守田です(20150323 09:30)

東日本大震災と福島原発事故からまる4年を経て、私たちは何をなさなければならないのか。
ようやく連載の最後です。憲法9条と平和を守ることについての後半を述べたいと思います。

前半では安倍政権がけして多数派などではないこと。同時に内部が空洞化し、劣化し、脆弱化していることを書きました。それが党内独裁が進んでいる根拠でもあります。
それを踏まえて今回指摘したいのは、これまでの歴代自民党政権とて繰り返し戦争に協力してきたのだということです。このことを反省的に捉えることがとても大事です。
そもそも戦後日本の復興とて、朝鮮戦争特需によって成し遂げられました。朝鮮民衆の塗炭の苦しみを踏み台にしつつ、日本は高度経済成長に入っていったのです。
その後の世界から「脅威」と言われた経済成長も、ベトナム戦争の特需景気抜きには実現できませんでした。このときも日本はアメリカの戦争政策に全面的に協力し、ぼろ儲けし、経済発展を遂げたのです。

以降も日本は原爆の被害国でありながら、アメリカの核戦略に追従し続けてきました。追従して儲け続けてきました。
旧ソ連邦や東欧社会主義が崩壊し、アメリカが次の「敵」を求めて行った湾岸戦争でも多額の戦争資金を供出しました。
その後は自衛隊を参加させ始めました。2001年以降の対テロ戦争の中でのアフガン戦争、イラク戦争への協力によってです。

今の情勢との関連で言えば、とくに重要なのはイラク戦争への自衛隊派遣でした。そもそもこの戦争はイラクが大量破壊兵器を持っているからという理由で始められました。
しかし米英軍が攻め込み、全土を制圧してみて分かったのは大量破壊兵器などなかったということでした。にもかかわらず誰も処罰されるわけでもなければ、責任をとるわけでもない。このことが今日のイラクの大混乱の決定的な要因となりました。
この大義なきイラク侵略戦争に対して、日本は小泉政権のもとで全面的な支持を掲げました。このときの自民党幹事長にして内閣副官房長官だったのが現在の安倍首相でした。

にもかかわらずこの頃、日本の内部では「小泉人気」が吹きあれ、マスコミのほとんどがイラク戦争の反対を大きくは掲げませんでした。というよりも読売新聞など、全面支持でした。このもとで自衛隊のサマワ派遣が実現されました。
米英ではまだしもイラク戦争に対する社会的批判が事後的に起こりましたが、日本ではイラク戦争コミットの責任が今日まで何ら問われていません。
民衆の側からも小泉元首相が脱原発を語るだけで、かつての人気を部分的にせよ再燃させてしまいました。

このように私たちの国はこれまで一貫してアメリカの戦争政策を支えてきたのであり、そのもとにだんだんと自衛隊派兵を強めてきたのです。
にもかかわらず、戦火が及ばないことで、私たちの国の多くの人々は私たちの国が平和国家だと思い込まされてきたのでした。
安倍政権は今、ある意味ではこのみせかけの平和のベールを脱ぎ捨てようとしているにすぎないとも言えます。

歴代政権がなぜ安倍首相が行っている平和のベールの脱ぎ捨てまで踏み込まなかったのかと言えば、もちろん私たちの国の民衆の中に浸透した平和への思い、戦争を忌み嫌う心とぶつかることを恐れたからでした。
その意味で僕は私たち日本の民衆が持っている平和力とでもいうべきものに誇りと自信を持って良いと思います。
しかし日本民衆の眼はいつも経済によって曇らされ、私たちの国が戦争を支持していることへの批判には十分には向かってこなかった。その意味で私たちの平和力は中途半端なものでしかなかったのでした。

今、私たちがなすべきことは、この点に自省的に目覚めることです。いや、まさに今、その目覚めが起こりつつある。それを促進させ、成長させることこそが問われている。
東日本大震災と福島原発事故は、私たちの国の主流に位置する政治家や科学者たちがどんなに嘘つきで、信用できず、誠実さも力もない人たちなのかということを民衆に大きく知らしめました。
そこから民衆の猛烈な学習が始まりました。当初は放射線被曝からの身の守り方に集中していましたが、やがてそれは安倍政権の強権姿勢のもとで、次第に秘密保護法の問題や、集団的自衛権の問題などに多様に広がりだしてきました。

この勢いには凄まじいものがあります。これだけ民衆が各地で熱心に学んでいる時期を少なくとも僕は過去に経験したことがありません。
そしてこの目覚めは、急速に旧来のすべての政党を乗り越えだしてしまっているように僕には見えるのです。
何より、どこの政党も民衆に放射線被曝を避けるための自主的避難を呼びかけはしなかったのに、ものすごい数の人々が、経済的な苦境をも乗り越えて避難に踏み切った。それは国家のウソを突破する行為でもありました。

そしてこの自力避難した人々が各地で脱原発運動の大きな軸になってきたわけですが、これらの人々は明らかに既存の政党や組織のほとんどを越えてしまっています。何せ政党の議員で避難した人も呼びかけた人もほとんどいなかったのですから。
僕はこれはものすごい事件だと思います。これまでの民衆運動のリーダーたちが誰も言わないのに、つまりリーダ-などいないのに、本当にたくさんの人々が大胆な行動にうってでたのです。
これに各地の人々が、避難者の受け入れや保養キャンプの開催等々のさまざまな形で下から結合していきました。僕はこういうことは日本の政治の流れの中でほとんどなかったことだと思います。政党政治を越えたムーブメントが力強く広がりつつある。

この下からの流れ、言葉で言えばラディカル・デモクラシーの出現と発達こそ、僕はここ数年間でもっとも特筆すべきものだと思います。
もちろんまだこの流れはこの国の方向を変えるだけの本流にはなっていません。しかしそこまで成長していく可能性が十分にある流れだと僕は感じています。
そしてこの流れを成長させるために必要なものこそ、真の平和主義に目覚めること、イラクやシリア、パレスチナ、あるいはウクライナ・・・世界と一緒にしか私たちは私たちの平和を実現できないことに目覚めることだと思うのです。

目覚めたときに私たちに見えてくるのは、核のない世の中の実現という、世界共通の課題の中でこそ、私たちが全世界の人々と一緒に歩み、ともに平和を作れることです。
実際、チェルノブイリ原発事故と福島原発事故を通じて大きな流れが世界的にできつつあります。僕自身、その流れに引っ張られる形で、ベラルーシ、ドイツ、トルコ、ポーランドへと呼ばれて行ってきたのでこのことを身体で感じています。
世界は一つでしか平和になれない。一つでしか核の惨禍から身を守れない。一つになってこそ、私たちは私たちの環境を守り、私たちの命を、私たちの未来を守ることができるのです。

こうした大いなる展望を見据えながら、私たちは私たちの生きる今の場で、私たちの足元から平和を築いていきましょう。
そのために放射線防護活動を進めなくてはいけない。被曝した人々を守り、命を守るのです。さらなる原発事故を未然に防ぐのです。
さらに私たちの国が、本当の意味で戦争から縁が切れていくことをめざすことが大切です。だからこそイラク戦争に戻って考え直し、今からでもイラク戦争の支持者に責任をとらせていかなくてはなりません。
いや広島・長崎原爆まで立ち戻り、隠されてきた核戦争である被曝強要の歴史を捉え返し、真の被曝防護=核なき世界の実現に歩むことが必要です。

大事なのは覚醒を強めることです。強めて広げ、深め、育てていく。これが今、私たちが積極的にコミットすべき歴史的ムーブメントです。
共に歩んでいきましょう!

連載を終わります。