守田です。(20141208 23:30)
ICRPの考察の5回目です。
第3回目の考察で、ICRP(国際放射線防護委員会)が核実験反対運動の世界的高揚の中で、医学的に「放射線被曝はそれほど危険ではない」と言い続けることの困難性に直面し、リスク・ベネフィット論の導入に踏み切ったことを明らかにしました。
放射線被曝の影響にしきい値はないこと、どれほど少量の被曝でも体へのリスクがあることを認めた上で、「それを上回るベネフィットがあれば被曝は容認されるべきだ」という論への転換を図ったのです。
そこには医学的・科学的論争を回避し、社会的経済的要因を持ち込むことで、放射線被曝の危険性をはぐらかしていく意図があったわけですが、そのことで「放射線学」は科学から大きな逸脱を開始しました。
その後、ICRPはより非科学的な逸脱を深めていき、「リスク・ベネフィット論」を「コスト・ベネフィット論」へと「深化」していきます。
その際も大きな要因となったのは、核実験反対運動に続く、原子力発電反対運動の世界的高揚と、このもとでの原発推進の手詰まりでした。
原子力発電は1960年代以降、アメリカやイギリスを中心に建設が進んでいきましたが、70年代に入ると各地で原発事故が続発し、安全性への不信が一気に高まっていきました。
低線量被曝の危険性を明らかにした少数の先鋭な科学者たちの警告にもようやく注目が集まり始めました。
そのひとつはイギリスのアリス・スチュワート博士による放射線被曝による小児の白血病とガンに関する疫学的な研究でした。彼女がとくに注目したのは母親が妊娠中にレントゲン診断を受けた際の胎児への影響でした。
彼女は胎児期の放射線被曝により、1シーベルトどころかわずか数ミリシーベルトでも白血病はガンが発生することを明らかにしたのでした。
これに続いたのはジョン・ゴフマン、アーサー・タンプリン、アーネスト・スターングラス、ロザリー・バーテルらの博士たちでした。
とくにゴフマンとタンプリンは、マンハッタン計画を継承したアメリカ原子力委員会傘下のローレンス・リバモア国立研究所の中心的科学者で、ゴフマンは副研究所長の一人でしたが、いわば内部からの反乱として原子力推進派を批判したのでした。
二人はアメリカが当時の連邦放射線審議会の勧告した年間1.7ミリシーベルトを許容値とする被曝を続けたら国民のうち年間32000人の白血病とガンが発生することを明らかにし、許容値を10分の1にすべきたと主張しました。
こうした良心的科学者たちの追及の前に、ますます医学的に論争していては不利なことを悟った国際原子力推進派は、「社会的・経済的要因」なるものを混入させることにより、ますます問題をあいまい化させる方向に進んでいきました。
この際も、客観性を装った団体が活用されました。それが前にも触れたBEAR委員会(Biological Effects of Atomic Radiation)であり、後継組織のBEIR委員会(Biological Effects of Ionizing Radiation)でした。
両者の違いは「A」と「I」。日本語では「原爆放射線の生物学的影響委員会」と「電離放射線の生物影響に関する委員会」になりますが、そこには核実験から原発に焦点が移る中で、「原爆放射線」の安全性をめぐる問題から「電離放射線」のそれへと問題が移ったことが反映していました。
ここで大きく登場してくるのがコスト・ベネフィット論で、ICRP1965年勧告にでは放射線被曝を「経済的および社会的な考慮を計算に入れたうえ、すべての線量を容易に達成できる限り低く保つべきである」(as low as readily achievable:ALARA)とされた内容の進化がなされていました。
どう変わったのかと言うと「容易に達成できる限り」を「合理的に達成される限り」に差し替えたのです。英語では”as low as reasonably achievable”になります。readilyがreasonablyに変えられたのです。
前者は「容易に」「難なく」という意味ですが後者は「合理的に」とともに「値段がまあまあの」と言った意味あいを含みます。どちらもアラーラ(ALARA)原則と呼ばれましたが、後者で明確に「金勘定」が導入されたのでした。
BAIR委員会は1972年に『BAIR-1報告』と呼ばれるものを出しました。これを『放射線被曝の歴史』では次のようにまとめています。
「一般の人びとの総被曝線量は、『実行可能な限り低く」と、どこまでも低減をはかるべきではない。被曝線量を下げるために要するコストが、その金額で得られる利益、ベネフィットよりも上回るなら、人々に被曝を容認させるべきである。
その場合、ガンなど放射線の影響を被る人間がかなり出ることになるが、その発生率が他の容認されているリスクより小さくなるように、個人に対する被曝の上限値をもうける必要がある。
このようなコストとベネフィットを比べて被曝線量をコントロールする手法はまだ確立されていないので、早急に被曝の金勘定、損得勘定のやり方を具体化すべきである」(『同書』p141、142)
「NCRPもBAIR委員会も、生物・医学的な危険性を評価して被曝の防護基準を設定するという従来のやり方では、時代とともに基準を下げなければならない羽目に陥り、危機に陥った原子力産業を救うことはできないと考えた。
