守田です。(20141008 01:30)

前回の続きを書きます。

核心問題は集団的自衛権の行使が目指すのは、このようにして世界で最もたくさんの無差別殺戮=戦争犯罪を繰り返し、アメリカが世界中で売りまくっている戦闘に自衛隊が参加することだということです。
このことで日本は重大なものを失います。イスラム圏の人々、とくにアラブの人々の日本への信義です。これは何重にも重ねられてきたものです。
第一に世界の多くの人々は、今のアメリカの無差別空襲に象徴される戦争犯罪が、アメリカによる広島・長崎への原爆投下から続く一連のものであることを知っています。例えばアフガニスタンは中央集権制が極めて薄い、谷ごとに区切られた部族社会ですが、その谷のどこにいっても広島・長崎を知らない人はいない。
日本はそれほどにひどいアメリカの攻撃を受けた。しかし戦後、見事なまでに復興を遂げて経済大国になった。しかも軍事大国にはならず、世界に暴力で自分の意図を押し通そうとすることがない。その姿勢が日本への信頼を作り出してきたのです。

とくにイスラム圏には日本は軍国主義の時代も含めて一度も攻め込んだことはありません。それどころか第二次世界大戦後に独立したイランが、初めてイギリスの手から油田を奪取して国有化し、イギリスによって海上封鎖されたときに、出光のタンカーがイギリスの意向を無視して買い付けに入ったことなどでさらに信頼を重ねてきたのでした。
総じてその後も日本は、生命線である石油を安定的に確保するためにも、官民がそろってアラブのどの国とも仲良くする外交を貫いてきました。その中にはイスラエルともパレスチナとも信義を作り出してきたことも含まれています。実際、日本はイスラエルがめちゃめちゃにしたパレスチナの復興にも何度も支援を行ってきたのです。
ただし日本はアジアに対してはそうではありませんでした。自らが徹底した空襲を受け、無差別殺戮を受けたのに、そのアメリカ軍に基地を提供し、朝鮮戦争やベトナム戦争でのアメリカの出撃を支えぬき、そればかりか軍事特需で大儲けして高度経済成長を達成したのでした。
そのためにアフガニスタンに医療援助を繰り返してきたペシャワール会の中村哲医師は、イスラム圏の人々の日本への深い信頼を「美しい誤解」と語っています。でも「瓢箪から駒」で、本物の信義に代えていこうではないかとも。

にもかかわらずアフガニスタン戦争、イラク戦争に日本が加担し、とくに米軍占領下のイラクに自衛隊を送りこんだことで、こうしたイスラム圏の人々の日本への信頼感は今、急速に失われつつあります。
かのオサマビン・ラディンは、すでにイラク戦争後の2004年に、アメリカへの戦争協力への代償として攻撃を受ける対象国として日本の名を挙げています。またこのころから日本人が誘拐されたり、殺害されることも少しずつ増えてきました。
さらに自衛隊が「アメリカとの集団的自衛権の行使」の名の下に、この理不尽なイスラム圏の人々への無差別殺戮に加わっていったらどうなるでしょうか。
日本への攻撃が「警告」「威嚇」のレベルを越えて、実行に移される可能性も高くあります。その場合、私たちが持つべき視点はイスラムの人々の側の視点です。たくさんの同胞が無残に殺されているのです。それに日本が味方しようとしているのです。

私たちが私たちの国を守り、住民を守ろうとするときに、何よりも考えるべきことは、こんなとんでもない戦争に絶対に手を突っ込んではいけないということです。
日本を守るどころか、まったく逆でたちまち在外日本人の安全性が失われてしまうし、私たちの国の内部でも自爆攻撃などが行われるようになるかもしれません。
その場合、私たちが知るべきことは、私たちの国はアメリカに比べて自爆攻撃に対しても格段に弱いということです。なぜか。戦後の多くの期間を軍事に頼らず、信義によって自らを守ろうとしてきたので、攻撃には脆い「和」の世界が私たちの社会には支配的だからです。
私たちの国は「おもてなし」だとか、人と仲よくなることにはまだまだ上手な力があり、だからこそ海外からの観光客に喜ばれたりしてきていますが、他者の憎しみにさらされる中で自らを軍事的に防衛していく訓練など社会的に積んでいません。

その上、狭い国土に密集してさまざまなものを建ててきてしまったので、事故が拡大しやすい。スイスのある調査機関は世界で最も災害に対して弱く危険な都市の第一位に東京・横浜圏をあげ、名古屋、大阪・神戸圏もワーストテンに入っていますが、このことは日本の都市がさまざまな弱点を持っていることを強く物語っています。
端的に言って利根川や淀川の連続堤防を狙われたら大変な災害が人為的に作られてしまいます。いやそもそも福島原発は瀕死の状態で、どんなダメージにも脆い状態にあります。さらに海岸線の僻地に無数の原発が建っている。いや石油コンビナートだとか、攻撃に弱い建物がひしめているのです。
さらに言えば、この国の民は概して他者に対する信頼度が高い。夜中でも若い女性が歩いていられるし、電車の中でうたた寝していても荷物をとられる心配もそれほどない。それやこれや私たちの社会が穏やかさを保っているそのあり方が、攻撃への不利さを形作ってしまうのです。
自爆攻撃のような形態の軍事戦闘に強い国を作るためには、社会の中にもっと強い猜疑心を作らなくてはなりません。そうして個人ももっと武装していく必要が生じます。

