守田です(20200815 23:30)

● 日本の指導層はアメリカに勝てないことを知っていて戦争に突入した

75年前の本日、8月15日、大日本帝国政府は連合軍のポツダム宣言を受け入れました。追い詰められて敗戦を選択したのです。
この日は一般的に「終戦記念日」と言われていますが、終戦といっても連合国側と日本が戦争を止める対等な合意をしたわけではありません。日本が無条件降伏したのです。したがってこの日は「終戦」ではなうく「敗戦」の日なのです。
この日にぜひともご覧になって欲しい番組があります。NHKが2011年に「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」を問うて作成したドキュメントの4回目「開戦・リーダーたちの迷走」です。

日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回「開戦・リーダー達の迷走」
https://www.dailymotion.com/video/x1x0qaq?fbclid=IwAR0iG8zABGOLp9PfeCkrZpUbIjLdt8oUO0jgJ5jfqaAf1bwpf-9xz7cu9MQ
この番組を見ていただきたいのは、驚くべき事実が明らかにされているからです。1941年の開戦当時、天皇を囲んだ午前会議に出ていたすべてのメンバーが、日本はアメリカに絶対に勝ないと認識していたことです。
理由はアメリカと日本の国力差が総合力では80対1も開いていたこと。これだけの国力差があれば、どう考えても勝つ可能性などない。
こう考えていたのは政治家だけではありませんでした。陸軍も海軍もまったく同じだったのです。日本は国のリーダーたちが誰一人も勝てないと思っていた戦争に突入していったのです。


日米の当時の国力差 同番組より

● なぜ戦争を回避できなかったのか

絶対に勝てないと分かっていたのに、なぜ戦争を回避しなかったのか、できなかったのか。
最大の理由は、自分たちがさんざん戦争熱を煽り、中国侵略戦争に駆りだした日本民衆の、きわめて好戦的な雰囲気を恐れたことにありました。
アメリカは中国からの撤兵を要求していましたが、それまで20万の兵士の死をもたらし、国家予算の7割をもつぎ込んでいたため、軍部も政府も引き下がることができなくなっていました。正確には、引き下がって民衆の批判のまとになることを恐れたのでした。

このため海軍は、先に陸軍に戦争を回避を言いだして欲しいと考えましたが、陸軍も同じように考え、ともに黙っていました。
そんな中で内大臣木戸孝一の推薦のもと、東条英樹内閣が生まれましたが、これは東条が天皇に忠実とされたために、天皇が戦争回避を命令すれば、東条が陸軍を抑えらるだろうと踏んだからでした。
しかし昭和天皇もまた「戦争は止めよ」とは言い出しませんでした。その結果、誰もが絶対に踏み込んではならないと思っていた対米戦争に、国をあげてのめりこんでしまったのでした。


20万人を失い予算の7割も使っていた 同番組より

● 誰も国を守ろうとは思わず身体をはった行動にも出なかった

このあまりに酷い事態、いやばかばかしいとしかいいようのない事態に、なぜ当時の日本政府と軍部は突っ走ったのか。
番組の最後で、陸軍省軍務課長だった佐藤賢了がこう述べています。「独裁的な日本の政治ではなかった。だから(戦争回避)はできなかったんです。だから戦争に入るようになったんです。
こうした日本人の弱さ ことに国家を支配する首脳 東条さんをはじめ我々の 自主独往の気力が足りなかったことが この戦争に入った最大の理由だと思います」

そうではありません。端的に言って誰も命をかけてこの国を守る気などなかったのです!午前会議に出ていたメンバーの中で、一人も国を守る気概を持ってはいなかった。勝てない戦争を身体をはってとめようとはしなかった。
もちろん昭和天皇もそのうちの一人です。誰もが戦争を止めたかったのだから、大元帥であった天皇が「戦争をやめよ」と命令すれば、陸軍も海軍も喜んでしたがったでしょう。
誰かが止めればあの戦争は回避できた。にも関わらずこの国は、中国侵略を拡大し、東南アジアも侵略し、各地で反撃を受けて疲弊するうちにアメリカから沖縄上陸、本土空襲、原爆を受け、ものすごい死者を出して崩壊したのでした。


「我々の自主独往の気力が足りなかった」と元陸軍軍務課長は言うけれど・・・同番組より

● もう同じことは繰り返させない!

その後、この国は平和憲法を持ち、戦争を否定して今日まで歩んできました。戦争で傷ついた人々、わたしたちの先達が懸命になって民主主義を育ててきてくれました。
しかし勝つ見込みのない戦争に国をひきずり込んだこの国の支配層は、戦後はアメリカに全面的にすりよることで生き延び、国の命運など考えずに、自分たちの地位の保全ばかりを考えてきました。
このためこの国は、地震大国であるにもかかわらず、アメリカに押し付けられた危険な原発にしがみつき、あげくの果てに福島原発事故で、ひとたび国の半分がなくなるほどの危機に直面しました。

この国の支配層の誰も、この国を大切だとは思っていないし、愛してもいない。いわんや守る気など持ってないのです。
これに対して戦後、日本民衆はかつての日本の侵略戦争を捉え返し、さまざまな抵抗運動を作りだしてきました。ベトナム戦争反対運動などはその典型でした。
さらにいま、福島原発事故後に多くの人々が政府のウソに気づき、世論の大半が原発反対を唱えるまでにいたっています。沖縄の米軍基地の辺野古への移設も民衆の力で阻んでいます。

この流れこそが、この国の本当の安全を守り、人々を守り、平和を支えているのです。だからこの流れをもっと強めましょう。もう絶対に同じことは繰り返させない。
そのことを8月15日の敗戦記念日にみなさんとあらためて決意したいと思います。


各地の民衆行動こそがこの国の人々を守っている! 関西電力京都支社前行動 2017年9月 守田撮影

#終戦記念日 #敗戦記念日 #日米戦争 #太平洋戦争 #負けると分かっていた

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