守田です。(20150131 23:30)

後藤健二さん、未だ解放されません。ヨルダンと「イスラム国」の間の交渉が難航していると言われていますが詳細は分かりません。
何とか後藤さんを私たちのもとにと思いますが、同時に私たちは今の事態の中で、暴力が支配する現代世界をしっかりとみすえ、平和な社会の創造の道を見つけ出していかなければならないと思います。
その際、大切なことは、現代の暴力の多くの局面においてアメリカが関与していることです。
とくに今のイラク周辺の混乱を振り返るとき、1990年に行われた湾岸戦争と、2003年からのイラク戦争による大量殺人と社会的秩序の根底的破壊を見過ごすことはできません。

僕は中東でアメリカが振るっている暴力と、原爆投下に始まる放射線被曝の強制と被曝の被害隠しは大きくつながっていると思います。
現在まで受け継がれている、放射線の人間に及ぼす影響の研究は、原爆投下に始まっています。広島、長崎の被爆者を対象にアメリカ軍が排他的に行ったものです。
アメリカ軍の目的は原爆の兵器としての殺傷能力を知るとともに、被曝の影響をできるだけ小さく見せることでした。
当時、すでに放射線の遺伝的影響への懸念から、核兵器は非人道的兵器であり、即刻使用を中止すべきだと言う見解が欧米の科学者から提出されていたからでした。アメリカは核戦略のために被曝を過小評価し、とくに内部被曝隠しを行いました。

その後、1950年代から原子力発電が登場してくるわけですが、これもそもそもは原爆を作る副産物としてできたものでした。
原爆を作るためにはまずウランの濃縮を行わなければなりません。その上で濃縮ウランを原子炉に入れて核分裂反応を起こし、燃えないウランからプルトニウムを作り出して原爆が製造されてきたのです。
(広島原爆だけはウランをきわめて高い濃度に濃縮して作られましたが、効率の問題から、以降はすべてプルトニウム型になりました。プルトニウム型である長崎原爆との比較の結果でしたが、この比較実験のため米軍は2個の原爆を日本に落としたのでした。)
当初、原子炉はこの目的のために「プルトニウム生産炉」と言われていました。いや原子力発電が始まって以降も、アメリカの核兵器生産のための原子炉は「プルトニウム生産炉」と呼ばれ続けました。

原子炉は核分裂を行う時高い熱を出すので排熱する必要がありましたが、やがてその熱の利用が目指され、発電につなげられました。これも当初は軍事目的での使用でした。具体的には潜水艦のエンジンへの適用でした。
米ソの核軍拡競争の中で両国が目指したのは、相手の核ミサイル発射サイトを先に叩く技術を開発をすることでした。
反対に相手にサイトを叩かれることを防ぐことも目指されました。そのためにはサイトが隠れながら常に移動していることが理想であり、海の深く潜ることのできる潜水艦に核ミサイルを搭載することが目指されたのでした。
潜水艦は浮上して給油するときに察知されてしまうため、できるだけ核ミサイルを搭載したものは長く潜っていられた方が良い。それで重量としては重油よりも少ないウラン燃料で動けるエンジンの開発が行わました。

アメリカが商業用の原子力発電に踏み切ったのは、1950年代に米ソが激しく行った核実験に対して、世界中で批判と反対の運動が起こったことを背景としていました。
とくにビキニ環礁での核実験による日本の漁船、第五福竜丸の被曝以降、日本の中で巻き起こった核実験反対の運動は広範な広がりを見せました。
アメリカはこの火を消すために「原子力の平和利用」を宣言。アメリカだけでなく、被爆国日本で原子力発電が使用されることを目指しました。
放射線被曝による恐怖感を打消すための格好の材料として、広島と長崎の被曝で苦しんできた日本への原発導入が目指されたのでした。

それだけではありませんでした。原子炉を回すためにはウランの濃縮が必要ですが、濃縮行程は極めて複雑で、莫大な設備が必要でした。
濃縮工場は度運転を停止してしまうと、再度、立ち上げるのに長い時間がかかってしまうため、何時、核戦争に突入するかもしれない状況下では、常時運転していることも望まれました。
しかし常に動いていると核兵器製造に必要な量をはるかに上回る濃縮ウランができてしまいます。
過剰生産された濃縮ウランの需要先が必要となり、その点からも原子力発電を広げることが必要だったのでした。その意味でも原子力発電は、核戦争体系の中に組み込まれていたのでした。

こうして商業的な発電が始まりましたが、原発は事故を起こさなくても常に少量の放射能漏れを起こしています。また構造上、かなりの被曝労働を不可避とします。大量の核廃棄物も出します。
放射能を撒き散らす原発そのものと、内部での被曝労働を社会に容認させるためには、なお一層、放射能の害を小さく見せておく必要がありました。
このような構造のもとに、アメリカが広島・長崎で極めて恣意的に行った被爆者調査によるデータがさらに加工を施され、被曝影響を小さく見せる科学の名をまとった粉飾が重ねられました。
被曝隠しのこの体系は、国際放射線防護委員会(ICRP)勧告としてまとめられて、バージョンアップされてきました。