しかしそれでどうなるのか。もっとも強い国アメリカを見てみましょう。自爆攻撃に合わなくとも、社会の中で銃の乱射事件が絶え間なく起こっています。単純に銃が出回っているせいでもあります。銃で個人個人が身を守る発想が、社会に絶望した個人がその攻撃性を社会にむけうる可能性を作り出してしまっている。
さらにこれを加速しているのが、アメリカ社会の中に人殺しの占める割合が非常に高いということです。軍隊に入って各地で無差別殺戮に参加してしまっている人々がいるからです。そのことが命を尊ぶ心を磨滅させ、暴力礼賛のあり方を加速してしまう。
このためアメリカはOECD参加国の中で、町を歩いていて殺される可能性の一番高い国です。反対に最も少ないのは日本です。そのことに日本の軍隊が、まだ一度も、戦闘で人を殺したことがないこと。自衛官の中に殺人者がほとんどいないことが大きく寄与しています。
その意味で軍隊が戦闘に参加し、人殺しをして帰ってくることは、社会が内側に暴力性を孕んでいくこと、殺人肯定論を孕んでいくこととセットであることも私たちは見据えておかなくてはなりません。
ただしここで注意すべきなのは、当たり前のことですがイスラムの人々の間にも非常に多様な視点があるということであり、命や正義を尊ぶ姿勢は、けして世界中のどこの地域、どの宗教の人々とも変わらないほどあついということです。
そこで参考になるのは、上述の中村哲さんが語られたことです。中村さんはアフガン社会についてこう言いました。「アフガニスタンの田舎はどこも保守的なイスラム教が強いですが、しかし概して極端な思考は持ちません。極端な思考はむしろ西洋の洗礼を受けた都会から出てくるように思えます」。
これは重要なポイントです。オサマビン・ラディンらが、アメリカの支援を受けたアフガニスタンの軍事キャンプの中で武闘派として成長して行ったように、イスラム教というよりも、アメリカが戦後に体現してきた軍事思想こそが彼を育ててきたのです。
今、「イスラム国」はその残虐さばかりがハイライトされていますが、一方でFACEBOOKなどを通じて、各種の言語を操り、世界中から若者を戦乱の地に呼び寄せる洗練された力も示しています。アメリカを中心に生まれてきたテクノロジーを利用しているのです。そうした彼らがアメリカ軍の戦法を取り入れないはずがない。

アメリカが示してきたことは何でしょうか。力こそが正義だということです。力があればどんな不正義も正義と言い換えられる。自らの意志を押し通すことができる。そして実際に押し通し続けています。
恐ろしいことに、人間は自らが批判し嫌うものに、知らず知らず似通っていく性質を持っています。とくに軍事の世界では相手にやられたことをコピーし、やり返していくことが繰り返されてきました。そのため新たな攻撃方法を発案するとやがて同じことをやり返される羽目に陥ってしまう。
軍事の研究の古典である『戦争論』を遺したクラウゼヴィッツも、プロイセンの軍人として、自ら相対したナポレオン軍の圧倒的強さに心酔し、分析し、『戦争論』を編み上げたのでした。最大の敵だったナポレオンの戦法を継承し、体系化していったのです。
実際、「イスラム国」は自らの残虐性を非難されるとこう答えると言います。「アメリカの方が何百倍も残虐ではないか」と。実はそうやってアメリカの残虐な在り方をコピーする中で、アル・カイーダをしのぐといわれる残虐性を身に付けてしまっているのです。アメリカを批判しているようでアメリカに思想的に取り込まれているのです。

なのでこうした人々のあり方とイスラム教を峻別することが大事だと思います。古来からどの宗教に属する人々の中にも極端な人々がいました。しかしほとんどすべての場合に共通するのは、大多数の人々は、一時期はともあれ、そんな極端な発想に走り続けることはなく、穏やかなところに落ち着いてきたということです。
こうした点を無視し、「イスラム国」などをイスラム教そのものが生み出したと捉えるのはまったく正しくありません。むしろアメリカの軍事万能主義こそが、さらに言えば常にその後ろでほくそえんできた死の商人たちこそが、こうした武装グループを作り出しているのだということです。
私たちはその意味で、こうしたアメリカに象徴される軍事がすべて、強ければいい、巨大な武器で相手を徹底的に殲滅せよ・・・というようなあり方からの決別をめざすべきです。
そのためには日本の平和、安全を守ることをこえて、ぜひすべての戦争をやめ、極端な考えをいましめ、徹底した対話の中で問題解決を図っていく発想をこそ、私たちはめざし、発信していくべきだし、そのためにこそ今こそ憲法9条の本義に立ち戻り、不戦の誓いを打ち立てて行く必要があると思います。

以上、まだ少し内容を変えるかもしれませんが、基本的にこうした点を9日にお話ししようと思います。
お近くの方、ぜひご参加下さい!

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9日の企画案内を貼り付けておきます。

「安倍サンやめて!」懇談会 第2弾
「集団的自衛権は戦争への道」

日時  2014年10月9日(木) 午前10時~12時
場所  サン・ビレッジ近江八幡 ミーティングルームA・B
近江八幡駅南口出口から徒歩約9分 (男女共同参画センター北隣りです)
お話  守田敏也さん(フリーライター)
参加費500円

今、日本は大国の中で唯一、第二次世界大戦後、軍隊が他国民を殺したことのない国として、アフガニスタンや中東、アラブでも良いイメージを持たれています。
しかし、集団的自衛権が行使されると、日本とは関係なくても自衛隊が海外で戦争し、人殺しをさせられるようになります。
自衛隊が参戦すると、日本の良いイメージが壊れるだけでなく、戦争の当事者として報復の対象にもなり、安全保障に逆行してしまいます。
自衛隊が戦争をしないように、人殺しをさせられないように、一緒に平和について考えましょう!

主催:平和をまもるために戦争許さない会
世話人代表:鈴木悛亮  世話人:真野生道、福井勝、峯本敦子、高谷順子
連絡先 070-6505-9741(高谷順子)