守田です。(20130809 09:00)

みなさま。本日は長崎に原爆が投下されてから68年目の日です。長崎原爆で失われた命に追悼の意をささげたいと思います。同時に長きにわたって長崎原爆の影響で苦しまれてきたすべての方々にお見舞い申し上げます。
この長崎原爆投下から68年目の日に、矢ヶ崎克馬さんとの共著、岩波ブックレット『内部被曝』が、お陰様で5刷になったことをご報告したいと思います。8月1日より発売されています。今回から帯がなくなり、表紙にそのまま印刷されています。
自画自賛で恐縮ですが、私たちのブックレット、ぜひこの広島・長崎の痛みを思い起こす日々に読んでいただきたいです。なぜなら私たちはこの中で、内部被曝のメカニズムにとどまらず、それが隠されてきた歴史的背景に深く切り込むことに大きなウエイトを置いたからです。

この点をとくに展開したのは、第4章「なぜ内部被曝は小さく見積もられてきたのか」です。ここで僕の「内部被曝を小さく見積もることも、核戦略のなかでなされてきたということでしょうか」という問いに答えて矢ヶ崎さんは次のように述べています。
「そのとおりです。核戦略という場合、核兵器を製造し、実験し、配備することなどが考えられます。いわば、これは見えやすい核戦略です。
もう一つ重要なのは、核兵器の巨大な破壊力を誇示する反面、核兵器の残虐な殺戮性を隠すこと、とりわけ放射線の非人道的な長期にわたる被害を隠すことです。とくに、内部被曝の脅威をないものにしてしまうことに大きな力が割かれてきました。
ICRPが内部被曝を、無視した体系を作り上げてきたのも、核戦略の重要な一環です。それがいまの福島原発事故への政府の対応、すでに飛び出してしまった膨大な放射性物質への対処を大きく規定してしまっています。」(同書p43)

現在の福島原発事故をとらえるときに、誰もが直面するのが、飛び出してきた放射性物質の人体への危険性について、「専門家」の間であまりにかけ離れた見解が乱立していることです。
その場合、ICRPやIAEAなど、明らかに原子力の推進側に立った人々の安全論がまずは目を引きますが、一方でもともと原発に厳しい立場をとり、民衆の側に足をおいて活躍してきた方たちの中にも、低線量内部被曝の独自の危険性をとらえているとは言えない見解もあり、放射線の危険性を憂う人々の中の混乱の一因ともなっています。
こうした混乱を正すために必要なのは、「放射線と人間」の関係が、誰が、どのような資料に基づき、アウトラインを作り出したのかに遡って問題をとらえ返すことです。そうすると見えてくるのが、原爆を投下した当事者のアメリカが、被爆者調査のデータを独占し、「放射線の危険性」のアウトラインを作り出してきたという事実です。
内部被曝隠しは、軍事作戦としての原爆投下の延長としてあったのであり、まさに核戦略そのものとしてあり続けてきました。このもとに「放射線学」の教科書が作られてしまったことに、現在の低線量被曝の危険性の、徹底した過小評価の根拠があります。

しかしマスメディアの多くはこのことを無視し続けてきました。この点で、内部被曝問題の第一人者である肥田舜太郎さんは「私は311以降、何十回となくインタビューに応えてお話ししてきましたが、いつもこのアメリカとの関係だけ、抜かれてしまいます。ちゃんと書いてくれたのは岩波書店だけです」とおっしゃられました。
「岩波書店だけ」というのは、『世界』2011年7月号で、僕が肥田先生をインタビューをさせていただいた記事、「放射能との共存時代を前向きに生きる」のことです。再び自画自賛になってしまいますが、あえてこの点を強調せざるをえないのは、「放射線学」が純粋学問として成立しているとはとてもいえないからです。核戦略そのものとして、強烈な軍事的、政治的制約のもとで歪められてきました。
たくさんのヒバクシャに寄り添ってきた臨床医である肥田先生が、誰よりも早くこのことに気が付き、「放射線学」で言われていることと、ヒバクシャの体に起きていることはあまりに大きくかけ離れていると告発してきたのですが、それが医学会や、放射線学の領域で取り上げられることはありませんでした。
肥田先生は、独自にアメリカで内部被曝を解き明かしたスターングラス教授に学び、その本を自ら翻訳しながら、この状況の打開を図ってこられましたが、残念ながらこの点も、メディアも、「革新」団体の多くも、正しく受け止めることができませんでした。