ICRP勧告は、放射線の障害をわずかな病に限定するとともに、被曝を具体的に捉えず抽象化し、平均化することで、とくに内部被曝の危険性を隠してきました。
また身体にあたった被曝線量がおよぼす身体へのダメージを導き出す計算式の中でも、単位のすり替えなどを行い、そのことで被曝が小さく見えるイメージ操作も行われてきました。
さらにスリーマイル島やチェルノブイリ原発事故に際しては、放射能の害よりも、それを怖がる「害」の方が大きいという宣伝が加えられました。
放射能被曝の過小評価と、「放射能を怖がるな」という大合唱は、福島原発事故以降にさらに強められ、今、直接に私たちを苦しめています。まさに暴力の体系です。

私たちはアメリカが直接に振るっている「戦争」という暴力と、核戦略の中で繰り返されてきた被曝という暴力が、一つに繋がっていることをしっかりと見据えておく必要があります。
そしてアメリカの暴力に伴う「騙し」のテクニックを暴いていく必要があります。そのためには例えば中東を観るときに、歴史を捉え返し、誰がもっとも過酷な暴力を振るってきたのか、現在の混乱がどこから作られてきたのかを観て行く必要があります。
同じように、被曝隠しが歴史的にどのように行われてきたのかをしっかりと把握していく必要がある。そのことで原爆投下以来、いまだ明らかにされていないアメリカの暴力を徹底批判していく必要があります。
このことは戦後70年を経て、原爆の被害を今までよりも鮮明に世界に明らかにすることであり、アメリカの長きにわたる暴力構造をつまびらかにすることでもあります。

ただしそのことで私たちはアメリカに暴力的に報復しようというのではありません。そんなこと、絶対にしてはならない。なぜからそれではアメリカの暴力思想に私たちが取り込まれることになってしまうからです。
私たちが行うべきなのは、放射線被害の実相を明らかにし、人類と共存できない核戦略と核エネルギーに最後通告を与え、核の時代を終わらせることです。
そのことでアメリカだけでなく、旧ソ連やイギリス、フランス、中国なども核兵器を持つことで染まってきた暴力思想を乗り越えることです。平和の時代を切り開くことです。
そこまでの射程を持ったものとして、私たちは放射線被曝の歴史を捉え返し、隠された真実を明らかにすることができると僕は思います。被曝の真実を明るみに出すことで、今、行われている戦争を止める展望も生み出せると僕は確信しています。

現在のところ、この領域でもっとも深い研究を進めているのは、琉球大学名誉教授の矢ヶ崎克馬さんです。
矢ヶ崎さんが、被爆者の方たちが、自らの病が原爆による放射線由来であることを苦難の中から国に認めさせてきた原爆症認定訴訟への証人としての関わられたことがそのベースになっています。
隠された被曝を暴いてきた矢ヶ崎さんの研究成果を、3年前にインタビューによって岩波ブックレット『内部被曝』にまとめさせていただきましたが、今、矢ヶ崎さんはさらにその先に歩まれつつあります。
矢ヶ崎さんにこれまで明らかにしてきたことのまとめと、新たな批判点のポイントをお話いただく場を設けましたので、みなさんぜひご参加下さい。

2月7日滋賀県大津市の明日都浜大津と、2月8日京都市左京区の京都大学で講演を行います。ぜひ滋賀、京都近郊の方は、会場に足をお運びください。
どちらの会場でもネットでの中継も予定していますので、遠方の方は中継でご覧下さい。近づいたら詳細をお知らせします。
人類はもう本当に戦争、人殺しの連続の時代を終えて良いころです。すべての英知を使って戦争をなくし、恒久的平和を紡ぎ出しましょう。そのために腹の底から努力しましょう。
命を守り、平和を紡ぎ出し、愛を育むためにに、一緒に内部被曝について学ぶ場をシェアしていただけたらと思います。以下、集会案内を貼り付けます。

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2月7日(土) 滋賀県浜大津

2015年ネットワークあすのわ最初の企画としまして、岩波ブックレットの「内部被曝」でおなじみの矢ヶ﨑克馬先生のお話会を浜大津でひらくことにしました。
矢ヶ﨑先生は沖縄在住ですので、なかなか直接お話を聞く機会がありません。ぜひ、この機会に放射線の影響についてお聞きしたいと思います。

午前の部は昼食持ち寄りで矢ヶ﨑先生、共著者の守田敏也さんを囲んで座談会形式に。
午後の部は矢ヶ﨑先生の講演と守田さんとの対談で内部被曝についてじっくりお話していただきます。

みなさんも一緒に、放射能のこと、内部被曝のこと、学んでみませんか?

矢ヶ﨑克馬先生お話会
内部被曝ってなあに?

日時:2015 年2月7日(土)
午前の部 11:00~12:30 昼食持ち寄り座談会
午後の部 13:00~14:30 矢ヶ﨑先生お話会
14:30~16:00  矢ヶ﨑先生&守田敏也さん対談+質疑応答

会場: 明日都浜大津 5階中会議室
大津市浜大津四丁目1番1号  Tel  077-527-8351
*JR大津駅から徒歩約10分 京阪浜大津駅から陸橋を渡って徒歩 約1分
*明日都公共駐車場をご 利用の方は、駐車券を4階のふれあいプ ラザ受付までお持ち下さると、
駐車料金が1時間半無料になります。

参加費: 午前の部 ひとり300円(会場費として)
午後の部 ひとり500円(会場費・資料代として) カンパもよろしくお願いします!

