守田です。(20121127 23:00)
日曜日に3つの企画でお話させていただきました。
朝10時から京都駅そばの梅小路講演で、ベジタリアンフェスティバルに参加。30分ほど話をしました。その様子をIWJが中継してくださいました。以下にURLを貼り付けておきます。
この間、食べ物に関する発言内容を深めているのですが、今回は「過食と肉食の関係性」について少しだけ触れました。この辺のことをこの場でも今後もっと丁寧に展開しておきたいと思っています。
今回はアウトラインだけになりますが、興味のある方はぜひご覧ください。なお僕の発言に続いて、インド舞踊も見ることができます。これも必見です!!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/41941#
この発言を終えた後、京都駅に急いで、11時25分発の特急きのさき3号に乗車、2時間かけて宮津市に向いました。
駅で車でのお迎えをうけて、宮津市城東会館に。そこで原発災害避難と、内部被曝について話をしました。
宮津市は高浜原発から30キロちょっとの地点です。その先に丹後半島があるのですが、実はこの丹後半島で1902年に大きな地震が起こっていて3000人近い方が亡くなっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%9C%B0%E9%9C%87
そのことを報じたNHKの番組を先に放映してからの講演となりました。主催はこの地域の自治会の方たちです。
僕は番組の途中からの参加になり、番組を全部は見れなかったのですが、若狭の原発群の直近とも言えるこの地域で、こんな大きな地震がつい100年前に起こっているのは驚きでした。
主催者の方のお母さんの家が、活断層から田圃一枚隔てたところにありながら、奇跡的に倒壊を免れたということで、強い当事者性を感じました。
巨大地震のリアルな可能性と、原発災害への危機感の中で、原発災害に対してどのような心づもりで向かうことが必要なのかをお話しました。内容はこの間、「原発災害についての心得」などで紹介してるものですが、地域の方々と一緒に話を深めることができて感慨深かったです。
また質疑応答では、この若狭湾を取り巻く地域と、原発の癒着の構造に詳しい方からの話などもあり、参加者みんなで聞き入りました。地域の方たちとじっくり考察を深めることのできたなかなか素敵な企画でした。
その後、車で丹後半島の先の伊根町に移動。ここは「船宿」で有名な町です。家がそのまま海につながっていて、船がつけられるようになっているのです。若狭湾の奥まったところにあり、奇跡的なほどに波の影響が少ないので、こうしたことが可能になっています。
丹後半島では農の営みも盛んですが、企画には若い子育て世代の方たちと、古くからこの地域で農の営みを続けている方たちの双方が集まってくださいました。全体として生産者の方たちの多い集いでした。
まずみなさんが作ってきてくださった、玄米と味噌汁を中心としたシンプルだけれどもとてもおいしいご飯を出していただいて、みんなで食べながら、ピアノの演奏と歌を聞きました。
続いて、東北を訪問された生産者の方から、福島など、現地の生産者の方たちの様子が報告されました。なんとも言えない現地の苦悩が報告されました。それをいかに受け止めたらいいのか、報告者の方もとまどいながらの説明でした。
僕は放射能と食べ物の話、農の営みの話をしました。とくに要請をうけて僕が繰り返し訪れてきた宮城県南部の農村の方たちのお話をしました。角田市で、平飼いで健康的な鳥を育ててきたピースファームのしょんつぁんとひめちゃん、あるいは仙台の太白区の山を単身開墾した「石森少年」こと石森秀彦さんのそれぞれの農場の写真をおみせしました。
どちらも素晴らしい営農を実現していたのに、そこに放射能が降ってしまった。その中で営農の可能性を探り、それぞれに放射性測定室を立ち上げたけれど、しょんつぁんとひめちゃんは、汚染の激しさを前に営農を断念しました。
二つの農家に共通していることは、政府が決めた基準よりもずっと汚染が低かったけれども、早い時期から作物の出荷をストップしたことです。安全なものを作ってくれる生産者の方たちは、危険になったらリスクをかぶってくれる方たちなのだと僕に教えてくれた方たちですが、そういう人たちの営農が難しくなってしまったのです。
ただ、放射能の汚染はどれぐらいでどれぐらいの害が出てくるのかはっきりしていません。講演のときもお話したのですが、このピースファームでお話したときに、僕が忘れられないのは「守田さん。放射能と抗生物質とどっちがやばいだべか」という問いが投げかけられたことです。
