守田です(20201125 15:30)

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の考察の続きです。
今回は資本主義の成立から市民革命までを俯瞰します。

● 商業圏が暴力的に広がっていった

資本主義にいたる過程で、大きな社会的作用を及ぼしたのが大航海時代だったことを前回見ました。
この時代は羅針盤の登場で航海がより遠くまでできるうようになって、商業圏が一気に拡大していくとともに、火薬の登場によって武力が飛躍的に大きくなり、暴力が全面開花しました。
船には大砲がすえられ、大きな海戦が何度も起こりました。資本主義には、その発生からして大きな暴力性が宿っていたことを見ておく必要があります。


レパントの海戦(1571年) オスマン帝国対教皇・ベネチア・スペイン連合の戦い


アルマダの海戦(1588年) イングランド対スペイン 海戦では火力が勝敗のカギを握っていた

それでも資本主義時代の前まで、商人たちは自分たちで商品を作っているわけではなく、あるところのものを商品として、違うところに運んでいるに過ぎませんでした。
生産活動は商品経済の外側で行われており、資本主義はそこには及んでいませんでした。
生産はそれまでの社会構造の中で行われており、商品交換は共同体と共同体の間でおこなわれているにすぎませんでした。

● 商品交換が私有意識、個人意識を促進した

しかし商品交換の急速な進展は、共同体内部に変化をもたらせはじめました。それまで世界の多くの地域で、モノとは人や社会に縁のあるもので簡単に交換できませんでしたが、それが急速に変えられていったのです。
例えば日本の中世の場合、モノは縁を断ちきらないと他者に渡すことができませんでした。それで聖なる場である市場に投げ込んで縁を切り、やっと譲渡可能なものすることができました。
このため市場の「売り買い」を担うことができたのは、属性と縁を断っている聖者たち、禅宗の僧侶などでした。


日本中世については網野善彦氏の研究に詳しい

ところが商品交換が共同体内部に浸透し出すと、モノと人の縁が薄くなりだしました。これとともに資本主義社会以前には主流ではなかった「私有」概念もまた強まりだし、これともに近代に主流になる個人意識も生み出されました。
共同体から無縁で、切り離された「私物」であってはじめて「交換」の場に持ち込めるからですが、それは共同体的生産の中で「われら」として捉えられていた自分を「われ」と捉える意識をも強めたのでした。
こうした「私有」意識は、それまでは共有財産であり、誰ものもでもなく誰のものでもあった土地に対してももたらされはじめました。「土地所有」という、それまでは希薄だった意識が膨れていきました。


ルネ・デカルトの『方法序説』1637年「Cogito ergo sum=我思う、ゆえに我あり」など近代個人主義哲学の祖とも言われる考察が

● イギリスで農村から人々が追い出された

こうした中で、歴史的にはスペインを打ち負かして制海権を得たイギリスの、ある特殊商品が大きな歴史的位置を持つこととなりました。
販路の拡大の中で毛織物の需要が高まりだし、原料の羊毛の社会的価値があがっていったのです。
これに目を付けたイギリスの領主たちが、羊をたくさん飼って羊毛を売るために、それまでの農地を囲い込んで住んでいた人々を追い出し、牧場に替え始めました。これを「囲い込み」=エンクロージャーといいます。

重要なのはそれまで領主によって土地と共にあるものとして統治されていた人々が、土地(生産手段)から切り離されたことでした。
これらの人々は行き場を失って都市に流入して貧民となりましたが、領主の持ち物でもあった封建的な人間関係からも自由になりました。
しかし耕す土地がない。封建関係からは自由でも生きていくための生産手段がない。都市にはこうした貧民が溢れるようになりました。


『ユートピア』の著者トマス・モアは、エンクロージャーを「羊が人間を食べている」と批判

● 資本主義の成立と市民革命

商取引の中で財を蓄積した人々はさらに羊を飼うだけでなく、自分たちで織物を作りはじめました。小さな工場(マニファクチャア)が作られだしました。自らの財を資本として使いだしたこれらの人々が資本家階級(ブルジョアジー)を形成していきました。
資本家階級は、自らの資金で工場や工作機を買うとともに、都市に流入した生産手段のない人々を雇い入れ、これらの人々に生産を担わせ始めました。雇用という形で貧民の労働力を商品として買い、使いだしたのです。
こうして工場などの生産手段と、労働力を商品として購入し、生産を行って新たな商品を作り、それを売ってより大きな価値を得る仕組み=生産をも商品形態のうちに行う資本家的商品経済の仕組みができあがりました。

この際、生産手段を持たないがゆえに無産階級とも呼ばれた人々が、自らの労働力を売って生活していく労働者階級(プロレタリアート)となりました。
こうなってくると、かつて商人を保護しつつ支配もした王たちの力は、自ら商品を生産して自由な売り買いをはじめた人々=資本家階級(ブルジョアジー)に煙たがられだしました。
ブルジョアジーたちは、税の支払いを求める王の支配を否定して「自由主義」を掲げました。その力はやがて王政を倒す市民革命に結実しましたが、この際、プロレタリアートもブルジョアジーとともに王政を倒すために立ちあがりました。

こうして資本主義は旧制度を一掃して新時代を切り開きましたが、この市民革命もまた徹底した暴力の行使によってなされました。とくにフランスではギロチン台が登場して多くの王族の首がはねられました。
この点で資本主義にはその登場を促した大航海の時代も、政治権力を王達から奪取した「市民革命」の時代にも、強い暴力性がまとわりついてきたことをおさえる必要があります。


「民衆を導く自由の女神」ドラクロワ画 しかしフランス革命の暴力性から問い直す必要があるのでは?

続く

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