守田です(20190501 22:30)

● 民主主義に反する天皇制に反対します!

昨日、2019年4月30日をもって前天皇が退位し本日、新天皇が即位しました。元号が「平成」から「令和」に代わりましたが、これに際して僕は心の底からの天皇制反対を表明します。
「連帯を求めて孤立を恐れず」とサブタイトルをつけたのは、日本の与野党、および国会議員の中で天皇制に反対する党と人士が誰もいない状況で天皇制反対を表明するからです。
とくに本日、日本共産党の志位委員長が即位した新天皇に対して祝辞を述べたとを聞きましたが、僕は今回の統一地方選で日本共産党を全力を尽くして応援し、自分事として選挙を担ったがゆえに「それは大きな間違いです」と表明します。

天皇制に反対する理由は大きく二つあります。一つに制度としての天皇制は差別の元凶であり、民主主義と相いれないからです。二つにかつてのアジア侵略戦争は天皇制のもとで行われたのであって、その体制のそのままの存続に反対だからです。
このうち一つ目について言えば、現天皇制では女性に皇位継承が認められないなどさまざまな女性差別がまかり通っています。「日本国民」の象徴と言われているのにです。
一方で天皇家には参政権もなければ職業選択の自由もない。あらゆる意味で著しく人権が制限されています。それが「日本国民」の象徴だと言うのです。これまたあまりにおかしい。

そもそも根拠なく「貴い」とされる人がいる世の中では、根拠なく「賤しい」とされる人が作られてしまう。これを封建的身分制というのです。それが民主主義と合いいれないのは明らかです。
その点で僕は現憲法第一条に「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」とある点にかんがみて、「天皇制反対」を掲げ「主権の存する国民の合意に基づく天皇制の廃止」を目指します。
その際の僕のスローガンは「民主主義の実現を。身分制の廃止を。天皇家に人権を」です。天皇家の人々が失語症になってしまうほどのプラバシー侵害すら容認されている非人権的あり方も変えたいです。

● 侵略戦争の総責任者だった昭和天皇の免責が戦後のこの国の歪みの元凶

さらに現天皇制は第二次世界大戦の戦争責任を曖昧化し、多くの戦犯を許し、庇護し、戦後社会への復帰を許した大きな位置を持っています。例えば僕はこれまで旧日本軍「慰安婦」問題の解決を求めて行動してきましたが、問題を起こしたのは「皇軍」です。
皇軍は大元帥である天皇のもとに統率されていたのだから、皇軍が行ったアジアの人々の大量虐殺、そして「慰安婦」問題など、さまざまな戦争犯罪に当然にも天皇は大きな責任を負っていました。
それだけではありません。膨大な日本民衆および統治を受けていたアジア民衆が皇軍に徴兵、徴用されました。その多くがまったくひどい扱いを受けた上に悶絶死していきました。兵士たちは天皇のために他者を殺し、自らもまた死ぬことを強いられたのです。

だからどう考えたって昭和天皇の責任は重大なのに、日本を「反共の防波堤」にせんとしたアメリカの思惑によって天皇は赦免され、自らも一度も謝りませんでした。そしてこのことが日本政府のさまざまな侵略行為への居直りや戦後の歪みにつながりました。
天皇と共に侵略の実行者が大量に戦後に赦免されて公職復帰し、自らへの訴追につながる戦争犯罪の捉え返しや真の意味での民主化を阻んだからです。例えば福島原発をかの地に強引に誘致した当時の木村守江知事は元は南京に突入した皇軍軍医将校でした。
「満洲国」に君臨し、東条英機などと強制連行を伴う国家総動員体制を作りだしたのは岸信介元首相であり、「俺が慰安所を作ってやった」とうそぶいたのが中曽根康弘元首相でした。奴隷的な徴用を行った会社を調べると「麻生鉱業」が含まれています。

なんのことはない。天皇が戦争責任を免責されることにより、天皇の家臣だった多くの戦争犯罪人が同じく責任を赦免され、公職復帰し、この国を牛耳ってきたのです。
その中には戦前に、当時の日本共産党員をはじめ天皇制と戦争に果敢に反対して捕まった人々を拷問し、殺害した特高警察のメンバーすらもたくさん含まれます。なんと戦後に54名もが国会議員になっています。(『しんぶん赤旗』調べ)
これらのことが日本の民主主義を大きく歪めてきました。その中心にあるのが日本民衆が侵略戦争の総責任者である天皇に謝罪させることができず、その家臣たちの戦争犯罪の多くを裁けなかったことにあります。

● 「昭和」から「平成」そして「令和」と過ちは正されないまま継承されている

平成天皇は父である昭和天皇や侵略戦争を行った戦犯たちのあり方にかなり批判的であり、戦争犠牲者に心を痛め続けられたと思います。しかし昭和天皇の戦争責任には一言も触れず、謝罪も行わないままに新天皇への継承が行われました。
しかし僕は平成天皇だけを責めているのではありません。私たち民衆自身が、かつて私たちの父や母、祖父や祖母が侵略戦争に動員され、悪行の片棒を担がされたことを十分に反省しきれてこれなかったのではないでしょうか。
そしてこの限界は、この国の朝鮮戦争特需による経済復興、ベトナム戦争特需による高度経済成長で一層強められてしまったのではないか。そこにあったのは血塗られた経済成長だったのに多くの人々が丸め込まれてきたのではないでしょうか。

その点で平成天皇だけでなく日本民衆の中からも侵略戦争の十分な捉え返しは十分には生まれてこなかったのです。朝鮮半島や満洲の植民地化の反省も不十分だった。
ではなぜ日本民衆はあの侵略戦争に動員されてしまったのでしょう。例えば関東大震災の時に民衆自身が朝鮮人虐殺に手を染めてしまったように、明治以降の歴史の中で、日本民衆の中にもアジア蔑視や差別思想が染みとおっていたからだと僕には思えます。
そしてそのことがあれほどの悲劇であった「朝鮮戦争」に対する特需でこの国が復興すること、続けてベトナム戦争特需でぼろ儲けすることも許してしまったのではないか。そこでは戦前の過ちが経済的に繰り返されていたのです。

僕はこの民衆史の中の負の遺産を越えなければならないと思います。そのために軍部の横暴が語られるたびに繰り返されてきた「天皇も利用された。騙された。強いられた」という言葉も越えなくてはいけないと思います。
なぜなら日本民衆もそれに「自分も利用され、騙され、強いられたのだ」と重ねて自己免責してきたと思うからです。しかし騙されようと侵略は天皇と家臣が命じ、多くの民衆が実行したのです。それぞれで責任をとらなければならないし、子孫である私たちはそれを継承しなければならないのです。
そしてその先につまり主体的な反省の先に、誰にとっても素晴らしい世の中が開けると僕は思っています。もちろん皇室の方々も人権を得てです。その点で天皇制を越えることには日本民衆の自己変革がかかっている。僕はこの道をあなたと共に歩みたいのです!