守田です。(20150311 12:30)

東京大空襲の問い直しの続きです。
なお東日本大震災からまる4年を経過した3月11日を迎えた感慨については稿をあらためて論じさせていただきます・・・。

空襲指揮官を賞賛した戦後ニッポン

東京大空襲という全くもって非人道的な都市空襲を考案し、指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ少将でした。戦闘機パイロットから爆撃機に移り、やがて爆撃部隊の指揮官となった人物でした。
第二次世界大戦へのアメリカの参戦とともにイギリスに渡り、ドイツへの戦略空襲を指揮。多数のB17を使ったハンブルグ空襲で6万人とも10万人ともいわれる死者を出した爆撃を実行しました。
対日戦参戦以降は、日本の諸都市空襲の指揮をとり、広島、長崎への原爆投下にも関与しました。

ルメイは日本の防空体制の研究から、超低空での本土進入を考案し、アメリカ空軍が行っていた軍事基地や工場などを対象とした高高度からの「精密爆撃」方法を一新して、住宅地への無差別徹底攻撃を編み出し、実行に移したのでした。
自伝の中で彼は本土空襲を次のように肯定しています。「私は、日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の家屋は、すべてこれ軍需工場だった。
スズキ家がボルトを作れば、隣のコンドウ家はナットをつくり、向かいのタナカ家はワッシャをつくっていたという具合に。・・・これをやっつけてなにが悪いことがあろう。」

彼は爆弾投下を指揮した地域には、民間人はいなかったと豪語したのでした。日本の諸都市には民間人は皆無だった、だから爆撃したのだ。何が悪いんだと。
その後もルメイは米空軍に居残り続け、朝鮮戦争を経て61年には参謀総長に就任し、キューバ危機に際してはケネディ大統領にキューバ空襲を強く進言しました。
アメリカ軍はソ連がまだキューバに核ミサイルを搬入していない、先に叩けば反撃も受けないと判断していたのですが、実際にはすでに多数の核ミサイルが設置済みであり、ルメイの進言をケネディが採用すれば核戦争になった可能性がありました。

その後、ルメイはベトナム戦争に参戦。B29を「黒い殺人機」と呼ばれたB52にかえて北爆を指揮しました。
この時彼は「ベトナムを石器時代に引き戻してやる」という言葉を残しています。ジェノサイドといわれたベトナムへの猛爆は、日本本土大空襲の経験の蓄積のもと、同じ司令官によって行なわれたのでした。
ルメイは1965年、北爆の最中に引退しましたが、式典ではなぜかアメリカ軍の軍楽隊が「君が代」を演奏しています。

そのルメイに対して、なんと日本政府(佐藤首相)は、1964年7月に「勲一等旭日大綬章」を授けています。「日本国天皇裕仁」の名の下にです。理由は「航空自衛隊の育成に功労があった」からだそうです。
何十万の国民を無差別に殺戮した残虐きわまる戦闘を指揮したルメイに、何の批判も行なわないばかりか、感謝の大勲章を与えたのが私たちの国なのです。「自虐的」という言葉は、使うことがあるとすれば、こういう卑屈な態度に対してなのではないでしょうか。

実はこの時、昭和天皇は勲章授与を一度は拒否したそうです。戦中に日本が「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と呼んだ相手だっだからです。嫌がる昭和天皇を説得したのが自民党の小泉純也防衛庁長官でした。後の小泉純一郎首相の父親です。

NHKが70年代に作成した番組、「東京大空襲」にカーチス・ルメイが登場しています。NHKの取材に対し、退役してプール付の豪邸に住まう彼は「戦争のことはもう忘れたい」といい、インタビューも映像もNOだと轟然と言い放ちました。
そのかわり勲章なら撮影してもよいと指差した勲章陳列棚の真ん中に、日本から授与された勲章が光を放っておかれていました。ルメイは民間人の大量虐殺をついにただの一度も反省せぬまま、数々の勲章を自慢に余生を送ったのでした。
僕にはこのように虐殺者を賞賛した日本の姿勢が、アメリカのその後の中東での横暴な振る舞いに繋がっていると思えてなりません。

なおこの映像がネットにアップされていたのでご紹介しておきます。番組の一部です。
https://www.youtube.com/watch?v=ThvwC3XkgCo

アメリカに法的裁きを

この東京大空襲を記録し広くその惨劇を世の中に訴える目的で2002年3月9日に東京都江東区に「東京大空襲戦災資料センター」がオープンしました。4000人から1億円の寄付金を集めて建てられた同センターに早乙女氏が館長として就任しました。
僕もその年の夏に訪れました。資料センターは3階建て。当時は1階に研究所と資料室、2階にミーティングルームとおのざわさんいちさんの空襲の絵、3階に大きなB29の模型とさまざまな展示品がありました。
おのざわさんの絵からは、すべてが焼き尽くされたがゆえに映像の残っていない空襲の様子を垣間見ることが出来ました。

印象的だったのは3階に展示されていたM69ナパーム焼夷弾の残骸でした。さび付いたおよそ高さ50センチ幅10センチぐらいの六角の筒でした。これが1機あたり5000発もあの人懐っこい江戸っ子たちの頭上にばら撒かれたのだと思うと胸がつまりま

した。
同時に資料センターには、空襲に対する聞き取り調査や、アメリカの図書館の公文書の分析から得られた資料など、実にたくさんのものが蓄積されていることを知りました。
政府がサボタージュした空襲の被害調査が、東京のみならず、各地の空襲を記録する会等々の人々によって行われてきたのでした。これをなんとかしてアメリカやひろく世界に知らしめたいと思いました。

東京大空襲や諸都市の空襲に対して、まだまだ知られていない事実もあることでしょう。犠牲者の名もすべてが明らかになったわけではなく、各地で聞き取りなどの調査も継続中のようです。
こうした資料を積み重ね、戦争を後世に語り継ぐことは大事ですが、より大事なのは今からでも70年前のアメリカの戦争犯罪を世界に向かって告発していくことだと僕は思っています。
真っ当な告発がなかったために、アメリカの中に今も無差別大量虐殺肯定の思想が強烈に残っているからです。これを正すことが戦争を食い止める道です。同時に多くのアメリカ人をも殺人の大罪から救うことにもなります。

アメリカで、2001年に911事件が起こった際、キッシンジャー元国務長官は「これはパールハーバーだ。あのときパールハーバーを襲った国民と同じ思いを敵に味あわせてやる」と発言しました。
「パールハーバーを襲った国民と同じ思い」、すなわち広島、長崎原爆であり、東京大空襲など諸都市の空襲であり、沖縄上陸戦です。
アメリカは今なおこれらを正義と考え、アフガニスタンでもイラクでも空襲を繰り返し、秩序をめちゃくちゃにした上で、今また同じことを繰り返しています。

この非道の限りを尽くすアメリカの「正義」に待ったをかけ、同時にこのアメリカが行っている戦争に自衛隊を積極的に参戦させようとしている安倍政権の戦争政策を止めるためにも、日本本土空襲におけるアメリカ軍の戦争犯罪を告発することがとても重要で

す。
先にも述べましたが、このことは多くのアメリカ人をも救うことにつながります。アメリカの戦争犯罪が正されてこそ、新たなる殺りくに参加させられる人々をも減らし、やがては皆無にしていく道が開かれるからです。
私たちはアメリカのためにもアメリカが今日まで繰り返してきた戦争犯罪を告発し、止めさせていく必要があるのです。東京大空襲から70年を迎えた今、不戦の心、すべての戦争を無くす決意を新たにしたいと思います。