守田です。(20130101 23:30)

みなさま。新年、あけましておめでとうございます。
2013年初の「明日に向けて」をお送りします。

年頭にあたって、何を発信するのがふさわしいのかを考えながら、新聞各紙の本日付の社説を可能な限り読んでみました。すべてを読見込めたわけではありませんが、それでもやはり郡を抜いているのは沖縄の二紙「沖縄タイムス」と「琉球新報」だと思いました。目前にある米軍基地問題と向かい合いつつ、平和の問題を考察しているからです。他にも地方紙で鋭い視点を打ち出しているものがあります。
しかし大手新聞のすべてには12月の総選挙のときと同じ欠落がありました。一つには私たちの国が直面している最も恐ろしい危機、すなわち福島原発事故がいまなお収束などしておらず、地震をはじめ、何かのきっかけて再び深刻な事態が発生する可能性が残されていることが、まったく無視されてしまっていることです。
本当に嘆かわしいことです。僕はこれまで、災害心理学を援用しつつ、人には危機に際して「正常性バイアス」に陥る可能性があることを繰り返し指摘してきました。危機そのものを認めずに、心の平静さを保とうとしてしまうのです。それが2011年の福島原発事故以来、この国を覆い続けてきているわけですが、そのことに大手新聞各紙は今もメスを入れていない。
「正常性バイアス」に自ら嵌ってしまっています。これそのものが私たちの目の前にある危機です。今年も市民の側からの積極行動で、このバイアスを打ち破り、危機と向き合っていく必要がある。それぞれの地域での避難訓練など、原発災害対策を真剣になって積み重ねていかなくてはなりません。

もう一点は、私たちの国に、現に膨大な放射能が流れ出してしまい、大規模な被曝が今なお進行していることです。これは現に進んでいる危機です。今なお、放射線管理区域に相当する地域にたくさんの人々が住んでいます。子どもも赤ちゃんもいます。このあまりに異常な事態が放置されていることもまた各紙に無視されてしまっている。
今、私たちの国が進めなければならないのは、何よりも東北・関東での放射線防護策の徹底化です。放射線測定体制の拡充・進化、避難権利の大幅な拡大、とくに学童疎開への早急な着手、被曝調査と医療の充実などが含まれます。そして忘れてはならないのは、これらが津波被害からの復興と一体のものとなって進められなければならないことです。
震災遺物(がれき)の広域処理問題が大きな焦点になってきたことにも明らかなように、津波被害が押し寄せた多くの地域はまた、放射能の影響も受けてしまっている地域です。だから被災者支援のためにも、放射線防護対策が重要なのです。にもかかわらずこの点もほとんど触れられていない。
市民の側からできることは何か。市民自らが科学をすることで、内部被曝の危険性をより主体的につかみとり広めていくこと。またその中から放射能時代を生き抜く知恵を紡ぎ出し、被災地の方々ともシェアしていくことです。津波被害のストレスの上に重なる被曝は危険性がより高い。だから被災地を守る放射線防護活動と健康サポートが必要です。
またこれを充実させることは、全国での被曝回避策を発展させていくことに連なります。しかしこの点にもどの新聞社もほとんど触れていません。

私たちの国は、これまで繰り返してきた愚かな自滅の道を歩みつつあると言えます。危機は分かっていたのに、誰も正面からきちんと向い会おうとしなかったが故に、それを回避できなかった誤りです。そもそもその最たるものが、原発の危険性であり、もっとはやくそれに気づいていれば福島原発事故とてあわなくてすんだ事故だったのでした。
さらに遡れば、太平洋戦争についても同様のことが言えます。実はアメリカと開戦するときに、天皇を中心とした「御前会議」に参加していた大日本帝国の首脳たちは、誰ひとり、アメリカと戦争して勝てるとは思っていなかったことが今日、明らかになっています。誰もが戦争の回避を望んでいたのです。しかし1930年代より、中国侵略を10年間も続け、20万人が戦死していた。
そのため「中国から撤退せよ」という当時のアメリカの要求を飲み込むと、自分の政治的立場が危ういと彼らは考えた。それで陸軍は海軍が戦争回避を言い出すことを望み、海軍は陸軍が言い出すことを望むという具合に、責任のなすり合いを続けていたのでした。誰も自らの身命を投げ打って、「国体」を守ろうとなどしなかった。それで戦争に突入してしまったのです。
同様のことは戦争の最中にも続きました。そもそも緒戦をのぞいて日本軍は物量上回るアメリカ軍に圧倒されていき、敗戦に次ぐ敗戦を重ねました。そのためどこかで降参すればより大きな被害が避けられることは分かっていたのに、それをしないまま戦争を続け、都市空襲、沖縄地上戦、原爆投下を受けるにいたってしまいました。

