守田です。(20120921 17:00)

昨日、東京大空襲のことを書いたところ、幾人の方から共感のメッセージが届けられてありがたい気がしました。それでもう少しこの点について述べたいと思います。その際、長野県千代田湖で行われた「ちいさないのちのまつり」での自分の発言を紹介することにしました。

この発言は、まつりの主催者の田村寿満子さんに「触れて欲しい」と頼まれて挿入したものです。もちろん僕にとっても強く訴えたい点です。またこの中にも出てきますが、実は9月24日から27日に緊急に台湾に行くことになりました。旧日本軍性奴隷問題の被害女性を見舞うためです。

台湾から戻るのが27日で、そのまま兵庫県篠山市に向い、丹波市、舞鶴市と連続講演を行うことになりますが、なぜこの時期に台湾に行くのかについても発言に続いてみなさんに紹介しておきたいと思います。

まずは9月9日の「ちいさないのちのまつり」での僕の発言を掲載します。なおタイトルは、掲載に合わせてつけたものです。

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福島原発事故は戦争の負の遺産とつながっている
~「ちいさないのちのまつり」での発言から~

1、核兵器開発から生まれた原子力発電

放射線の問題を辿っていくと、どうしても軍事問題にいきあたります。放射線学自身に非常に強い圧力が入っています。政治によって、軍事によって歪められています。それはなぜか。放射線を使ったものが兵器から発展してきたからです。原子炉もそうです。もともと原子炉はプルトニウムを作る装置です。

核分裂はウランに中性子があたって行われますが、自然界の中のウランで核分裂するのは0.6%しかない。あとは核分裂しないウランです。ところがそこに中性子が取り込まれると、新しい物質が生まれます。それがプルトニウムなのです。プルトニウムの方がウランよりも核分裂性が高い。

そのためプルトニウムで作った原子爆弾の方が性能が高い。それでプルトニウムを作るためにできた装置が原子炉なのです。アメリカでは発電所と軍事工場を分けています。そして軍事工場のことはちゃんと「プルトニウム生産炉」と言っています。

ところがこのプルトニウムを作るときに、さきほど述べたように自然界の中には、核分裂するウランは0.6%しかありません。この0.6%のままでは核分裂を連続で起こさせることが難しい。なので比率を上げなくてはいけない。これがウランの濃縮です。

「北朝鮮が濃縮ウランの製造に成功」などというニュースが流れたことがありますが、なぜこれがニュースになるのかというと、濃縮に成功すると、それを原子炉にいれて回転させれば、プルトニウムができるからです。しかし濃縮はなかなか難しい。300ぐらいの工程を経るそうです。

こういう技術的に難しいものは、ごく少量だけを作るのも難しい。いったん工場を立ち上げて回してしまうと、そのまま運転しないと大きなロスを生むことになるのです。運転を止めて、また立ち上げるのに随分時間がかかるからです。19500年代の技術だと3ヶ月ぐらいかかってしまっていた。

そのため、核戦争体制を継続するためには、工場を経常運転するのが理想なのです。ところがそうすると濃縮ウランが膨大にできてします。とても全部を核兵器では使いきれない。だからその需要先が欲しかったのです。それででてきたのが「原子力の平和利用」です。それが原子力発電なのです。

しかも原子力発電を一番最初に搭載したのは潜水艦です。核ミサイルを搭載したものです。当時、アメリカとソ連はどういうことでしのぎを削っていたのか。相手の核ミサイルがどこにあるかを把握することです。先にそれを叩けば有利になるからです。

そうなると発射地点を相手に察知されないことが大事になる。理想的なのは潜水艦だったのです。海の中にいるとどこにあるのか分からない。ところがそれまでの潜水艦は重油で走っていたので、油がなくなるとすぐに浮上してきます。そのときに見つかってしまう。

そのためにごく少数のウラン燃料を搭載して、ずっと浮上しないで潜っていられる原子力潜水艦の開発が重要になったのです。つまり原子炉は核戦略の中で生まれたわけですが、最初の原子力発電も、核兵器体系の開発の中で生まれたのです。そしてそれを応用した原子炉がマーク1型だといいます。福島の原発に投入されたものです。

なので原子炉の由来自身も、核戦略のもとづくものだし、原子力発電も、ウラン濃縮を支えるために普及が目指されたのです。しかもアメリカにとって、それを日本で広げることが重要だったのです。なぜか。日本が被爆国だからです。被爆者のたくさんいる日本が、原発を進めることが「原子力の平和利用」の一番いい象徴になるからです。

したがってもともと原子炉は、採算など度外視の産物なのです。軍事ほど、採算を考えないものはありません。さらに環境のことなどまったく考えていません。みなさん、「環境に優しい戦闘機」とか聞いたことがあるでしょうか。「環境に優しい基地」とかありえないですよね。一番、環境を度外視しているのが軍事です。

そのように作られてきたのが原子力発電なのだということを、みなさん、ぜひ押さえてください。

2、戦争犯罪が見過ごされてきた

さらにですね、僕は実はアメリカのことを訴えなければいけないとずっと思っているのです。あのような原爆を落として、未だにアメリカは悪いことをしたとは言っていません。僕はアメリカ軍の原爆投下は、日本軍の南京虐殺と同じ戦争犯罪だと思っています。ところが南京虐殺に対しては右翼の人たちは、そんなことはなかったとけしからんことを言います。

そんなことはまったくの嘘ですが、しかし右翼の人々でも、南京虐殺を正しかったとは言わないのです。ところが原爆はどうか。あったかなかったかなど、論争になっていませんよね。あって当然、落として当然、それでアメリカ兵士50万人を救ったのだといまでもいい続けています。

