守田です。(20130718 17:00)

すでにお知らせしたように、7月14、15日の二日間で、山口県上関町の祝島を訪問してきました。ここで見てきたことをご報告したいと思いますが、いつものように?たくさんのことを頭に詰め込んで来てしまったので、数回に分けて論述したいと思います。
前日が山陰の三次市での講演だったため、朝6時41分三次駅発のJR鈍行に乗ってまずは広島市を目指し、新幹線に乗り換えて山口県の徳山へ。さらに山陽本線鈍行で柳井駅へと向かいました。ここまでの所要時間3時間20分。
続いて上関町の先にある室津港に向かうバスに乗る予定だったのですが、時刻表がネットで検索したものとは大きく変わっていてバスがなかなか来ないことを知り、やむを得ずタクシーに乗って港に向かいました。
ここで京都から先に来ていた友人たち5人と合流。友人たちが前夜からお世話になっていた「上関の自然を守る会」の高島美登里さんの案内で、渡し舟の「きぼう号」に乗船。美登里さんの解説を受けながら、上関原発予定地の四代、田ノ浦などを回って、祝島に向かいました。

ぜひ地図をご覧になりながら読んで欲しいのですが、原発予定地は瀬戸内に突き出した半島の突端にある室津港の対岸にある長島にあります。長島は今は室津と橋一本でつながっていますが、そこから海に南西に向かって伸びた長島の一番先にあるのが原発予定地の四代や田ノ浦です。10キロぐらいの距離でしょうか。いずれにせよ先の先まで回り込まないと分からない場所です。
ここに向かう船の上での高島美登里さんの解説はとても豊富でした。まずは位置の問題ですが、この付近の海域は伊方原発のすぐそばにもあたっています。南東には島民37人が暮らす八島がありますが、ここは伊方から30キロ圏内にあたります。緊急時防護措置準備区域(UPZ) です。そのため避難計画が策定されたそうですが、まずは自宅に退避し、そののちに1日3便の定期船で脱出せよとなっているそうです。
当たり前の話ですが、海が時化(しけ)れば船は欠航になります。島の生活を考えると緊急時の脱出は大変困難です。「人の命をなんと考えているのでしょう。本当に酷い避難計画です」と美登里さん。
しかし同じことは長島全域にも言える。なぜなら長島は室津と橋一本でしか繋がっていないからです。事故時には避難民も現場にかけつける緊急車両もこの橋を通ることになる。橋の大混雑は必死でとても安全な避難などできようはずがありません。調査に訪れた日弁連の方たちは、事故時には長島の人たちは放射能の中に封じられるのと同じだという批判を行ったそうです。

さて船は長島を右手に見ながらぐんぐん速度を上げました。長島の全貌を横に見ながら進んでいきますが、ここは春になると山桜が咲き誇るのだそうです。海上からお花見ができる。秋の光景も大変、美しいのだそうです。
また特徴的なこととして、いたるところに海岸が自然のままの姿を残しています。多くが開発されてしまった瀬戸内の海の光景と対象的です。そうしたことも一因として生物種が極めて豊富で、絶滅危惧種の貴重な貝などがたくさん生息を確認されています。
海にはスナメリがよくやってきて、泳いでいる姿がしばしば船から見えるそうです。スナメリが来ると、餌とされるカタクチイワシやイカがパニックって海面近くに浮上してくる。するとそれを狙ってウミネコが集まるのだそうです。「私たちはまずウミネコに注目して、スナメリを探すんですよ」と美登里さん。「今日は来るかなあ」と呟いていましたが、残念ながらこの日はお目にかかれませんでした。

遠くに目をやるとどの方角にもかすかに山陰が見られます。遠く東には大分県の国東半島、南には愛媛県の佐多岬半島が見え、北側には広島県から山口県にかけての山陽道が広がっています。
水俣の海みたいだなあ・・・と僕には思えました。水俣の面する八代海も遠くに天草諸島が見えて、穏やかに凪いだ静かな海が広がっています。そこは魚たちが湧いて出るような宝の海と言われていたそうです。同じように上関の海も四方を島々や半島に囲まれ、とても穏やかな風貌をしている。内海特有の静けさ、穏やかさがあります。
同時にこの地域は、九州と四国の間を流れてくる豊後水道と、下関を経て日本海から流れてくる周防灘からの流れが交わるところにもあたり、そのために生物種がより豊富な地域でもあります。自然の恵みがたっぷりとある地域、それが上関の海です。

・・・こんなところに限って、政府と電力会社は原発を建てようとする。そこに、自然の恵みのありがたさを忘れ、目先の利害ばかりを追い求めてきた現代社会の縮図があるように思えて、海が美しければ美しいだけ、胸の奥がチクチクと痛むような気がしました。
ちなみに僕の恩師、宇沢弘文先生はほかならぬ水俣の海を訪れて、「社会的共通資本」というアイデアに目覚められました。社会的共通資本とは、人々の生活を根底から支えるもので、市場的原理にも、官僚の恣意的差配にも委ねてはならず、地域の人々のよって運営されるべきものです。海はその典型です。
ところが自由主義経済学では、海は誰のものでもないので、何をしようと好き勝手な「自由材」とみなされました。そこから何をとっても自由、そこに何を投げ入れても自由。宇沢先生の同僚てもあった経済学者のサミュエルソンなどが理論化したものですが、まさにその自由主義経済の名のもとに、世界の海は激しく汚染されてしまったのでした。

「この上関の海もまた社会的共通資本だ」と強く思いました。人々に営々と恵みを与えてきた海、そして島々。そこには人々のつつましい歴史の連なりがあります。豊かさをけして独占することなく、みんなで分かち合ってきた暮らし。しかも分かち合ってきたのはその場の人たちだけではありません。未来世代も常に分かち合いの対象に入ってきたのです。
しかし今、それが犯されつつあります。しかも原子力発電所の建設によってです。美登里さんは長島の突端の南側にある四代地区の近くに原発からの放水路が作られようとしていることを示してくれました。そうすると平均して海水より7度も高い温水が膨大にこの海域に流れ込むことになる。しかも排水管につまるさまざまな付着物と一緒にです。
これまで各地の原発で実証されているように、7度もの温水が大量に流れ込んで、生態系が維持されることなどありえません。原発は、仮にまったく放射能漏れを起こさなかったとしても、海を温水によって甚大に破壊する「地球温暖化装置」なのです。

続く