*午前の部にご参加の場合は昼食をお持ちください。
*午後の部の途中でお茶休憩を入れます。差し入れ大歓迎です!
*託児はありませんが、親子スペースを設けますのでお子さんもご一緒に参加していただけます。
*人数把握のため、下記ま で事前にお申し込みいただけるとありがたいです。

お問い合わせ・お申し込み
E-mail:asunowa_kouenkai@yahoo.co.jp   TEL : 077-586-0623(暮らしを考える会)
主催: ネットワークあすのわ

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2月8日(日)京都市左京区 京都大学

矢ヶ﨑さん講演会-隠されてきた内部被曝の危険性

福島原発事故から4年近くが経ちます。政府は放射能の害をとても小さく見積もり、危険地帯に人を呼び戻そうとしています。
しかし実際には関東・東北でさまざまな放射能被曝由来と思われる病気の発生が報告されており、危険性が隠されたまま被害が進んでいます。

こうした中で私たちが命を守っていくためには、内部被曝のメカニズムと危険性や、内部被曝の危険性が軽んじられてきたカラクリをしっかりと学ぶことが大切です。
矢ヶ﨑さんは原爆被爆者の病気が放射線由来であることの認定を求める「原爆症認定訴訟」への関わり以来、隠された被曝の現実を暴いてこられた内部被曝研究の第一人者です。
その矢ヶ﨑さんに内部被曝のメカニズムと危険性が隠されてきた歴史を解説してもらいます。
放射線防護のスタンダードを作り出している国際放射線防護委員会(ICRP)が被曝影響を軽く見せてきたレトリックについての最新の研究成果も教えていただきます。

講演の後、京都市で子どもを被ばくから守る活動に取り組んできた加藤あいさんと広海ロクローさんを交え、パネルディスカッションを行います。
分かりにくかったところを質問しながら内容を深め、お二人の活動についても語ってもらい、会場からの質疑も受けます。
コーディネーターは矢ヶ﨑さんと共に内部被曝の危険性を訴えてきた守田敏也さんです。
みなさん。ぜひ一緒に内部被曝について学び、すべての命を守る力を培いましょう!

日時 2月8日(日)午後1時開場 1時半開始
場所 京都大学吉田南4号館1階 4共11教室

講演 矢ヶ﨑克馬(琉球大学名誉教授)
パネルディスカッション パネラー
矢ヶ﨑さんほか、加藤あいさん(日本共産党京都市会議員)
広海ロクローさん(ノンベクキッチン ホテヴィラ店主)
コーディネイター 守田敏也さん(フリーライター)

参加費1000円

主催 矢ヶ﨑さん講演会実行委員会
代表:守田敏也(090-5015-5862)morita_sccrc@yahoo.co.jp

予約はいりません。
託児はありませんが子どもと親御さんが一緒に入れるスペースを作ります。
絵本など準備します。泣き声など気にせずに会場内でお話を聞いてください。
プロフィール
矢ヶ﨑克馬
1943年生まれ。沖縄県在住。広島大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学。理学博士。専攻は物理。琉球大学理学部教授、理学部長などを経て2009年3月定年退職。
2003年より原爆症認定集団訴訟で「内部被曝」について証言をする。
東日本大震災以降は、福島ほか、全国各地で講演している。2012年久保医療文化賞受賞。
著書に『隠された被曝』(新日本出版社)『力学入門(6版)』(裳華房)
共著に『内部被曝』(岩波ブックレット)がある。

加藤あい
1975年京都で生まれ育つ。京都市在住。日本共産党京都市会議員(3期)
福島原発事故時は市会議員として市に給食の放射線測定を要請するなど子どもたちを被ばくから守るために奔走。
現在、市会運営委員会理事、市会改革推進委員会副委員長、教育福祉委員。
佛教大学社会学部卒。家族は夫と娘、息子。

広海ロクロー
1965年生まれ。東京・北海道を経て1980年より京都市在住。
1992年より7回の渡米でウラン採掘による被害の実態を知り核サイクル反対の活動を始める。
福島原発事故後、安全な食べ物を提供したいと放射線測定器を備えた「NONベクレル食堂」を京都市岩倉に開店。
2014年、京都市三条猪熊に移って「ノンベクキッチン ホテヴィラ」開店。使用食材の測定数は700を超える。
音楽をこよなく愛し数々のイベントも手掛けてきた。家族は妻と息子、娘。

守田敏也
1959年生まれ、京都市在住。同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材を続け、社会的共通資本に関する研究を進めている。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都の大文字山害虫防除も実施。東日本大震災以降は、広くネットで情報を発信し、関西をはじめ被災地でも講演を続けている。
2014年はドイツ、ベラルーシ、トルコ、ポーランドでも講演。共著に『内部被曝』がある。