーの詰所にもっていってくれ、そこから現場へと運ばれたらしいことが確認されています。
タクシードライバーたちはそのとき、その女性に対して「誤爆だと言いいながら俺たちの家族がどれだけ殺されたと思っているんだ」「それに比べれば誘拐なんてもっとも人道的な手段じゃないか」と詰め寄ったと言う。
彼女はそれから3日間、詰所に通い詰め、黙って彼らの怒りを受け止め続けてくれました。そうするとドライバーたちの態度が和らいでいき、最後に「分かった。手紙を届けてやるよ」という方が現れたのだそうです。

このことはずいぶん後になって彼女から直接聞いたのですが、僕は手紙が渡っていた可能性が高いと知り、手紙をメールを介して次から次へとまわしてくれた人々や彼女の努力、受け取ってくれたドライバーたちの寛容さに深く感謝しつつも、一方でとても辛くも感じました。
あの時、拘束グループは自衛隊撤退を求めていました。僕たちは「あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です」と書きました。
同時に「私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。どうか、3名の日本人を解放してください」とも書き添えました。
僕は実際にそのために行動しました。何度も平和を訴えてデモをしました。

でもイラクの人々への攻撃はちっとも止められなかった。アメリカ軍も自衛隊も長い間引き戻せなかった。努力したとはいえ、無念ながら約束は果たせませんでした。今でもそのことがとても辛いです。
小泉元首相らあやまった戦争を全面支持した首謀者が何らの責任も問われないこと、取らせることができないことに憤慨、悔しさ、責任を感じ続けています。
自らに再度、突きつけるために、当時、発信した手紙を掲載します。2004年4月のものです。

***

「日本人を誘拐したサラーヤ・アル=ムジャヒディーンのみなさんへ」

アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥ
(あなたがたに平安と神様の慈悲、そして平安がありますように)

あなたがたが行った今回の日本人拘束事件により、イラクの人々の日本への怒りはとてもよく伝わりました。日本でも軍隊を戻せという運動が起こっています。
あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です。彼らを解放するほうが、あなたがたへの日本での共感が高まります。
そして、それは軍隊を撤退させようという日本の世論の高まりにつながります。ですから3名を解放してください。

私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。
アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。

どうか、3名の日本人を解放してください。

イラクの人々に神様の祝福がありますように。
平和を愛する私たちの願いです。

***

あのとき私たちが、日本の民衆が、世界の民衆が、イラクの人々への暴力を止められなかったこと、暴力への関与を止められなかったことが、今、大変な形で世界に、日本に、私たちに跳ね返ってきつつあります。
「イスラム国」というモンスターの出現が意味するのはそのことです。彼ら、彼女らが行っていることは「報復」なのだろうと思います。残虐な暴力への残虐な暴力を持っての仕返しです。
私たちは今こそ、この暴力の構造と連鎖をしっかりとつかみ、暴力の根を断つための努力を積み上げなくてはなりません。
10年後にもっと辛い思いで振り返りたくはない。いや10年後などと悠長なことは言っていられません。今、最大限の努力を積まなければ、僕自身の命をも含むもっとたくさんの命が無意味な殺し合いの中で失われることになるかもしれない。

そう思いつつ、2004年4月18日、前日17日に3人が解放された直後、同時に3人に「自己責任論」のバッシングが浴びせられていたときに僕が発信した詩をご紹介します。集会やデモの時などに配ったものです。
自分で読み返してみて、11年後の今にもあまりに直接に該当してしまうことがなんとも悔しいです。もうこんな悔恨を繰り返さないために、みんなで「血の通った言葉」を発していきましょう。ここに紹介した伊藤さんの文章のような真実を主体的に綴る文章です。
中東の真実を広げ、戦乱と苦難の中で平和と繁栄を取り戻そうとしている中東の人々と連帯しましょう。
正義と愛のため、人間への信頼を失わずに前に進みましょう。
*****

血の通った言葉を
言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」

思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた

卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ

これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる

そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」

全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ

―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう

誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに

2004年4月18日
守田敏也