守田です。(20130723 22:00)

参院選が終わりました。自民党の「圧勝」と報道されています。てやんでい!と僕は思います。この国の選挙制度は相当に歪んでいる。その上、事前からマスコミで自公圧勝の大合唱(東京新聞は別ですが)。そんなことで民衆の側の「負け」を感じる必要などありません。
それにこれで「ねじれ」の解消だとか言われていますが、国会ではともあれ、自公政府と民衆の間のねじれは何ら解消されていません。なんたって自民党が背を向ける脱原発と改憲反対が多数派なのですから。「ねじれ」はむしろより強烈になりました。
このことは比例区の得票を見るとはっきりと分かります。原発推進を掲げたのは自民党と幸福実現党のみ。その得票は幸福実現党の191,643票を加えて18,652,047票です。これに対して他の党はすべて脱原発の道を掲げましたが、得票の合計は28,156,561票です。割合にして35対65。議席数は18対30です。
にもかかわらず、選挙区は1人区が多く、大政党に圧倒的に有利なため、民主党が崩れて自民党が一人勝ち。そのことで議席総数としては自民党の「圧勝」になってしまいました。一票の重みが5倍近くも違っている地域があることを含めて、どう考えたってこんな選挙の仕組みはおかしいです。

この矛盾故に強まるばかりの「ねじれ」にはエネルギーがあります。だからそれを解き放つために努力すればよい。実際、このねじ曲がった選挙制度の中でも、山本太郎さんの勝利や、原発即時ゼロを鮮明にした共産党の比例区での伸びと東京、京都、大阪選挙区での勝利など、「ねじれ」のエネルギーが解放に向かった現実もありました。東京は脱原発派が議員数も多数派です!
若者の多い緑の党は、「組織票」で彩られたこの選挙の世界に、市民スタイルのままに登場して頑張っただけでも大きな意義があったのでないでしょうか。得票は457,862票。よく見てください。自民党とは40対1です。あのたくさんの巨大資本をバックにつけた自民党に対し、自力では選挙区ではポスターも十分にはりきれないような「組織力」しかない党が40対1の奮闘です。
よく考えましょう。実際はそんなにものすごい差があるわけではないのです。資金力の差だったら40対1どころじゃないですよ!!4万対1でもおいつかないのでは?にもかかわらず票はこれだけ取れているのです。
その緑の党をも応援しながら一人で立った山本太郎さんは、頭に大きな円形脱毛症を作りながら頑張ってくれました。もちろんサポーターの奮闘があっての勝利です。素晴らしいですね。こうした奮闘にみんなで続きましょう。諦めず、へこたれず、前に向かって歩みましょう!なあに、人の心をつかんでいない政権なんてそのうち倒れます!いや倒しましょう!

このように、政治の面では僕はまだまだ楽観的です。しかし一方で、放射能汚染の面ではとてもシビアなものを感じ続けています。人々の政治的意識は変わる時には変わる。がらりとすら変わりうるのですが、放射能が急激にガクッと減るということはありえません。
しかもすでに「終えてしまった」被曝がたくさんあります。放射性ヨウ素をはじめ、セシウムなどと比べて半減期が短いものがたくさん原発から飛び出しました。これらの方が単位時間あたりの放射線量が圧倒的に多い。ヨウ素131の単位時間当たりの放射線量はセシウム137のおよそ1400倍です。
それが人々をすでに貫いてしまったのです。しかもその上にセシウムなどからまだまだ放射線が出続けています。当然にもその影響がすでに深刻に表れ出しています。私たちはそれと立ち向かわなくてはいけない。もはや「放射線防護」だけでは足りません。免疫力を最大限にあげて、被曝の影響による健康被害を押さえ込んでいかなくてはならないのです。
同時に健康被害の増大は、確実に現行の医療体制へのダメージを蓄積しています。日本の医療は人手不足、公的資金不足でもともとアップアップの状態でした。そこに放射能の被害が襲っています。だから医療を支え、守らなくてはなりません。このことを本当に真剣に考えなくてはならないと僕は思うのです。

