守田です。(20130505 13:00)

僕の中からは宿便がすっきりと出ました。なんというか、心身の調子はもともと良かったので?それほどの激変は感じません。すっきりする、爽快感があるとのことでしたが、考えてみれば僕は半断食道場に参加している時から、毎朝、さやかやかで心がウキウキとしていました。
何というか、もともと非常に単純な性格を持っていて、落ち込んでいても、少しお酒でも飲めば、心の奥底から楽しさがこみ上げてくることが多く、美味しいものを食べると、ウキウキしてきます。何とも小説にならんというか、詩にもならんというか、考えてみればそういう僕ですので、これ以上、爽快感があるとするともうそれはトリップ状態に違いないのかもしれません。
あまりみなさんの参考にならずにすみません・・・。

さて今回は、橋本宙八さんの講義「命を食で運ぶ」をお届けします。今回はタイトルも僕がつけました。命を食で運ぶとは、「運命」のことです。運命は命を運ぶと書いてある。では何でというと「食」でと言うことです。宙八さんは、ここに人間の自由があると言います。
なぜか。他の動物たちは、食べ物を変える自由がないからです。講義の中の言葉ですが、ライオンが、ちょっと太り気味だから、明日からベジタリアンで行こうと言ってもそれはできない。ライオンには植物は食べられないのです。同じように、牛が「闘牛をするからカツを食うぜ」と言ってもできない。牛には肉を切り裂く歯がないからです。

そこから「料理は最大のアートである」という命題が出てきます。料理は命を作ること。命のあり方を左右することです。だから最大の遊びであり、アートだと言う。こんなに楽しいことを人任せにし、命を他者に預けているのは大きな損失だと宙八さんは言います。
これを聞いて、ある知人との会話を思い出しました。彼女はドラマーなのですが、ハードロックなどアグレッシブな曲を叩きたい時は、肉をバリバリ食べた方が間違いなく叩けると言うのです。「そんなものかな」と僕は思いましたが、実際に食べ物の影響としてはそのようです。宙八さんも「レスラーに、ベジタリアンになれというのは酷だ」と言います。

だとするならば、自分の人生設計にあわせて、お好みの食べ方をしていくことは、確かに自分の命を作り、運命をデザインしていくことであって、本当に大きな遊び、アートだと言える。このことに53歳まで気がつかなかったのは確かにとても「うかつ」なことでした。
これまで僕は、料理をできれば簡略化したい生活上の必要な仕事として捉えている面がありました。実際にはほとんどを連れ合いに作ってもらっていて、僕が担当するのは味噌汁作りと後片付けだけだったりしていて、大変、不十分な分担でした。
最近、それではいけないと考えて、少しずつ野菜の下ごしらえの仕方など、学んでいるのですが、我が家のジェンダーギャップを少しでも埋めなければというか、女性と男性の間での差を少しでも減らさなければという思いからの関わりが主でした。

そんなこんなで、「アート」を知らなかったのだなあとしみじみと思います。家事の公平分担という、やらねばならないことの分け合いということを越えて、人生の楽しみ、人生を作っていく試みそのものとして、僕も料理を見直したいと思います。こうしたことに気がつけたことも、今回の大きな収穫でした。

以下、講義ノートをお読み下さい。

*****

半断食道場講義 命を食で運ぶ(5月2日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1 宿命と運命
最初の食べものは母の胎内で得る。
卵子と精子が受精してから、お腹の中で、人類の38億年の生物の発達史が繰り返されると言われている。「十月十日」の1日が1500万年にあたる。少し正確ではないかも。守田さん計算しておいてください。
(注 いわゆる十月十日は280日と計算されている。38億÷280=13571428.57142857。正確には1357万年と1429日(小数点以下四捨五入)になる)
この期間はとても重要だ。この胎内にいた命のことを宿命と言う。私たちの命は、38億年プラス、オギャーと生まれてからの年月だ。そのため胎内にいたときの影響は決定的だ。

宿命に似た言葉として運命がある。運ぶ命と書く。しかし宿命というのは変えようのないものだ。
運命は、命を運ぶと書く。私たちは何によって命を運んでいるかというと食べ物によってだ。食べ物を食べなくなったとき、人間はこの世からいなくなる。
(注 この点もとても重要。北欧などでは、人は「嚥下(えんげ)=飲み込むこと」ができなくなることを人の死と捉えて、延命治療をしない。日本やアメリカでは、食べ物を飲み込めない場合、胃ろうといって、胃に直接栄養を投与して延命させている。この違いが、福祉予算の大きな違いにも色濃く反映している。)
このため、食べ物が変われば、運ばれる命が変わる。運命が変わる。

2 人生における食べ方の違い
第一ステージの食が胎内。第二ステージがおっぱい。第三ステージがお母さんが作った料理だ。
第四ステージは自立して自分で食べるもの。第五ステージはパートナーとの関係で食べるものが変わる。子どもができて以降を第六ステージと考えてもよい。
子どもが巣立って二人に戻るのが第六ステージ。その後、パートナーを失って一人になる。違った食事になる。それが第七ステージ。七段階にわけて、いろいろなものを食べる。
(注 生涯パートナーを得ない人生のあり方ももちろんある。またパートナーがいたりいなかったり、複数の場合などさまざまなケースが当然にもありえる。ここでの提起は、多くの人がたどることの多い一つの典型的なパターンとしてとらえれば良いと思う)

