守田です。(20180119 20:00)

民衆の力―平和力を高めるための考察の6回目です。
前回はアメリカ海兵隊の訓練をみながら、軍隊とは若者を殺人マシーンに変える場であることを捉え返してきました。
今回は少し違った角度から軍隊のことを問題にしたいと思います。題材とするのは旧日本軍です。

なぜいま取り上げるのかと言うと、ご存知のように韓国新政権と日本政府間で、軍隊「慰安婦」問題への日本政府の謝罪をめぐって、摩擦が起こっているからです。
日本政府の態度は、加害者としての自覚をあまりに欠いていてひどすぎますが、しかし実は日本政府は、この傲慢な態度の中で、もっとたくさんの被害者への責任を巧妙に回避し続けてきているのだと僕には思えます。

その対象の一群が旧日本軍兵士です。僕にとってはこの点は、旧日本軍性奴隷問題に男性の立場から関わる中で見えてきたことがらです。
軍隊「慰安婦」問題の背後には、旧日本軍の構造的な虐待体質や人権が皆無だった「戦場の実際」があったのです。(ここからは旧日本軍のことを「日本軍」と呼びます)

もちろんそれで兵士たちの罪が許されるわけではけしてありませんが、多くの兵士たちもまた、残酷で非人間的な扱いを受けた犠牲者でもあったのでした。
だから僕は日本軍兵士たち、とくに一方的に戦場に送り込まれた若者たちの罪を「背負ってやろう」とも思ってきました。

そんな中で、昨年末に発行された一冊の研究書と出会い、共感しながら一気に読了しました。
『日本軍兵士―アジア太平洋戦争の現実―』吉田裕著 中公新書です。2017年12月25日発行です。

帯の裏側にこう書かれています。
「戦局悪化のなか 彼らは何を体験したのか
310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。
異常に高い餓死率、30万人を超えた海没死、戦場での自殺と「処置」、特攻、体力が劣悪化した補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏・・・。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験を強いられた現実を描く」 

著者によるとこれまでの戦後歴史学は、悲惨は敗北に終わった戦争を反省することを軸としてきました。貴重な研究が重ねられてきましたが「平和意識がひときわ強い反面で、軍事史研究を忌避する傾向も根強かった」(同書pⅱ)のだそうです。
このような状況に変化が現れたのは1990年代。それこそアジアにおける歴史認識問題がたびたび大きな争点になる中でのことだそうです。これらを踏まえて帯に解説された本書が立ち上っています。

では「兵士の目線・立ち位置」から見た旧日本軍はどんな集団だったのでしょうか。端的に言えば、長期戦に構えるだけの準備がなされておらず、なにもかもが不足している軍隊でした。
例えば序章の中で、日本軍には歯科医師がほとんどいなかったことがあげられています。戦場では口腔ケアがなかなか満足にできないため、虫歯の発生率も高いのですが、それがほとんど治癒されなかった。この点にははじめて光が当てられたそうです。

これに続いて説かれているのは、戦場で死んだ日本軍兵士たちの多くが戦闘によって死ぬ=「戦死」よりも「戦病死」していたことです。戦病死には病やケガで亡くなった場合と餓死した場合が含まれています。
統計的には1941年の段階ですでに戦死と戦病死が同じぐらいになっていたのですが、当時は「戦死は名誉、戦病死は恥」とされていたため、戦病死が戦死と報告された例もかなりあったようです。

さらに統計が残りにくいのですが、かなりの数の自殺者がいたことも明らかになっています。戦場で生き続けることに耐えられなくなって小銃や手榴弾で命を絶ってしまうのです。
この場合もほとんどが「戦死」に分類されていたようです。

これまでの研究でも日本軍兵士が戦死よりも戦病死、餓死が多かったことが明らかにされてきていますが、本書ではその実態がより深く掘り下げられています。
そもそも日本軍は食料や弾薬の配給が劣悪な軍であり、兵士たちの多くが栄養失調症にかかっていました。その状態で過酷な毎日を生きなければならないので、恐怖・疲労・罪悪感から実は多くの兵士がさらに「戦争神経症」にかかってしまっていました。

このため兵士たちの中には拒食症に陥っていくものもいました。単に食べ物がなかっただけではなく、食べられない状態になっていたのです。
兵士たちはおう吐を繰り返し、下痢になり、みるみる痩せていったといいます。こういう状態だからさまざまな感染症にもかかりやすく、けがも治りにくい。歯痛にも悩まされてますます食べられなくなっていく。

この状態で兵士たちは30キロ以上の装備を担がされていました。しかも日本軍はトラックなどが少なく、あってもすぐに故障するので、大砲の弾薬なども担がなくてはならず、場合によって40キロ、50キロを担ぐ兵士たちもいたというから驚きです。
このためいったん休憩すると自ら立ち上がれずに、裏返しになった亀のように手足をバタバタし、まわりからひっぱってもらって起き上がることが日常化していたそうです。