右翼の人は何の反論もしませんが、僕はこれは絶対にひっくり返さないといけないと思っています。日本全土で行われた大空襲もそうです。80以上の無防備な都市がやられたのです。僕の母は東京深川の生まれで、310大空襲の爆心地にいて、本当に奇跡的に助かっているのですね。

みなさん、寅さんの映画を見たことがありますか。あの映画の登場人物の話す言葉を思い出してください。江戸っ子弁です。ああいう言葉をしゃべっている下町の人々の頭の上に、アメリカは焼夷弾をばら撒いたのです。しかも最初にマグネシウムの入った焼夷弾を落として消防車を集結させたのです。それで消防車をやっつける。

その次に行なったのは、焼夷弾で火の壁を作ることでした。それを幾つも作っていく。そうするとその間は火炎地獄になるのです。それで母が言いました。「火の玉が機関車のように転がっていった」。つまり燃え移るのではないのです。火の玉が飛び移るのです。それで一晩で十万人が焼き殺されました。

広島・長崎とどちらが酷いか。それはもう究極の選択の問題ですね。ただし一晩の死者の数では東京大空襲の方が多いのです。しかしどちらが酷いとかいっても意味のないことだと思います。

こうした数々の空襲に対して、アメリカは何も詫びてないのですよ。しかもこれは行なったのは、カーチス・ルメイという将軍です。彼の前の将軍は、市街地は爆撃してはいけないとこだわって、工場だけを爆撃しようとしたのです。兵士の安全も考えて、高高度から爆撃していた。

カーチス・ルメイはそのやり方は手ぬるいと言って、低空で市街地に侵入して焼夷弾を徹底してばら撒きました。彼はそれで出世しました。それでその後に何をしたのか。原爆の投下、さらに朝鮮戦争における北朝鮮の爆撃、そして北ベトナムの爆撃です。

しかもこのカーチス・ルメイに日本政府は旭日大勲章という最高の勲章を送っているのです。まあ、別に僕が「最高」と思っているのではありませんが、なぜそれを送ったのかというと、日本の航空自衛隊の育成に貢献したからだそうです。日本本土空襲の最高責任者カーチス・ルメイに対して、私たちの国は勲章を送っているのです。

僕は右翼ではないですが、国辱という言葉を使うのだったら、こういうときではないかと思うのですね。

そういうことがずっとないがしろにされてきました。そしてこの戦争犯罪を反省しなかったアメリカが、次々と同じ戦争犯罪を犯してきたのです。今でもアフガニスタンやイラクで続いています。私たちはだからそういうことを止めることを本気になって考えなくてはいけません。

そして止めることを考えるときに、同時に私たちの国の側も、侵略戦争を行ってきたことを考えることがとても大事だと思うのですね。僕はいわゆる従軍慰安婦問題(旧日本軍性奴隷問題)にずっと関わって、多くの被害者のおばあさんたちと親しくしてきました。今、台湾で96歳のおばあさんが非常にしんどくなっているので急きょ、24日から台湾に行くことにしました。

彼女たちは、僕が日本人として、「おばあさん、ごめんね」と言うと、「なんであんたが謝らなければいけないの。悪いのは日本の軍人だよ。あんたは謝る必要はない。あんたは好きだよ」と言ってくれるのです。「日本人は大好きだよ」と必ず言ってくれるのです。「だから二度と若い人たちに苦しい思いをして欲しくない」とそう言っているのです。

だからみなさん、私たちが糾弾されているのではないのですよ。当時の軍人と罪を認めない政府が糾弾されているのです。だから彼女たちは私たちの味方なのです。日本人が権利をきちんと言えなかった政府に抗議を行ってくれている唯一の方たちなのです。そこを理解して欲しいのですね。

日本の軍人、兵士も本当に酷い目に合わされました。ゴミのように扱われました。漫画家の水木しげるさんが、『総員玉砕せよ』という作品を書いています。ラバウルで玉砕を強いられた兵士たちの話です。名著なのでぜひ読んでください。その冒頭が慰安所のシーンから始まっています。

日本軍の兵士たちにも人権などありませんでした。酷い状態でした。だけれどもその兵士たちの間にたまった矛盾をはらすために、彼らは慰安所に連れていかれたのですね。慰安所はもともとなぜ作られたのかというと、兵士が、普段、ものすごい虐待を受けているので、野に放つと凶暴化して、略奪や殺人、レイプを頻発させたからです。

このレイプの頻発に対して日本軍は困ったのです。何を困ったのだと思いますか。レイプをすることで性病にかかる兵士が多かったのです。兵士として使い物にならなくなる。それで兵士が性病にかからないように作ったのが慰安所だったのです。だから慰安所には処女の女性たち、女の子達が連れてこられたのです。

そうした歴史の流れ、その中で正されてこなかったものの流れ、アメリカの今も止まらない横暴、その流れが、僕は原子力発電所に集中していると思います。ある意味では福島原発事故はその象徴だと思うのですね。

だからこの事故の問題を何とかしていくということの中に、私たちが歪んだ過去をただし、本当に幸せで豊かな世の中を作ることを考えなくてはいけないし、そのために、広島・長崎に原爆が投下されて以降、被爆者の方たちがどんな立場に置かれたのかも見つめ直さなくてはいけないと思います。

これがきちんとできなければ、福島の人々、いや大なり小なり被曝を強いられている私たち全体が同じ目に合うので、二度とそういうことはさせないということを、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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発言はここまでです。
これに引き続いて、次回に台湾のことをもう少しお話したいと思います。

続く