そのために取り上げたのが、肥田舜太郎さんの名著『ヒロシマを生きのびて』です。今回は書評の2回目になりますが、ここで僕が、この書物をみなさんに紹介する中からお伝えしたいことをあらかじめまとめておこうと思います。
肥田さんが被爆者医療のみならず、戦後医療界の再生を担いながら学んでこられたことは、私たちが病や怪我と格闘するとき、身体を治していくのに一番重要なものは、私たち(医療サイドから言えば患者)自身の回復力だということです。
にもかかわらず医師の側からすれば、医師の技量や医薬の側に重点が置かれがちになってきた面がある点を肥田さんは早くから問題にされてきました。医療を受ける側から見ると、自らの身体を治すのは己だということを忘れて、医療に依存がちになってしまっている面があるということです。私たちはこうしたあり方の克服を目指す必要があります。
実際に肥田さんは講演の中でもよく次のように言われます。「みなさんは普段、自分の健康のことをきちんと考えていない。病気になったら医者にいけば良いと思っている。それではいけない。かけがえのない自分の命を自分で守らなくてはいけない」・・・。

このことにさらに一歩踏み込んでみると、「働かざるものは食うべからず」という勤労に非常に大きな価値をおいた現代において、私たちはふだんに己が身を振り返らずに猛烈に働いていく「はたらきバチ」になっていく傾向を有しており、ややもすれば自らの健康を顧みずに働いてしまう面が強いことと密接に関連していることが見えてきます。
何かを成し遂げるために、「寝食を忘れて」打ち込むことが私たちの社会では美徳と捉えられやすい。休むことは無駄なことであり、できるだけ休みを削り、仕事に打ち込むことが尊く美しい・・・全体として私たちの社会、ないし日本の社会にはそうした傾向が強くあるのではないでしょうか。
マルクス主義的に言えばこれを「資本のもとへの労働の包摂」と言うこともできるでしょう。労働者が搾取されながらいやいや働いているのではなく「寝食を忘れて」仕事に打ち込んで、資本を大きくしていくことに貢献していっている状態をさす言葉です。(廣松渉『今こそマルクスを読み返す』などを参照)
別に搾取労働でなくても、同じことがたくさんあります。実は僕自身もそうした面を持っている。放射線防護の活動を担っていて、寝食を忘れ、走って走って、それで2012年の初頭には身体を悪くしてしまいました。その頃、看護師の友人から「あなたの活動の仕方はワーカホリック(workaholic)そのものだ」だと指摘されました。仕事(work)とアルコール中毒(alcoholic)の合成語で仕事中毒の意です。

その場合、私たちは私たちの身体のことを忘れています。「寝食」、まさに寝ることと食べることが、身体にとって最も大事なものであることを完全に欠落させてしまっています。むしろ身体をどこまで追い込めるのかを「頑張り」の目安にしてしまうようなところすらある。身に覚えはないでしょうか。
私たちの受けてきた教育も、社会的価値観を反映して、身体のことを大きく欠落させています。私たちはご飯の正しい食べ方を習ってこなかったし、眠り方を習ってこなかったし、休息の大切さを習ってきませんでした。いや小学校では習ったようなかすかな思い出がありますが、中等、高等教育で消えていってしまいました。
大学になるとどこでも構内にコンビニエンストアがあり、砂糖たっぷりの飲料が並んだ自動販売機が置かれていますが、これらは、日本よりもずっと先に食が悪化し、国民・住民が激太りになったアメリカで、最近になって学内からの撤去が進められているものです。
どうしてそうなってしまうのでしょう。指摘できることは、資本の価値増殖に最大の価値をおいている現代社会においては、人間の自然状態は必然的に邪魔になるということです。日の出とともに起き出し、日没とともに仕事を終え、休息をとり、遅くとも夜の10時には就寝していく。そんなサイクルに合わせていては資本は儲けを進められないのです。

続く