こうした過酷な状態の中に置かれた隊内では、さらに古参兵による若年の兵士たちへの構造的虐待が行われており、それが栄養失調症を促進する構造があったことも本書は解き明かしています。
食料の配給そのものが、古参兵に手厚く、新兵に薄いものになっていた上に、新兵たちは古参兵の身の回りの世話をさせられるため、食事の時間を十分にとれず、咀嚼をせずに飲み込んでしまい、消化不良をおこしやすかったからだそうです。

上官に逆らうことのできなかった隊内で、過酷な戦闘を生き抜き、殺人を繰り返してきた古参兵たちの中には、鬱屈したストレスのはけ口として新兵を虐待するものが多くいたといいます。
このため新兵たちは、戦闘や行軍で疲れた心身を癒すこともできない状態に追い込まれていました。

当然、行軍についていけない兵士たちが続出するわけですが、その中からしばしば自殺が発生したのだといいます。小銃の銃口を加えて引き金を引いたり、手榴弾を抱いて爆発するものが多かったそうです。
自殺と言うよりうつ病による死と言った方がより実態にあっていると思います。若者たちは、過酷な毎日に虐待が加わり「戦争神経症」となって命を落としていったのです。

先にも述べたように「慰安所」などを典型とする日本軍の性暴力の背景には、こうした虐待構造があったわけですが、実はこうした点が1938年5月に執筆された論文にすでに書かれていたことが本書で紹介されていました。
中国戦線での戦場心理の研究に関わった早尾乕雄(はやおとらお)金沢医科大学教授が執筆した「戦場心理の研究(総論)」です。

ここでは「酒癖が悪く料亭を遊び歩くような将校ほど、批判を恐れて兵士に「慰安所」に行くことを勧め、さらには強姦をけしかけるなどしている」という点が論じられていました。
ところが日本軍はこうした将校を取り締まるのではなく、あるいは「戦争神経症」対策を施すのではなく、むしろ「慰安所」を拡大することで兵士に「はけ口」を与えていったのでした。こうして日本軍による性暴力は拡大するばかりでした。

本書にはこの他、日本軍の衣服や靴がいかに粗末だったのか、このため靴がダメになって裸足になり、凍傷や死亡なども拡大させたことなど、兵士たちのおかれた日常の苛烈さがたくさん書き込まれています。
けして楽しい本ではないですが、ぜひ手にとって、当時の若者たちが辿らされた足跡に思いをはせていただきたいです。

さて本書の特徴は、このように「兵士目線」から日本軍を捉え返すだけではなく、1990年代まで欠けていた歴史の立場から戦史を主題化していることにもあります。
どういうことが捉え返されているのかと言うと、そもそも日本軍がなぜ補給がおろそかな軍だったのかということなどです。兵士の人権を無視していたことはもちろんですが、戦争遂行における合理性も欠いていたのは何故だったのか。

その点で著者が明らかにしているのは、日本軍の軍事思想が「短期決戦、作戦至上主義」に偏っていたことです。
なんと日本軍は欧米列強と長期戦を戦い抜く国力、経済力はないと強く考え、だからこそ長期戦を回避した「短期決戦」「速戦即決」を重視していたと言うのです。
だから戦闘だけを重視する作戦史上主義にも偏り、「補給、情報、防御、衛生、海上防衛」などが軽視されたのでした。

これが多くの兵士が栄養失調症や戦争神経症にかかり、無残に死んでいった構造的要因だったわけですが、だとするとそもそも15年におよんだ日中戦争から太平洋戦争にいたる長期戦など、軍事的にもやってはいけないものであったことが分かります。
もともとできないこと=やってはいけないことだったのに、無責任にも突っ込んでしまったのがあの戦争だったのです。

この苛烈な戦争への痛烈な反省が、戦後、日本中に反戦思想を根付かせ、「平和力」を生み出してきたわけですが、しかしここにはまだ大きく欠けているものがあります。
こんなひどい戦争を行ったものたちの責任追及です。本書のような研究がやっと1990年代に始まったということは、まだまだ多くの責任が追及されていないことを意味しているからです。

私たちはこの点でこそ、軍隊「慰安婦」問題被害者の訴えを聞き、おばあさんたちの思いを胸にする必要があります。
実はこの先に、多くの兵士たち、いや戦争に巻き込まれた日本人(朝鮮人や台湾人などを含む)のたくさんの被害もまた横たわっているからです。

この大事な点、私たちの人権の基礎となるものを掘り下げることで、「平和力」をもっと高めていくことが問われています。

続く