守田です(20181027 23:30)

● 哲学的考察を始めます!

いささか唐突かもしれませんが、哲学についての考察を始めたいと思います。
なぜ哲学を論じようするのかと言うと私たちがいまどこにいてどこに向かおうとするかをみんなで考えたいからです。
実はもう何年も前から「明日に向けて」にこれを書かねばと思いつつ、原発や災害の現状分析などで伸ばし伸ばしになっていましたが、社会変革あるいは世界変革のためにいましっかりと哲学を論じようと思い立ちました。

私たちがいま生きている社会をどう規定するか。それ自身が一つの哲学論争になりそうですが、それでも大きくは「近代社会」と言ってよいのではと思います。
そしてその近代社会には、ものの考え方や発想の仕方の中の大きな共通項を持っています。その時代の考え方の前提とも言え、しばしば「パラダイム」とも表現されます。思考の枠組みのようなものです。
天動説と地動説を比べてみると分かりやすいかもしれません。ヨーロッパではかつて地球は世界の中心でありそのまわりに天がまわっていると考えるのが常識でした。でもいまは地球が動いていることが常識です。枠組みが大きく変わっている。

社会を変革するためには社会がいかに成り立っているかをつかめるといい。さらにそれらが私たちにどんな精神作用をもたらしているか、あるいはどんな考え方をもたらしているかがつかめたらなおさらいい。
実はそこには私たちが社会と同時に私たち自身をどう変えていくのか、対象変革を通じた自己変革をいかに実現していくのかという大事な問題が含まれています。
私たちは社会の構成要素なのだから私たち自身が変わることによっても社会は変わります。いや対象と自己の並行的変革こそが本当の意味での社会変革のカギだと思います。その点で「主体的」であることが私たちに問われているのです。

● 廣松哲学を導きとして

この際、考察の手引きとして哲学者廣松渉さんが編み出した「廣松哲学」を使いたいと思います。廣松さんは近代思想の枠組み全体を問題とした方であり、近代をいかに越えるかを考え続けた方だからです。
彼はこれをマルクス主義の読み込みの中から編み出されました。正確にはマルクスが、後年「初期マルクス」と言われるようになるおよそ28歳ぐらいまでの思想をいかに越えたのかをトレースする中から考察されたのでした。
少しく難しい言い方をすると「ヘーゲル左派の思考をいかにアウフヘーベン(止揚)したのか」なんてくくることができます。

実はこれ、僕の20代の思考そのものなのです。10代後半に社会運動に飛び込む過程で、僕は哲学を読み始めました。当初はルソーやカント、デカルトなどを読んでいましたが、やがてマルクスを読み始めました。それも哲学的な思考に惹かれました。
中でも愛読したのは『経済学・哲学草稿』と言われる書でした。実はマルクスは生前にこれを出版していなくて、後年に発掘されて世に出た書です。この書を中心とした若き日のマルクスの考察が「初期マルクス主義」と呼ばれています。
マルクス自身が出版した書では『ヘーゲル法哲学批判序説』『ユダヤ人問題によせて』などがありました。

初期マルクスの考えをできるだけ簡単に書いてみると、「人間はもともとは美しいものだ!」という捉え方が根底にあります。フォイエルバッハという哲学者に大きな影響を受けていた時のことです。
しかし私有財産制が人間の美しさを奪い、醜いものに変えてしまった。以来、人々は争いを繰り返してきた。だから私有財産制が社会全体を覆ったものとしての「資本主義社会」を革命によって越え、人間の美しさを取り戻そうというのです。
この考え方を「疎外革命論」と言います。「人間の美しい本質が疎外されている。だからその状態を革命によって突破し、人間性が美しく開花される社会を作り上げよう」と言うのですが実は廣松さんはその考え方を鮮烈に否定されたのでした。

続く

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