守田です。(20150422 18:00)

トルコから日本時間の16日夜に戻りました。翌17日は1日寝ていて、18日に京都被爆2世3世の会の年次総会に参加。
そして19日に朝から群馬県前橋市に向かい「アースデイ群馬inまえばし」に参加してきました。午後4時半から講演させていただきました。夜には前橋のみなさんからたくさんのお話をうかがいました。
翌20日は、東京で福島県須賀川市に自社工場のある会社の社長さんとお会いしました。何度も「明日に向けて」への手厚いカンパをしてくださっている方ですが、今回初めて福島原発事故以降の須賀川市での奮闘をお聞きしてきました。
トルコでも前橋でもさらには須賀川のことでも重要なことをたくさんつかんできましたがまだ整理中です。おいおい発信させていただきたいと思います。

なおこれらのことを連続で担っていたために、「明日に向けて」を書く余裕がありませんでした。
そのため一部の方に「守田はトルコから帰って寝込んでいるのではないか」とご心配をかけてしまったようです。
もちろん疲れはしましたが心地よい疲労で、それもだんだんに癒えています。
今回は体調を崩すこともなくいたって元気に行って帰ってこれましたし、その後にも元気に動き回っていましたのでどうかご心配なく!・・・ご心配をおかけし申し訳ありませんでした。お気遣いいただきありがとうございました。

さて表題にもあるように今回は「高浜原発に続き川内原発の運転も当然にも禁止すべきだ」ということをあらためて表明したいと思います。
というのは、川内原発1、2号機の運転差し止めを住民が求めた仮処分申請に対し、本日22日、鹿児島地裁(前田郁勝〈いくまさ〉裁判長)が却下の決定を下したからです。
鹿児島地裁は、再稼働の前提となる新規制基準や原子力規制委員会による審査に対して、どちらも「不合理な点は認められない」と語っていますが、まったく非科学的で無責任な決定であり、強く抗議します。
敗訴した住民の方たちは、福岡高裁宮崎支部に即時抗告する方針だそうですが、私たちも全力で「川内原発の再稼働も禁止すべきだ」という声を高めていく必要があります。

そのために川内原発の再稼働に向けた新規制基準やそのもとでの審査にどのような矛盾や誤りがあるのかをさらにしっかりと深めていきましょう。
今回はすでにポイントをご紹介してきた後藤政志さんの講演による当該箇所を再び文字起こししてご紹介しますので、どうかしっかり読んで下さい。
後藤さんの説明は毎回、本来設計というものはどういう思想に基づいてなされなければならないのか、プラントの安全性とはどのように担保されなければならないものなのかをバックボーンになされています。
このため、後藤さんの語られる思想面を学ぶことで、当該原発の問題だけではなく、他の原発やプラントに対する私たちの観察眼をも養うことができます。

この点で私たち自身の科学力をも発展させながら、原発再稼働を阻止する声を高めて行きましょう!
以下、後藤さんの講演から、川内原発(加圧水型原発)の重大事故対策のあやまりについの部分をご紹介します。なおこの文字起こしは守田が要約したものですので、その点をお含みおきください。

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後藤政志(工学博士)川内原発が溶け落ちるとき~元・原子炉格納容器設計者が問う原発再稼働~
2015年1月31日 薩摩川内市まごころ文学館にて講演 1時間5分45秒から1時間23分40秒
https://www.youtube.com/watch?v=4QEwDJhrwFE&feature=youtu.be

ここからが川内原発(加圧水型)のポイントになる。
川内原発では水素をどう処理するかということ、炉心の冷却をどうするかが問題だ。実は炉心の冷却ができない。
配管破断や電源喪失が起こった時に炉心を冷やそうとしても多分、水が入らない。この時は「あきらめましょう」となっている。
もう溶け落ちてもいい。そのために格納容器が大きいので、スプレーして水をふいて、下に水をためてそこに溶融物が落ちる。
そうするとコアコンクリート反応が抑えられてそのまま冷却ができるというシナリオになっている。これが加圧水型のシナリオだ。

そのときに水素が発生するのでどう処理するかが問題になる。再結合装置といって水素を化学的に処理する装置がある。それを付けることになっている。
しかし能力は1時間あたり1.2キログラムしか処理できない。過酷事故のときに出てくるのは数百キロだ。500キロから900キロぐらい。
したがってこれを数台つけても何の足しにもならない。焼け石に水だ。数%のものなど対策と言うなと言うのだ。

しかもアメリカでこの装置をあるプラントでつけようとしたら、この部分で水素が熱くなって水素が発火し、爆発を起こしてしまう可能性が指摘された。
そのためこれを付けるのはやめようということになった。そういう報告書が出ている。

