守田です。(20120426 22:30)

4月22日に、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」第1回総会と、記念講演、シンポジウムが行われました。僕も参加しましたが、この日の会合を持っていよいよ内部被曝問題研は、その歩みを開始しました。僕もその一員として、放射線防護を少しでも高め、より多くの人々を被曝から守るために、なお一層の努力を傾けてまいります。どうかみなさん。ご支援をよろしくお願いいたします。

総会に続く、記念講演会では、名誉会長に選出された被爆医師・肥田舜太郎さんがいつものようではありながら、毎回、胸を打たれる素晴らしい講演をしてくださいました。肥田さんはこの中で、被曝した人にどう接するのかを語られています。いったん被曝してしまったら、現代医療では治すすべがない。でも放射線の害と闘って、病気を押さえ込むことはできる。努力をして生きようと、精一杯、励ますことが大事だと言うのです。

そのためには、「あなたの命がとても尊いものだということ、その命を大切にしなさい」と問うことが核心だと肥田さんはいいます。だから「漫然と生きてはいけない。理想的な健康的な生活をめざさなくてはいけない。正しく生きて、放射線に負けるな」と、励まさなくてはいけないといいます。

・・・実は僕も今、昨年1年間の激しい活動の中で、体を壊してしまっています。多くの人がそうだったと思うのですが、昨年1年間は、われを忘れて走りぬける、そんな1年間でした。しかしその間に、疲労が蓄積し、それが病を生み出してしまってもいます。被曝の影響も多少はあるでしょうが、ともあれ僕は今、免疫力を落とした状態にいます。

そんなことではいけない!肥田さんの言葉が胸に染み込んできました。昨年7月にお会いしてから、さまざまな機会を捉えて、肥田さんの言葉を伝えようとしてきましたが、その僕自身が、もっと自分の体を、命を、大切にしなければいけないと痛感しています。僕が守りたいと思っている一つ一つの命と、僕の命は同じであり、その僕の命を僕が守ることを通じて、僕はよりたくさんの命を守っていきたいと切実に思いました。肥田さんの発言に、感謝したいと思います。

みなさんにもシェアしていただきたくて、発言を起こしましたが、話し言葉を書き言葉に直す為に、僕が言葉を補いました。文責は僕にあることを踏まえてお読みください。なお動画のアドレスも貼り付けておきます。

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市民と科学者の内部被曝問題研究会 第1回総会記念講演
名誉会長 肥田舜太郎さん
http://www.ustream.tv/recorded/22041423

ご紹介いただいた肥田舜太郎です。長い間、待望していた、みなさんのような優秀な方々による内部被曝問題研究会が発足しまして、おそらくこれは世界で初めてだと思います。核兵器に関心を持っている国、あるいは現在、原発を動かしているどこの国でも、内部被曝の問題はほとんど知られていません。特に国民のみなさんには、まったく伏せられています。内部被曝が隠されているからです。それは、やはり放射能というものを利用して、金を儲けようという側にとっては、その被害が詳しく知られるのは最も恐ろしいことだからです。だから全精力をあげて、内部被曝は害がないと、地球上のすべての国でそう思い込むようにやってきました。

私は広島で軍医をしていて、自分も被爆をしたのですが、偶然、命が助かりました。しかしその瞬間から、殺された人、焼き殺された人、そういうのをいやというほどみてきました。ですから、あの爆弾が原爆だということわかって、その原爆が放射線を出すということがわかるまでには、少し時間がかかりましたけれども、基本は放射線が主力の殺人兵器だというふうに私は認識しています。そして67年間、今でも私に相談にくる被爆者がいますから、ほとんど後半の半生は全部、被爆者のために生きてきたといっても、過言ではない生活を送ってきました。

それほど卓越した医者でもありませんし、学問的にもそれほど深いものを持っているわけではない。平凡な町医者です。研究をすることは時間がなくてできません。症例だけはたくさん持っている。そしてそれを今、振り返ってみると、他人が見てああこの人は被爆したんだなと、ケロイドがあったり、やけどをした痕が残っている人がいます。そういう人ももちろん、大変な苦しみを味わったのですが、内部被曝を受けた人には、外からみたのではなんの証拠もない。具合が悪くて医師にかかっても、日本の医師で内部被曝を知っている医師は当時、ほとんどいませんでした。