その結果として、福島原発事故が起こり、膨大な放射能が飛び出していながら、専門機関や、「専門家」から、政府の安全宣言を批判し、人々の体を守ろうとするまっとうな見解はほとんど出てきませんでした。このため、避けられた多くの被爆までもが避けられませんでした。痛恨の極みです。
こうした歴史背景があればこそ、放射線防護の問題は大学研究機関をはじめとした「専門家」たちに任せておくことはできません。市民が心ある科学者と連携しつつ、積極的に科学を自らのもとに取り返し、歴史的側面と、自然科学的側面からの双方から問題を解き明かし、自分で自分の身を、未来世代の心身を、守っていく必要があるのです。
小著である『内部被曝』は、矢ヶ崎さんのお力の元、その扉を開けた著であると自負しています。それはまた市民的立ってものごとを見ている僕と、市民サイドに立つ科学者として思考している矢ヶ崎さんとの、市民と科学者の間での協力関係の作り方の可能性の一つを開く行為でもあったと自負しています。
これに力を貸してくださったのが、岩波書店で、このブックレットの編集をしてくださった坂本純子さんでした。第三の著者である彼女の尽力があってはじめて、矢ヶ崎さんと僕との紙上対話が成り立ちました。

もちろんそこで果たせなかったものも大変多くあります。僕自身は、内部被曝のメカニズム、とくに分子生物学的にとらえたそれをもっと深めなくてはならないし、放射線被ばくの間接効果やペトカウ効果などを、もっと考察していく必要性を感じています。
一方で、歴史・社会学的には、チェルノブイリ原発事故の被害がどのようなものであり、かついかに隠されてきたのかを明らかにしなければならないと思っています。
いやそれ以外にも、書き足さなければならないことはたくさんあります。少なくとも僕の見識はまだまだ浅いものでしかないことを、歩みを深めれば深めるだけ痛感するばかりで、本書を自画自賛するのに恥じ入る思いも強くあります。
しかし放射線防護からまだまだ歴史的視点が欠けていることを僕は痛感しています。それは私たちがアメリカのマインドコントロールを脱しきれていないことをも意味しています。そのために、この領域に携わるすべての方に、ぜひ今一度、広島・長崎に立ち返り、そこから現在までの「放射線学」の歩みを、己のうちで追体験的に再構成されることをお勧めしたいのです。

ぜひこの夏、すべてのヒバクシャがたどってきた苦難の道に思いを馳せつつ、本書を読んでいただけたらと思います。ともに真の放射線科学を確立し、そのことで未来の可能性を切り開いていきましょう。

なお、同書の購入先と、アマゾンブックレビューを張り付けておきます。ご参考になさってください。

『内部被曝』購入先
岩波書店販売部 電話03‐5210‐4111
岩波書店ブックオーダー係 電話049‐287‐5721 FAX049‐287‐5742
岩波書店ホームページ
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/

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アマゾンブックレビューより(古い順に)

被曝を具体的な状況において考える必要の提起, 2012/3/13
モチヅキ (名古屋市)

本書は1943年生まれの物理学研究者に、1959年生まれのフリーライターが尋ねる形で、2012年に刊行した本である。本書によれば、第一に原子力の安全神話ゆえ、福島では放射線の防護用品や測定機器の準備がなく、災害弱者の犠牲や農地汚染の深刻化が生じた。
第二に、避難が最善の防護であるが、郷土愛の強い人は逃げないため、著者は「開き直って楽天的になり、危機を見据えて最大防護をしつつ、皆で支え合う大きな利己主義」を指針とした。
第三に、放射線は電離作用による分子切断と、その修復過程での異常再結合(遺伝子変成など)を引き起すが、三種類の放射線は透過性に違いがある。ただし、半減期と放射平衡によりどれが危険か一概には言えない。
第四に、外部被曝はほぼガンマ線によるが、内部被曝は全ての放射線に関わり、局所集中的に遺伝子変性を起こしやすい(50頁のグラフも参照)。また、間接効果、バイスタンダー効果、ペトカウ効果なども考慮されるべきである。
第五に、放射線リスク評価の国際的権威とされるICRPは、放射線被曝についての単純化(エネルギー量の大小のみ)と平均化、内部被曝の危険性の隠蔽を行い(医師の診断に悪影響を及ぼしている)、ECRRに批判された。また、ICRPの被曝限度値も実際には安全ではない。
第六に、ICRPの評価のもとになっているデータは広島・長崎の原爆のデータであるが、それは米国の核戦略の下で歪められており、多くの被爆者と認定されない被爆者を生みだした。
第七に、原発は潜在的な核開発施設として造られた。
第八に、東北住民の苦しみに寄り添う必要がある。また、自主避難支援、汚染ゼロ食品の保証、非汚染地域での食糧大増産、原発敷地内への汚染された瓦礫の収納(焼却禁止)、公費での健康診断と治療等の政策が必要である。
第九に、安価な放射線測定器は精度が高くないので注意すべきである。

「内部被曝」について最もコンパクトで分かり易い本, 2012/3/26
つくしん坊 (東京都)