3 食事の選択は人間の特権
食事の知恵はなぜ必要か。食を楽しむためでもあるが、人間は自由に食べ物を選択することを与えられている。それで運命を作っていくことができる。
ライオンは、ちょっとベジタリアンになるとかできない。ウサギが少し肉を食べたいといっても食べれない。動物は生涯、食事のあり方を変えないし変えれない。人間だけが、食事・運命を好きなように作っていいとなっている。ここが動物と人間の決定的な違いだ。料理をして、食事を自由に食べられるのが人間の特徴だ。

4 人間の持つ感覚
食事が変わると生き方が違ってくることがある。当たり前だ。人間は食べ物を胃腸で消化して60兆の細胞を作っている。
われわれには五感がある。味覚・臭覚・触覚・視覚・聴覚だ。食べ物で細胞を作って、日々、この五感を作っている。
人間には、五感以外に、第六感を持つ。五感をすべてあわせた総合的な力。直感力。
第六感がさらに成長していくと、第七感が出てくる。自然界のことが分かる感覚。宇宙のことが見えて判断できる感覚。それが育つ。
第七感が成長すると第八感が育つ。別名、霊感という。宇宙の実在が分かる。時空を越えているから過去も未来も見えてくる。

人間は五感で終わってはいけない。直観力を高め、自然と会話できるようになる必要がある。
アイヌの産婆さんに会いにいったことがあった。産婆になる条件は森の中で育つことだといわれた。命への感覚が育っている。彼女は目がまったく違っていた。霊能者だった。会いにいくと「ああよくきたね。待っていたよ」と言われ、ゾクッときた。「あなたたちはもうやることがわかっているね」と言われた。
そういう人たちは第八感まで研ぎ澄ました人だ。

5 食べ物と感覚
人間はこういう感覚をもともと持っている。しかし日々の食べ物で、こうした感覚をそぎ落としてしまう。
五感は食べ物から日々、作られている。いいものを食べれば五感は育っていく。それが健康に育って、直観力が成長する。
歳をとると肉体の力は落ちていくけれど、総合的な判断力は伸びる。長老とはそういう人たちのことを言う。霊的な感覚を持っている。

運命は五感によって決まってくる。総合的な力によって、どういう仕事をするか、明日はどんな仕事をするか、決まってくる。
人間の毎日の過ごし方は、こうした感覚によって決まっている。食べ物によって運命をどう運んでいくか決まっていく。

6 料理は最大のアート
食の知恵をつけるなら、自分の運命を、作れるようになって欲しい。そうして自己実現して欲しい。食のコントロールをできることが、人生の自己実現につながる。

キツネをみても、親に食べ物のとり方と食べ方を習い、大人として自立する。
人間はより高度に、自分の人生を自分でクリエーションしていく。そこで食の知恵を身につけることが問われている。料理は人間しかしない。料理は宇宙の仕組みを知ることだ。理をはかるのが料理だ。それが人間に料理というものが与えられていることだ。
料理をしない人は、命を他者にあずけている人だ。料理は最大の遊びであり、アートだ。命を作るアートである。

自分はこういう人生を作るのだから、こういう料理を作る。それが人間に与えられたことだ。
試練の中から、ちゃんと自分の食べるべきものを掴み取り、人生の自己実現をすることが大事だ。

7 半断食で感覚を取り戻す
半断食をなぜしているのか。自分にとってどういうものを食べればよいかを身体で知ることだ。現代人は頭ですべてをやりすぎている。マニュアルばかりになっている。
身体性を忘れて、鈍くしてしまっている。頭だけですべてを操ろうとしている。

身体に聞ける感性、声をちゃんと聞ける身体を作らなければならない。
そのために生まれてから感性を鈍らせてきたさびを落とさなければならない。感覚が分からないから何でも食べてしまう。これを仏教では「餓鬼道」という。
これを分かるようになろうということだ。みかんを食べるとこういうからだの変化がある。こういう気持ちが出てくる。ならば今は必要だとか、必要ではないとか、そういうことを分かるようになろう。

8 自分にとって正しい食事とは何か
自分にとって正しい食事は何か。
一つ、おいしいこと。
二つ、身体が元気になる。パワーが出てくること。
ただし、現代の人たちは、元気すぎる。いつもハイテンションでそう状態だ。動物性のものが多すぎでそうなっている。それはよくない。

三つ、心が楽しくなる。
この三つが大事だ。しかし世間はおいしければいいとだけ言っている。
昔の精進料理などのように、身体がよくなるのが条件だ。

9 食事による養生(食養)のポイント
食養の場合は心がウキウキするのが大事。
これができるようになったときに、「正しい料理」だといえる。

これにはマニュアルがない。同じものを食べても、違うときでは違う状態になることがある。
それらを自分の中で描いて、自己実現力を高めていく。

桜沢先生(注 桜沢如一・マクロビオテックの創始者)は、自由人とは自分が描いたビジョンがみな本物になっていく人のことを言った。身体が悪くなるとビジョンが実現しない。
その辺のことも視野にいれて、毎日の食べ物を作って食べよう。そのためにぜひとも敏感な身体になろう。

あなたたちはすでに、外に行っても空気を感じる力も強くなっている。
その辺のことを味わいながら、さあ最後のロードワークへ行ってください!