ですから検査をしたり診察をしても、彼らの持っている医学知識ではどこにも異常が認められない。必然的に「あなたは病気ではない」という言葉が出る。医師は自分が学んできたことに基づいて、検査の成績にせよ、診断の結果にせよ、どこかに異常があって、それが心臓なり、肝臓なり、すい臓なり、腎臓なり、どこかの内臓に疾患があると判断がつけられない限り病名がつけられない。ですから私のところに泣いて相談にくる大部分の人は、どんな大きな病院にいって、有名な先生に診てもらっても、あなたには病気はないといわれたのです。

「自分がこんなに苦しんで、まともには生きていけないほど体が悪いのに、なんで医者が診て、病気でないと言えるんですか。」そういってみんな怒ってきます。私はそういう患者ばかりをずっと診てきました。そしてできることは、本人を励まして長生きさせることだけです。その状態を治療する方法がわからない。だから結局は本人に健康を守るような生活を指導して、一緒に長生きしようと言うことしかできなかった。

被団協という日本で唯一の被爆者の組織に加わりまして、たった一人の被爆医師でしたから、結局、私がやった仕事は、20万、30万の、生き残った被爆者の長生きをはかることでした。放射線のいたずらに抵抗して、健康を守って生き抜く。これが私の任務だなと思ってそういう仕事をしてきました。ですから今、日本中を歩いて、いろいろな話を頼まれてますが、みんなが私に要求するのは「どうやったらこの子を長生きさせられるのか」、「この女の子を結婚させて子どもがちゃんと生まれるでしょうか」、「私もまだたくさん生きて、面倒をみなければならない、長生きできるでしょうか。どうやって生きたらいいのか」ということです。

だからたくさんの専門家の人が「事故を起こした発電所から、できるだけ遠くに行って、放射線の来ないところで行きなさい。あとは水と食べ物を、絶対に汚染されていないと確かめたものだけを食べなさい」と、そういう指示をする。みなさんもそういう話をテレビで見たと思います。それができる人が何人いるのか。大部分の人はできません。できないことを教えたって仕方がない。だから私はみんなにできることを言います。それを言ってくれる医者だということで、全国から来てくれ、来てくれと話がくるのです。

それは私が被爆者として、たくさんの被爆者仲間を、ガンや白血病にかからないで、寿命の限り長生きさせようという運動を、何十万の被爆者と一緒にやってきた経験があるからです。結論から言えば、自分の健康を守って、自分の命を何より大事だと本当に思って、その命を損なわないような、理想的な、健康な生活を意識的に努力してやる以外にない。それしかない。私はたくさんの被爆者とそういう運動を続けた経験から、確信をもってそういいます。ほかに名案はない。

もう一つは、「自分と自分の子どもだけは幸せになるという考えを絶対に持つな。幸せになるなら、みんな、同じ母親と子どもが、みんな幸せになる道を考えろ。それには努力をして、日本中の原発を全部とめる。それと世界中の核兵器をなくして、日本の国がんまたまた核戦争に利用されるようなことは絶対にしない。それには勇気を持って、アメリカに帰ってくれと言うことなんだ。そこまで突き詰めなければ、この原発問題は片付かないよ。」とそういう話をして歩きます。

これは思想でもなんでもない。「いまある原子爆弾の放射能という、余計なものの被害で苦しんでいる状態から抜け出そうと思えば、一番それを妨害しているアメリカさんに帰ってもらう以外にしょうがない。原発どころじゃない。核兵器まで持ち込んでくる。そんな手合いは、もう戦争は終わって、67年経って、もうそのときの償いは、十分われわれはしてきた。明日からまだまだ奉公しなければならない理由は何にもないんだ。そういう覚悟が決まれば、あなたは、放射能と闘って生きる勇気が持てる。」そういう話をしてきます。