東京電力福島第一原発事故後、便乗本も含めて、多くの放射線被曝に関する本が出版されてきた。しかし、内部被曝について、分かり易く、納得できるよう解説した本は非常に少なかったように感じる。
多くの本は、ICRP(国際放射線防護委員会)の規則をベースにしていた。本書は、ICRPの規則が健康に重大なリスクをもたらす「内部被曝」について十分考慮していない、非常に問題の多いものであることを前提に、内部被曝に関して最もコンパクトで分かり易い解説書である。

政府が金科玉条の如く引用するICRの規則がどのように作られてきたかを理解することは、その本質を知るために、重要である。
本書ではICRPの経緯もコンパクトにまとめられている。要するに、ICRPは、核兵器や原子力開発で排出される放射線・放射能の危険性を隠ぺいするため、内部被曝は最初から無視、あるいは軽微なものとして、科学的な根拠に反して、防護規則を作ってきた。このため、内部被曝を考えれば、年間1ミリシーベルトといえども、決して安全とは言えない。

福島県や近隣の県でいまだ放射能におびえている皆さんだけでなく、今後食品や、全国的なガレキ処理で二次汚染が心配される現在、長く続く放射能汚染時代を生き延びるために、多くの日本人が読む価値のある本といえる。

内部被曝についての格好の入門書, 2012/3/31
小津笛納

我が家にはまだ小さい二人の子どもがいるので内部被曝について正確な情報を知りたいと思っていたところ、守田敏也氏が近所の公民館で講演をされると知り、夫婦で聴きに行った。内部被曝の危険性についてとても分かりやすい話し方で啓蒙してくださり、会場で迷わず本書を購入した。
本書では、物理学者の矢ケ崎氏に守田氏がインタヴューする形で内部被曝についての基礎知識が提供されている。放射線とは何かという基本的なことに始まり、それが人体に悪影響を与えるメカニズム、内部被曝が一般に考えられているよりもはるかに危険であるということ(外部被曝の600倍!)、
原爆の残虐性の隠蔽を意図するアメリカやそれに追従する日本政府によって内部被曝の科学的研究が歪曲・抑圧されてきたこと、日本政府による安全キャンペーンを信じることの危険性、これから我々がとるべき対策、などについてコンパクトにまとめられている。
事実がイデオロギー抜きに説得的に説明されているだけに、フクシマ以後の我々がいかに恐ろしい状況におかれているかをよく分からせてくれると同時に、もはや賽は投げられてしまった以上、腹をくくって対処してゆかなければならないということを否応なく納得させてくれる良書である。
わずか70頁のブックレットでこれほど有益な情報をわかりやすく、かつ包括的に提供することに成功しているのは、インタヴュアーである守田氏の周到に準備された質問と、それに応える矢ケ崎氏の学問的誠実さの賜物であろう。3.11フクシマ以後に子育てをするすべての日本人と今後の日本の医療を担うすべての若者に本書を強く推薦する。

わかりやすく納得できる, 2012/4/11
KURIKEI

内部被曝の第一人者の矢ヶ崎さんとフリーライターの守田さんの対話形式になっており、わかりやすく読みやすいです。
ひとつひとつ、丁寧に背景や科学的根拠が示され、納得のいく内容です。71ページというブックレットの限られたページだからこそ、ぎっちりお二人の伝えたいことが詰まっていました。
事故が起きてしまった中でどう生きていくかという提言もあります。

わかりやすいです, 2012/9/25
ジムシー

これから、国民全員が関わっていくであろう、内部被曝。
福島だけの問題ではない現実と向き合っていくために、知っておくべき内容でした。
自分や家族を守るだけに留まらず、どのような声を上げてより良い社会を創っていくかなど、広い視点で書かれている、対談形式のわかりやすい本でした。

レビュー通りわかりやすかったです。, 2013/3/19
マルガリータ

数々のレビューにある通り、被曝のメカニズムや原子力発電所と国の関係、被曝限度量について、とてもコンパクトで鋭く深い説明が載っていました。
私は市民として考えなければならない問題はふたつあると思います。原子力発電所廃絶に向けての取り組みと、被曝した身体をどうするのか、ということです。
前者は単なる既得権益者だけでなく国防にも関係してくるため、世界的に展開しなければいけないし、後者は次世代のために個人がすぐにしなければならないことだと思います。

内部被ばくの恐ろしさが身に沁みてわかる本, 2013/7/28
☆☆☆

放射能の被爆について分かっているつもりでしたが、全く的外れな知識であったことが分かりました。内部被ばくがこうも恐ろしいものであることが、原発事故の前に周知されていれば、事故当時の対応が全く異なっていたであろうと思うと本を読んでいて悔しささえ覚えます。
安価な本ですが内容は「今の日本に一番必要な本」と思えます。通勤の途中でも簡単に読める本なので、是非読んでみてほしいと思います。私はカバーをかけずに広げて、誰かの目に留まってくれればと思い、常に携帯しています