その装置はあてにならないということで、電気式の水素燃焼装置の「イグナイター」を付けようとしている。
電気で通電して水素が出たらその時に燃やすというもの。水素が広がる前に燃やしてしまうというものだ。
しかし事故のときはどういう状態かと言うと、さまざまな装置が働くべき時に働かず、働くべきでないときに働いたりするものだ。
そのようにひねくれた考え方をしていって、その点をクリアしないといけない。

考えられることは、これを動かさないときに動かそうとして動かないことだ。困ってなんとか動かそうとするが、その間に水素がどんどん出て行く。
時間が経って、やっと直ったということで作動させたら、すでに溜まっていた水素をドーンと爆発させてしまうかもしれない。これはありうるシナリオだ。
事故とはそういうことだ。一番安全なときではなくてまずいときに作動することもあって、それを防げない限りは安全の確保はできない。

配管破断ならまだ対処の余地は残されているが爆発は違う。起こったらもうおしまいだ。
こんな危ない自爆装置はつけてはいけない。
水素が格納容器の中に8%ぐらいまで動かすと言っている。12%で危ないと言われている。しかしこんな数値だって信憑性がない。計算があまりに難しい。
一例を言うと、格納容器容積の精度もそれほどではない。中に複雑な構造物があり、機械の間に気体が入っていく。そうするとこの体積がどうのと言われてもとても難しい。
それらを考えてもとてもこれで水素処理ができるとは思えない。

しかも細かく読んでいくと自ら水素濃度が13%以上になることもあると自ら言っている。しかし短時間だから大丈夫だと言うのだが、必ずしもそうなるとは限らない。
それでもいろいろな条件で大丈夫だろうと希望的観測を述べているが、こういう考え方はまったくおかしい。
こういうあいまいなことをやってはいけないし、こんなぎりぎりの設計など絶対にしてはいけない。設計はもっと余裕を持って行うのが常識だ。

次に原子炉圧力容器に水を入れようとするのだけれど、入らない可能性がある。それで格納容器の上から水をふいて圧力容器の下に貯めると言っている。
しかし実際に設計図をみると、原子炉下部のキャビティ室の入口にドアがありそこに150ミリ程度の穴があってそこから水が入ることになっている。
あるいは開口部があり、これが195ミリ×395ミリになっている。
こういうところから水が入るといっている。水が溜まった後に溶融物が落ちてくる。

信じられないような絵にかいた餅だ。
実際の過酷事故では原子炉内のいろいろなものが壊れて流れてくる。15センチの穴など塞がってしまうと考える方が自然だ。
20センチ×40センチの開口部でも、何かが流れてきたら容易にふさがれてしまう。塞がらない方がまれだと思う。
ところがこれが塞がって詰まった時のことをまったく考えてない。

こうした装置は設計的には100%生きている場合と100%は動かない場合を考えなくてはいけない。
溶融物が落ちてきたときに水がないと、コアコンクリート反応が起こり、大量の水素と一酸化炭素などが発生し、冷やされずにどこまでも浸食していく。チャイナシンドロームになってしまう。
ほんの少しの水でも浸食がとまらないので同じことになる。
一方でしかし水がはってあってそこに落ちてきた場合は、水蒸気爆発が起こる危険性が高い。

私は福島原発事故の時も水蒸気爆発をとても恐れた。しかし福島原発のマークⅠ型原子炉はプールが真下になくて横になるので、溶融物が落ちてきても水の中には落ちなかった。
水蒸気爆発を起こしにくい条件だったので助かったのだと思う。
ところが川内原発の場合は、水蒸気爆発をわざと起こしやすくしてしまっている。

これに対して九電は水蒸気爆発は起こりにくいのだと言っている。
溶融物が落ちてくると細かく分かれて粒子の周りに空気のまくができる。
その状態からどこかの一個が蒸気のまくが割れて、水と溶融物が直接反応した時に水蒸気爆発が起こる。一個が起こすと連動して大きな爆発が起きる。

細かくみていていくとよくわかなかった。それで実験をやった。やったらなかなか起こらなかった。トリガーがなければ水蒸気爆発にはならないという。
しかし現実にはトリガーはいくらでもありうる。
水素が充満しているときに金属を落としただけで火花が出て爆発する。水蒸気爆発も同じで、トリガーがないなどというのは意味がない。
地震が来たらトリガーになる。トリガーが少ないから起こりにくいとは言えても、起きないとは絶対に言えない。

JEAEのレポートをみると実験でやっているのは実際の100分の1、キログラムの単位での実験だ。スケールが違いすぎる。
だからこの実権の報告書には、100倍の外挿、実機レベルではまったく実証されていない、結果の見直しがあり得ると書いてある。
にもかかわらず大丈夫だと言っている。まったくひどい。