守田です。(20110603 02:00)

今宵はもう一つ発信します。

6月25日に「カトリック正義と平和京都協議会」の方たちに呼んでいただいてお話することになりました。河原町三条のカトリック会館で午後2時からです。

カトリック・・・というと、僕には格別な思いがあります。
僕自身は、特定の神さまを信じてはいませんが、およそ神々しいすべての存在に敬虔な思いを抱いています。その意味では多神教徒で、カトリックの信仰を・・・申し訳ないですが・・・持ってはいません。

しかしカトリックというと、前の法皇、ヨハネ・パウロ2世のことを思い出します。法皇は1981年に広島を訪問され、「平和アピール」を出されました。
今、読んでも胸がうち震える文章です。一部だけですが、引用してみます。

「35年前、ちょうどこの場所で、数多くの人々の生命が、一瞬のうちに奪い去られました。そこで、わたしはこの地で、「人間性のため、全世界に向けて生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを、出したいと考えます。

各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。平和達成のために、みずからを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることがけっしてないようにしようではありませんか。再び戦争のないように力を尽くそうではありませんか。

全世界の若者たちに、次のように申します。
ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。

すべての人々に、私はここで預言者の言葉を繰り返します。
「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」(イザヤ2・4)。

神を信じる人々に申します。
われわれの力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか。」
広島にて 1981年2月25日

なお全文は以下から読めます。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/etc/hiroshima.htm

僕は一時期、同志社大学の社会的共通資本研究センターに身を寄せて、研究活動をしていました。この社会的共通資本という概念を編み出され、センターを立ち上げられたのは宇沢弘文先生です。

その宇沢先生、実はヨハネ・パウロ二世にローマに呼ばれ、お話したことがあるのです。

1990年8月、宇沢先生のもとに、ヨハネ・パウロ2世からお手紙がきました。
1991年が回勅「レールム・ノヴァルム」が出されてから100周年に当たるので、新しい「レールム・ノヴァルム」を出すことになり、協力して欲しいとのことです。

回勅とは、ローマ法王が、その時々に直面する最も重要なことがらについて全世界の司祭に通達する文章のことです。1891年、これを出されたレオ13世が「資本主義の弊害と社会主義の幻想」というサブタイトルをつけた文章を出された。

実は宇沢先生。ローマ教会2000年の歴史の中で、初めてこの作成に呼ばれた「外部者」だったのですが、そのとき先生は、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」というサブタイトルをつけた文章を出すことを提案されました。

ヨハネ・パウロ二世は大変、喜ばれ、宇沢先生の意見に耳を傾けて下さったそうです。

1991年・・・この年は旧ソ連が崩壊していった年です。その前に東欧の社会主義が相次いで崩壊していった。今、多数の社会学者たちが唱えているのは、この崩壊の大きな要因がチェルノブイリ原発事故にあったということです。

この事故のとき、旧ソ連政府は、事故隠しを行って、たくさんの人々を被ばくさせてしまった。キエフ市などでは、「パニックを起こさない」という掛け声のもと、放射能が降る中、予定されていた共産党を祝賀するパレードが行われてしまいました。

赤いネッカチーフを首に巻いたたくさんの子どもたちが、この中を行進し、あたら避けられる被ばくをしてしまったのです。そうしたことが徐々に明らかになる中で、旧ソ連は決定的に人々の支持を失っていきました。

しかしその後のロシア等々がいい国になったのかと言えば、けしてそうは言えない。むき出しの、つまり弱肉強食の資本主義がその後にこの地域に入り込み、あっという間にもの凄い貧富の差がうまれてしまったのでした。

そうした事態を前にしながら、宇沢先生は「社会主義の幻想と資本主義の害悪」というサブタイトルを回勅につけることを提案されました。
宇沢先生自身はこれをこう語られています。

「21世紀への展望を考えるとき、制度主義の考え方こそが人類が直面する問題を解決するための重要な概念で、それは、資本主義とか社会主義という、経済学のこれまでの考え方では決して解決できない。地球環境、医療、教育を中心とする社会的共通資本の問題をもっと大切に考えて、1人ひとりの人間が人間的尊厳を守り、魂の自立をはかり、市民的自由を最大限に発揮できるような安定的な社会を求めて、私たちは協力しなければならないことを強調した」(『経済学と人間の心』東洋経済16頁)

ところで宇沢先生。その後にヨハネ・パウロ二世のお部屋に招かれて、ご馳走になったことがあるそうです。美味なワインで「すっかりいい気持になった」先生、ヨハネ・パウロ二世にこう申し上げたという。

「いま、人々の魂は荒廃し、心は苦悩に侵されている。この世界の危機的状況のもとで、あたなは倫理を専門とする職業的専門家として、もっと積極的に発言しなければならない」。

ヨハネ・パウロ二世は、にこにこしながらこう言われたそうです。

「この部屋で、私に説教したのは、お前が最初だ」。
(You are the first to preach me here!)

そんな話を僕も宇沢先生にお酒をご馳走になりながら、何度ともなく聞かせていただきました。そのときに、宇沢先生が繰り返しおっしゃったのが、広島でヨハネ・パウロ二世が語られた平和アピールには、社会的共通資本の考え方のエッセンスがつまっているということでした。

僕自身、社会的共通資本を学び、研究するものとして、この言葉をかみしめながら、歩みたいと思います。
「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。」

みなさま。

正義と平和の心を持ち、原発事故に立ち向かい続けていきましょう!
東日本の方々と、嘆き、痛み、苦しみを分かち合いながら、明日に向けた可能性を切り開いていきましょう!


カトリック正義と平和京都協議会学習会
フクシマ原発事故から学ぶ

日時 6月25日(土) 午後2時~4時
場所 河原町三条・カトリック会館6階
報告 守田敏也さん(フリーライター)
 元 同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェロー)
参加料 無料(原発被災者への募金箱を置きます)

神は天地創造にあたり、造られたものをご覧になり、「それは極めてよかった」と言われ、全てを人類にお委ねになりました(創世記1章)。人は地球上の全てのものを、神の意志に従って管理し、人類の幸せ実現のために有効に利用し、何世代も後の子孫にまで、正しく美しい状態で委ねていく責務を負っているのです。

フクシマ-ゆっくり、長く、大量に続く、放射能漏れ事故-この学習会を予定してる5月25日現在、福島原発がいったいどのような状況になっているのかすら、誰も予想することができません。人間の手で制御しきれないようなものを作ってしまい、そしてその犠牲となる者は、いつもその恩恵を享受してきた者ではない、そのような不条理を、黙って見ていてよいのでしょうか。

「原発をなくしては、日本の経済が成り行かない?」「CO2を減らすために原発は必要?」「夏場の電力需要を考えたら・・・?」「感情論での反原発は現実的ではない?」それって、本当に本当でしょうか。
現場や現地の人びとに犠牲を押しつけ、子々孫々にまで、どうにもならない核のゴミを押しつけるエネルギー政策は許されることでしょうか。

関西に住む私たちに今、避難民当事者との温度差がないとは言えませんが、全国で一番固まって13基もの原発が稼働しているのが若狭湾であるという現実をもっと注視すべきではないでしょうか。未だに、「もっと安全な原発を」という発想にとらわれている人が少なくない中で、私たちは脱原発の道筋を提示する知識と力を得ることができるようにと、学習会を企画しました。

報告者の守田さんは、同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、原子力政策に関しても独自の研究と批判活動を続けてこられた方です。多くの方のご参加をお待ちします。

主催 カトリック正義と平和京都協議会