こうした農家さんたちが作っているものは、抗生物質だとか、化学物質がほとんど入っていません。その代わりというか、天然の栄養素やミネラルがたくさん入っている。そこにわずかながら放射能がついたものと、薬品漬けのものとどっちが安全なのだろう。
「ウーン、濃度でしょうね」とお答えしたのですが、僕にはこれらの農家さんたちのものの方が、まだまだ安全なのではとも思えました。しかしそれはデータの裏付けのない推論でしかありません。それになんというか、あの丁寧に作られた食べものたちを見ていると、安全だと思いたくなるのが人情でもあります。
どう考えたらいいかを悩みながら、双方ともに出荷をやめました。石森くんの場合は即断でした。でもこの地域には反対にまだしもこの野菜の方が安全なはずと考えて、出荷された有機農家さんや自然農家さんもいたとも聞いています。そうした迷い、苦悩そのものがなんとも胸が痛くなることです。
少なくともはっきりしているのは、出荷を止めることでのリスクをこうした方たちに負わせ続けるのはあまりに理不尽だということです。生活の糧が奪われてしまうのです。政府は非常に甘い基準を設けて「生産者のため」とうそぶいていますが、それもまた大きな嘘です。
生産者は甘い基準を作られると、それ以下で出荷を止めると、何の補償も受けられなくなってしまうからです。甘い基準は生産者のためなどではまったくない。賠償責任のなる東京電力と政府のためなのです。そのために生産者も消費者も犠牲にされている。この構造こそが覆されなくてはいけない。
企画に参加された伊根町の方たちは、その痛みを体中で聞いてくださったように思いました。その中で、生産者の方を前に、釈迦に説法だなあと思いつつですが、食べ物のお話もさせてもらいました。
質疑応答ではみなさんから活発な発言が続きました。養鶏家の方がおられて、僕がよく理解してなかった点を詳しく教えていただけました。その内容を今後反映させていただきたいと思いますが、流石にプロの方のお話は味わい深かったです。
それやこれや、放射能と食べ物の話を中心に意見交換が続き、会場を出たのは午後10時過ぎでした。
こうして今回の3つの企画を終えて、昨日、京都市に戻ってきましたが、今回の訪問でもいろいろと教えられることが本当にたくさんありました。
都会での集会とは違って、地域に密着した方たちの集まりで、とくに生産者の方たちと一緒になって、原発のこと、放射能のことを語り合うのは、なんというか、とてもしんみりしていていい場です。深刻な話なのですが、温かさんがある。大地とのつながりを感じれるからでしょうか。
僕は昨年の3月11日以降、何度も朝10時からの講演に子育て世代の女性たちに呼んでいただき、赤ちゃんや小さいお子さんがたくさんいる場で話をさせていただきながら、こうした、最も政治の場に出にくかった女性たちの立ち上がりが、日本を変えつつあるのではと感じてきました。
同じように、こうした地域での企画に参加していると、日本が、ゆっくりと、その最深部から変わりつつあるという感じを強く受けます。それはまだ、明確な受け皿がないためか、選挙に反映してないモメントであるように思えますが、少なくとも僕は私たちの国が着実に変わりつつあることを断言できます!
もちろん、その前に福島原発がもたなくなってしまい、最悪の事態が訪れてしまう可能性が厳然としてあり、私たちはその可能性をけして忘れることなく、腹をくくり続けていくしかない。再稼働している大飯原発にも最悪の事故の可能性があります。
それと向き合いつつではあるけれども、しかし新たな動きを始めた多くの方たちと一緒になって、「明日に向けた」何かを紡ぎ出していきたいとそう思います。
今週末の土曜日は、宮津、伊根町に続いて、今度は原発立地の町、大飯町でお話させていただくことになりました。僕にとってこの町に呼んでいただけるのはとても光栄です。さまざまな矛盾がこうした立地の町に押し付けられてきたのであり、そのことに踏まえて、放射能の危険性について、地域の方たちと話合うことに深い意義を感じるからです。
どの講演会でもそうしてはいますが、精一杯心を込めてお話してこようと思います。
主催者の「サステナわかさ」の方たちが作ってくださった素敵なチラシを、僕のFACEBOOKのページで紹介しましたので、URLを貼り付けておきます。大飯町の方、お近くの方、ぜひお越しください。また大飯町や隣の高浜町などに知り合いのおられる方はぜひ企画内容をお伝えください。
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