すべて戦争だから仕方がなかったのではなく、事前に予想され、回避することのできた敗北であり、壊滅なのでした。それと構造的には同じことが、今、日本の社会の中で進行しつつあります。おそらくこの国の中枢の人々も、マスコミの首脳陣も、危機を認識してないということはないでしょう。しかし自分が「いいだしっぺ」になることを恐れている。
そして「あまりに大きすぎて手に負えない危機はないものと考える」という、この国の首脳陣が繰り返し陥ってきた誤りの中にはまりこんでしまっているのです。そのことが本当に不気味なほどに、各社の社説に欠けるものに反映しています。しかし当たり前のことですが、危機は見ないようにしたって眼前として存在しているのです。
2013年を迎えるにあたり、私たちが認識すべきことはこの点です。もはやいかなる意味でも、この国を既存の政治家たちや、オピニオンリーダを自認する(だから社説を書く)マスコミの首脳たちに任せておくことはできません。そうすれば確実に私たちは壊滅的被害にまでひっぱっていかれてしまいます。
民衆自身が力を持つこと、デモス(民衆)のクラチア(力)を強めること、ただそのことで、私たちの未来を築いていくことができます。そのために今年も一緒に尽力していくことをみなさんに呼びかけたいと思います。

同時にこうした動きはすでに各地域で始まっていることもシェアしていきたいとおもいます。地方新聞各紙にはそうした息吹が反映しています。そのすべてを紹介できないことが残念ですが、日本社会の現実をきちんと見据えて、変革の可能性を探ろうとする可能性は、より地域の人々に近い目線で取材している地方新聞に宿っているように思えます。
その代表格が沖縄の二紙であることはすでに紹介しました。他に上げるならば、仙台を中心に発刊されている河北新報も、読み応えのある年頭社説を書いています。神戸新聞も、太平洋側が中心になりがちな兵庫県の中で、篠山市の市民の活動をきちんと捉えた社説を書いてあり、読み応えがありました。さらに僕が深く共感したのは宮崎日日新聞です。タイトルは「いのちを守る女性目線の社会を」です。
僕がいいなと思ったのは、ここには自己変革のモメントが含まれているように感じたからです。なぜなら私たちの国は、女性の社会的地位が極めて低い国です。スイスのシンクタンク、世界経済フォーラムが昨年10月に発表した2012年版の「男女格差報告」で、日本は調査対象となった135カ国中なんと101位でした。反対に言えば、私たち日本の男性は国際水準からみて大変劣っているのです。
その男性主導の政治が、今の危機を作り出してきたのであって、こうした構造を変えていくことにも、未来を切り開く大きな可能性があることを、私たち男性は、わがこととして考えていくことが必要です。

この記事は、原発事故で宮崎に避難してきた女性に学ぶことの中からそのことを打ち出しており、なおかつ記事全体として、総選挙は民意を十分に反映しなかった。しかし直接行動は世論を動かしていく。「声は必ず届くということに自信を持つべきだ」と変革の意志の継続を呼びかけています。
僕はここに「宮崎日日新聞」首脳部の頭の柔らかさをみたように思いました。現に人々の間で起こっている変革を頭を開いて吸収しているリアルさを感じたからです。ここには私たちの国の変革が、地方からこそ、周辺からこそ、始まっていることが反映しています。
こうした地方新聞の奮闘とも連携しつつ、私たちは、私たちの草の根から世論を、育てていきましょう。月刊誌『世界』を筆頭に、社会問題を骨太に拾い上げて奮闘している出版物もまだまだたくさんあります。そしてその力の源は、全国津々浦々で行われいてる私たち市民の独自行動であり、独自学習です。
私たちの前には厳然として危機があります。しかしだからといって手をこまねいていることはない。可能な限りのことにチャレンジして、私たちの手で未来を切り開いていきましょう。今年一年、ともに尽力を重ねましょう。

以下、宮崎日日新聞の社説を紹介します。

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いのち守る女性目線の社会を
宮崎日日新聞 2013年01月01日
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=50756&catid=15