みなさんはもうとっくにご承知だと思うのです。直接、外部被曝を浴びる場合は、放射線の強さに一定の条件がある。皮膚を貫いて中まで入るだけの、そういう放射能の強さがなければ、外部被曝で人間の体に害を与えることはできない。しかし内部被曝の場合は、放射線の量、大小は無関係、どんな少量でも入ったら最後、被爆者なんです。入った放射能はたくさんだから危ない、少量だから大丈夫などということはまったくない。

アメリカは、入った放射線が、内部被曝は微量だから、人間の体には害を与えないという何の根拠もないうそを、落とした瞬間からつき続けてきた。たくさんの人がそれに惑わされ、たくさんの大学教授が、研究もしないで、内部被曝は量が少なければ安全だと今でもまだ思ってます。

私は、広島の被爆者の、同じところで、同じ状態で被爆をした人間が、片方が3日後に死に、片方が今日まだ生きている例を知っています。人によって違うのですね。つまり放射線と人間の関係は、その放射線と、今それを受けた人間の健康状態の関係で、それが、その人の将来を決める。同じ状態が起こっても、みんな被害が違う。それをたくさん私は経験しています。福島の人に何マイクロシーベルトでどうのこうのといろいろな意見が出ていて、全部同じように、あなたの子も、向こうの子も、その向こうの子も、同じような条件で被曝をした。しかし明日からこの子達に起こってくる運命は一人ひとり、みんな違う。
こっちは100まで長生きするかもしらん。こっちは悪いけれども高校生のときにガンが出るかもしれない。それはその子の本人がもっている、被曝したときの健康状態によって違うのです。だから基本は、放射線が体に入ったけれども、その放射線が悪さをして、体の中であっちこっち悪さをしながら、時間をかけて病気を作っていく。それを作らせないようにすれば長生きできるんだ。日本の広島・長崎の被爆者はみんなそうやって長生きしてきました。

「だからあなたがたも、なんとなく生きているという生き方ではなくて、明日から自分は正しく生きるんだ。放射線には負けない。そう思って、飯の食い方から、夜の寝方から、トイレのいき方から、セックスまで、何もかも自分の行為が、度が過ぎないようにすることが大切だ。許された自然の健康を守る生活に慣れ、お酒も過ごさない、タバコは今日限りやめる。悪いといわれたことは全部やめる。そういう生活にあなたもちゃんと見習って、子どももしつける。
そういう生活を明日からしなさい。それがかったるくて嫌なら、遠慮なく放射線に負けて、死んでください。」そういう話をして歩きます。そこまで言わないといけない。ただ、放射線が怖いものですどうのこうのと、学者の先生が話すような話をしても、今の本当に心底心配している母親の悩みはとまりません。

原発というものが、こんなに恐ろしいものだということ、その本当の恐ろしさはまだ出てない。放射線の恐ろしさの一番深いところは、医者が診ても病気だとは思えない。しかし本人は苦しくて活動ができないところです。それを悩んで自殺した被爆者はたくさんいました。会社に務められなくなって、あいつは怠け者だと言われて、自分では働く気が十分ありながら、自分は爆弾にあったんだと誰に訴えても分かってもらえない。人間こんなに苦しいことはないですよ。本当に。

57歳のときに私のところにたずねてきた被爆者がいます。22歳のときに広島で被爆をして、数週間経って、ぶらぶら病がでました。でも軽くて、何日かたって治った。そのまま、なんともなしに57歳まできた。それで中小企業の社長さんでたくさんの人を使って、それが1980年ぐらいに、ちょうど原爆が落ちて35年経ったときに、急にぶらぶら病が出てきた。毎日、5つある自分の工場をまわって、みんなを励まして、段取りをつけるのが社長の役目だった。ところがそれが回れなくなった。かったるくて。

それで新潟の人なのですが、東京の病院にいって、ありとあらゆる医者に診てもらった。でも「何ともない」と言われた。どうしても納得がいかなくて、東大まで診てもらいにいった。ホテルを泊って。そして3日たってやっと診てもらえて、何日か検査をして、何日になったら来なさいと言われていったら「あなたには病気はありません」と言われた。「どうしてですか。私はこんなに悪いのですけれど」といったら「私はどんな人を診ても、病気を見間違うことはありません。あなたを診て病気はない。誰が見ても私の検査はまっとうだし、検査の結果は間違いではない。だからあなたは病気ではありません」と言われ、帰りに埼玉県のこういうところに行くと、詳しい医者がいると聞いて、私のところにきて、かんかんに怒るのですよ。