彼らは、考え方を大胆に転換すべき時期がきたと判断した。放射線被曝の問題を、経済的な利潤の獲得の問題に従属させるべきと判断したのである。
このコスト-ベネフィット論こそ、原発の経済的危機を救うために新たに考えだされた放射線被曝防護の哲学であり、経済学であった」(『同書』p142)
このBAIR報告を受けてICRPもコスト・ベネフィット論の導入を開始し、アラーラ原則の具体的適用方法を「最適化」と呼ぶようになりました。
原子力推進派はこの「最適化」の意味を今も被曝をできるだけ少なくするようにすることであると説明していますが、それならば「最適化」などという言い回しは使わなくても良い。
実際には被曝をできるだけ避けようとして、経済的・社会的不利益を被ってはならないというのがその趣旨なのでした。その際、被曝によって生じる損害を金勘定を変える必要があったわけですが、ICRPは損害を死亡にのみ限定し、損害賠償などで支払われる「人の命の値段」を持ちだして、計算の中に入れ込みました。
こうして進化させられたアラーラ原則を盛り込んだICRP1977年勧告が打ち出されました。そこではこれまでの「許容線量」という概念が放棄され、「線量当量」と「実効線量」という概念が持ち込まれました。
「実効線量」などというと、人体にあたる物理的な量だと誤解されますが、実際にはガンでの死亡や重篤な遺伝的障がいを恣意的な計算で見積もった値を持ち込んだものであり、科学とは言えないものでした。それが実効線量=「シーベルト」の実態なのでした。
つまりこれ以降、ICRPは、あたかも身体にあたった放射線の物理的な量を客観的に示しているように装いながら、その実、身体がダメージを受けた場合の金勘定を持ち込み、物理的な量でないものをそのものであるかのように粉飾する科学的欺瞞を行ったのでした。
以下、『放射線被曝の歴史』でICRP1977勧告の特徴が端的にまとめていますが、非常に重要なポイントなので引用します。
「第一は、放射線被曝防護の根本的な考え方の大転換である」
「放射線被曝を可能な限り低くするという過去の勧告にみられた表現は、1977年勧告からはすっかり消し去られた。手厚く防護すべきは、労働者や住民の生命と健康よりも原子力産業やその推進策である、と宣言したのである」
「第二は、放射線のリスク、被曝の容認レベル、被曝の上限値について、社会・経済的観点を重視した新しい体系を打ち出した。ICRPはそれを(1)正当化、(2)最適化、(3)線量限度と呼んで、三位一体の体系として提出した」
「放射線の人体への影響は今は過小評価に固執することができても、科学的基準に立脚する限りは、将来被害についての科学的知見が深まるとともに、やがて被曝の基準も次第に厳しくならざるをえないであろう。そのとき原子力産業は死滅する。
そうならないようにするには、基準を科学的なものから社会的・経済的なものへと転換し、この観点から被害の容認を迫るべきである」(『同書』p154,155)
「第三に、放射線被曝管理に公然と金勘定が持ち込まれた」
「それを行うのは原子力産業と政府なのであるから、労働者や住民の生命の値段も安く値切られ、その安い声明を奪う方が被曝の防護に金をかけるよりも経済的とされるのである」
「第四に、放射線被曝の金勘定、それと表裏一体の放射線の影響の過小評価は、被曝基準のいたるところに盛り込まれた」
「あげればきりがないほど多くの点で被曝基準が緩和された」(『同書』p155,156)
「第五に、許容線量に代えて、実行線量という新しい概念が導入された。これは新しい科学モデルを導入して、人間への計算上の被曝線量を設定するもので、『科学的操作』が複雑に行われるだけ実際の被曝量との差が入り込みやすい。それだけごまかしやすいのである」(『同書』p156)
「第六に、原発などの放射能の危険性は、放射能自体が危険であることについては何も触れられず、他の危険性と比較して相対的な大きさの違いに矮小化されている」
「線量当量限度被曝させられた一般人のリスクは、鉄道やバスなどの公共交通機関を利用したときの事故死のリスクと同程度だから、後者のリスクと同じように容認されるべきである、とICRPは厚かましく主張する」(『同書』p157)
「第七に、ICRPのリスクの考え方からは、リスクを『容認』するものにはどこまでもリスクが押し付けられる。この結果、とりわけ社会的に弱い立場にある人びとに放射線の被害が転嫁されることになる」
「それらの人びとに被曝を強制したうえに、被害が現れると、自分たちが過小評価しておいた放射線のリスク評価を用いて、『科学的』には因果関係が証明されないからその被害は放射能が原因ではない、と被害者を切り捨てる」(『同書』158、159)
「第八に、放射線からの被害を防ぐと言うのであれば、放射線に最も弱い人を基準にして防護策を講じなければならないにもかかわらず、ICRPは逆である。基準とするのは成人で、放射線に一度敏感な胎児や赤ん坊のことはまともに評価すらされない」(『同書』p159)
ながながと引用しましたが、ICRP1977勧告の本質が非常によくまとめられていると思います。
科学の装いをまとった放射線学から露骨に金勘定を導入した「放射線学」へ。ICRPなど国際機関の主張する「放射線防護学」はここでもはや科学や学問とは言えない領域に入り込んだのだということをしっかりとおさえておく必要があります。
この点をおさえてさらにICRPの考察を続けます。
続く