人間は自然の一部

期待と不安の交錯する2013年が明けた。景気・雇用、社会保障、消費税増税、環太平洋連携協定(TPP)、外交など諸課題が山積する新年だが、もっと大事なことを忘れてはいないか。11年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故を。あの記憶は決して風化させてはならない。
原発反対を訴える人たちは昨年、毎週金曜日に首相官邸前に集まり、多いときには20万人(主催者発表)もの人々が必死に声を上げた。それほど関心の高い問題だったはずなのに、昨年暮れの衆院選では不景気の陰に隠れてしまった感は否めない。それに加え政治に対する失望感が予想以上に強かったのだろうか。

その証拠に、衆院選では戦後最低の59.32%という投票率。独り勝ちしたといわれる自民党の小選挙区での得票数は2564万票で、なんと惨敗した09年の2730万票よりも少ないのだ。必ずしも自民党に期待が集まったわけではない証明になっている。この数字も「今の政治では何も変わらない」といったあきらめを映し出しているのかもしれない。
それでも忘れてはならない。大震災は行方不明者も含め2万人近い尊い命を奪い、私たちは途方もない大自然の脅威にさらされた。そして「安全神話」が確立されていた原発も襲い、被ばくを避けるため今も福島県内外の16万人が古里に戻れないままである。不景気に追い打ちをかけた3・11を経験し、この国の歩みも人々の思考も止まったかのようだ。

■母性ならではの危機意識■
なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて 歌集「トリサンナイタ」で昨年、第17回若山牧水賞を受賞した歌人大口玲子さんの一首。東日本大震災後に仙台市から宮崎市へ移り住んだ。被ばくから逃れ、一人息子を育てるためだ。会社員の夫は仙台に残り、宮崎へは月に1度訪ねてくる。
夫とともにいるべきか、放射能の不安から子どもを守るため避難すべきか。残っている人たちへの自責の念にかられながら仙台を離れることを選んだ大口さんからは、強い母性が伝わってくる。
「胎児の世界」(三木成夫著)によると、子どもは母親の胎内で成長する間、「太古の海に誕生した生命の進化の悠久の流れ」を再現するという。生物が海から陸に上がるまでの1億年のプロセスを十月十日でたどるというのだ。
その生命を生み出し、月の満ち欠けとともにある女性のからだは自然の一部と言える。大口さんが仙台での暮らしに危うさを覚えたのは、そうした女性ならではの本能だったのかもしれない。

小学生のいる県内の若い母親は、政権に返り咲いた自民党の政策に危惧を感じるという。憲法を改正し、自衛隊を「国防軍」に変更する方針に「いずれは徴兵制が敷かれるかも」と不安を口にする。これもまた、子どもを守る母性から出た言葉に違いない。
ただ自民党と連立する公明党は、自衛隊の名称変更の必要性は認めず、交戦権を禁じた憲法9条の平和理念も尊重している。そのため自民党も当面は配慮する姿勢をみせているようだが、あくまでも平和へ向けて粘り強い外交にこそ力を注ぐべきだ。
衆院選で投票した有権者が最も期待したとされるのが景気・雇用対策。しかし、安倍晋三首相が明言する大型公共事業の積極推進には疑問符が付く。防災、減災はむろん必要だが、ばらまきとも取れる投資のために赤字国債が乱発されることはいただけない。経済波及効果が本当に表れるのか、見極める必要があるだろう。
増え続ける年金、医療、介護、子育てなど社会保障費を賄うという名目の消費税増税も迫る。暮らしがより厳しくなる国民に負担を強いる前に、政治家自身が身を切る覚悟があるのか。例えば政党交付金は国民1人当たり250円が血税から拠出され、毎年約320億円もが交付されている。
米国のオバマ大統領も再選後、打ち出している富裕層への増税など、日本も税の仕組みを根底から検討すべきだ。

■世論を動かした直接行動■

作家の村上春樹氏はエルサレム賞受賞あいさつで「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」「その壁はシステムと呼ばれ、本来は我々を護(まも)るべきはずのものですが、ときには独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」と述べ、我々の魂がシステムに絡め取られ、貶め(おとし )られることのないよう警鐘を鳴らしている。
村上氏の言うシステムに翻弄(ほんろう)されてきた男性もまた、立ち止まって考えてみる時機ではないか。もう一度女性の目線で考えれば、暮らしはきっと変わる。
先の衆院選で反原発の声は届かなかったようにみえるが、首相官邸前での直接行動や世論は、ほとんどの政党が脱原発を政策に掲げざるを得なかったことでも反映されている。声は必ず届くということに自信を持つべきだ。女性ならではの声が生かされる社会を目指そうではないか。
ことしこそ、社会の至るところで苦戦を強いられている生活者が、少しでも希望の持てる年であるよう祈りたい。