「なんぼ偉い、東大の先生か知らんが、世界中の人間の全部の病気が分かるわけはなかろう。てめえがわかんないときは、わかんないといえばいいじゃないか。なんで病気がないなんて言うんだ」とかんかんに怒って僕のところにきました。それはその通りなのです。そのお医者さんの考えは間違っている。それで「あなたの病気はこうこうこういうわけで、いまの医学ではどうしようもないし、体が悪いということもわからない。治す方法もなければ、入った放射能をつまみ出す方法もない。あなたが自力で自分の意思で、命を守って生きるしかないんだという話を、2時間くらい話しました。それで納得して帰っていきました。それから毎月、報告書をよこしました。「先生に言われてこういう生活をしています。」それでだんだんその症状が薄れて、結局、最後はガンで亡くなりましたけれども、長いお付き合いをしました。

ぶらぶら病というのは、僕らはぶらぶら病という名前しか知りませんけれども、患者さんの家族がつけた名前ですが、これが福島に、悪いけれども、でるだろうと私は推定しています。というのは、被曝した放射線は、広島と長崎と同じ、ウラニウムとプルトニウムを混ぜ合わせたものがプルサーマルで使われて出てきている。だから広島と長崎で経験したことは、必ずこの人たちにも起こってくるだろう。まとまった始まりはおおむね3年後ぐらいだろうと推定しています。でも残念なことに、もう始まっています。何人ものお母さんの、脱毛が始まっています。

放射線の疾患の特徴は、粘膜出血、高熱、それから口の中が口内炎になり、どんどん悪くなって腐ります。それから柔らかい皮膚に紫色の斑点がでる。最後に、頭の毛が抜けます。抜けるというより取れるのです。手をもっていくとその下の毛がすっと取れる。わたしのところに、福島の相馬の4人が、先生の書いた本にある脱毛が始まったみないだと言ってきています。だからあと一年ぐらい経つと、被害がもっと出てくるのではないかと心配しています。

心配する理由は日本中の医者がみな、どの医者も、一人も、内部被曝の症状を診たことがない。放射線被害について、何の知識も持っていないことです。政府の力で、被爆者を診て正しい指導ができるように急速に体制を作らないと医者も困るし、患者さんも気の毒な状態が作られます。しかしそういう心構えも準備も、今の日本の中には何もない。みなさん自身が、現地のお母さんがたから、「明日からどうすればいいか」と聞かれたときに、恐らく、自信を持って、こう生きれば大丈夫だよといえることは持ってないでしょう。自分の努力で生きる以外ないのですよ、放射能の被害は。だから自分が自分の命の本当の主人公である。そういう思いを持っているものは誰もいない。朝起きて、ただ自然に生きている。それを思い直して、今日一日、自分は放射線に負けないで、生き抜くんだという意志を持って生きる。この努力が、私は放射線と闘って生きる一番大事な要素だと経験上、思っています。

もう時間が来ました。

みなさんがこれからできる一番、大事なことは、孫子、ひ孫のために、日本のすべての原発を止めて、きれいにした日本を残すということが一つ。もう一つは、今、被曝をして苦しんでいる人を励まして、元気よく、明るく生きれる道を一緒に作ってあげることです。つまり被曝した人は助けが欲しい。医者もだめ、薬もだめ、何もだめとなったら、やはり背中をたたき、腰を支えて、一緒に生きようという人をたくさん作らなくてはいけない。それには、放射線に関心を持ったみなさんが学んで、そういう人間になっていただくほかにはない。そう思って、私は95歳でも、負けないで、毎日、講演をして歩いています。だからみなさんも、私の話を聞いた後、そういう立場で、被曝者に対し、励ます人間として立ち向かって欲しい。そうお願いして、私の話を終えます。