守田です。(20120920 16:00)
9月16日に京都府北部丹後半島の与謝野町にお招きいただき、お話してきました。講演に先立って、今回の講演会の準備で動いてくださった吉田真理子さんとそのお友だちのかたに案内していただいて、天橋立を歩いてくることができました。
日本三大景勝地といわれる天橋立は、松並木が海の中にえんえん3キロも続いているところで本当に美しく、歩いていて気持ちのいいところです。その半分ほどをいろいろなお話をしながら歩きました。その中で、吉田さんと僕に大きな共通点があることが分かりました。なんと吉田さんのお母さんが、先の戦争のときに東京におられて310大空襲に遭遇されているのです。子どもの頃から何度もその悲惨さをお母さんからお聞きになたそうです。
僕の母も東京深川の生まれで、310大空襲の爆心地にいました。僕も何度となく話を聞きましたが、今にして思えば、あの業火の中を母が生き延びたのはほとんど奇跡でした。その母から僕が生まれたわけで、吉田さんも僕も東京大空襲のサバイバーだというわけです。僕の場合、父も広島に原爆が投下されたときに、四国の善通寺に駐屯していた陸軍部隊にいて、広島の呉まで救援に向かいました。しかし偵察隊以外、市内に入らなかった。そのため深刻な被曝はまぬがれました。(偵察隊の方は亡くなったそうです)僕はその意味で、東京大空襲と広島原爆の狭間から生まれた命です。
東京大空襲に関してはいろいろな書籍が残されていますが、その中でぜひ読んでいただきたいと思うのは、岩波新書の『東京大空襲』早乙女勝元著です。この中で早乙女さんは、東京大空襲が、用意周到に計画された大量殺戮作戦であったことを告発しています。作戦の指揮をとったのはカーチス・ルメイ将軍。彼はそれまでの高高度から軍事工場を狙って行っていた空襲戦略を一変し、東京の市街地に低空で侵入して、住宅地に焼夷弾を雨あられと落とす作戦を採用しました。
しかも初めにマグネシウムを仕込んだ焼夷弾を落として東京の消防車を集結させ、それを航空攻撃によって壊滅させてから本格的な空襲を始めました。カーチスがとったのは、焼夷弾を線上に落としていき、業火の壁を作ること。これに挟まれた地帯は火炎地獄となり、あたり一体が高温化したため、火は延焼することなく、飛び移るように広がっていったといいます。母も、「火の玉が機関車のようになって通っていった」と語っていました。
こうした東京市民焼き殺し作戦に対し、日本軍部が、バケツリレーによる消火という、まったく無意味な「抵抗」を指示していたこともあり、逃げ遅れた人も続出して、東京では一晩に10万人が焼死させられました。これは史上空前の空襲被害です。一晩での殺害では広島・長崎を上回ります。最もそんな比較など意味ないかもしれませんが。
ちなみにこの東京大殺戮を指揮したカーチス・ルメイはその後、米空軍の要となり、原爆投下はもちろん、朝鮮戦争で北朝鮮への空襲を指揮、ベトナム戦争でもB52による北爆の総指揮をとりました。空からの非戦闘員の虐殺を延々と行い続けたわけですが、なんと私たちの国は、このカーチス・ルメイに「旭日大勲章」を与えています。航空自衛隊の育成に功績があったからだそうです。僕は右翼思想は持ち合わせていませんが、「国辱」という言葉を使うのあれば、こういうときにこそ使えばよいではないかと思います。
さて当日はそんなお話しから、戦争と平和の問題と、原発の問題が重なっていることに触れて話をさせていだきましたが、もう一つ、この日の講演会で印象的だったのは、与謝野町町長がこの企画に丁寧なメッセージを寄せてくださっていたことでした。これまで150回ぐらいの講演に出向いてきましたが、首長さんからメッセージを頂いた企画はこれが初めてだったように思います。なんというか、規模の小さい町は、行政や首長と町の人々の距離が近いように感じられていいなと思いまいた。せっかくですので、僕も町長のメッセージへの返信を心を込めて書かさせていただこうと思います。
与謝野町は、高浜原発からほぼ30キロの地点。天橋立も高浜で何かあれば被曝してしまいます。それだけにここは当事者性の強い町です。古くから伝えられてきた天橋立も、被曝をしてしまえば、人が憩うことのできない場になってしまう。三大景勝地の一つが失われるのです。えいえいと続いてきた美しい場を私たちの代で絶ってしまってはいけない。だから福井原発銀座は・・・他のすべての原発と同じように・・・動かしてはいけないし、止めなくてはいけないのです。
当日の講演には50名以上の方が参加して下さり、盛況なうちに企画を終えることができました。
その後、「舞鶴復興ミーティング」の方がお迎えに来てくださっていて、車で舞鶴市に向かいました。ちょうど夕方のラッシュ時で少し予定より遅くなりましたが、無事に舞鶴市内の会場につきました。そこには舞鶴の方たちだけではなく、南丹市、京丹波あるいは福井県嶺北地域の人たちもかけつけてくださいました。課題は、高浜と敦賀に急きょ、押し付けられようとしている震災遺物(がれき)の焼却と埋め立て処理反対についてです。高浜の方も参加してくださいました。
ミーティングでそれぞれからさまざまな意見が出されました。また高浜町が非常に声があげにくい地域であること、昔から原発反対で動いてきたからも、高浜町民との連携がとても難しいことなどが語られました。これをどうやって突破するのか。細かい戦術のようなことは紹介できませんが、僕は考え方としては、「地元」という枠組みを私たち自身が見直す必要があるのではという話をしました。
これはどこの原発にも言えることですが、一度原発事故が起こったときに、被害は非常に広範囲に及びます。その意味で、誰もが「地元」であり、「当事者」なのです。にもかかわらずこの国は、ごく小さい行政単位を「地元」とし、そこに巨額のお金をつぎ込むと同時に、地縁血縁をフル動員し、場合によってはヤクザの暴力をを使って、「地元」から反対の声が出ることを押しつぶしてきました。そのことが「現場」で声を出しにくい状況を作り出してきた。
これを真っ向から打ち破っている祝島の例もあり、それは本当に立派で素晴らしことですが、しかしすでに原発が作られてしまい、雇用も発生し、たくさんの利権が出来上がってしまった地域で、同じ「地元」での反対運動を作り上げることは難しい。そのため、「地元」が声をあげ、周りが「応援」「支援」に入るという他の住民運動に多くあるパターンは作りにくいのが現実です。だからこそ、近隣の人々がまさに「地元」として声をあげることが大事なのではないか。その声を大きくする中で、直近の人々もそれにあわせて声をあげられるような運動を作り上げるのがいいのではと思いました。
それにしてもあらためて思ったのは、脱原発の声、あるいは震災遺物(がれき)広域処理の声の広がりの強さ、深さです。本当にあちこちの地域の人が、それぞれに必死になって自ら勉強し、データを調べ、あちこちの会合に顔を出し、それぞれで人脈を広げながら歩んでいる。そうしてそれぞれが触手を伸ばして、関係を広めています。そうしてだんだんと大きなネットワークが形成されてきている。とくに関西から北陸にかけての日本海側、丹波山塊から北陸に連なる地域の人々が、明日に向けて連携を強めていることに感動しました。
ちなみに丹波という名の由来に僕は格別な思いを持っています。といっても、幾つかの由来が考えられ、決まった定説はないのですが、僕が山の中でさる人から聞いたのは、丹はもともと谷であったという説です。谷(たに)は古くから「たん」とも発音されてきました。今も、沖縄県の読谷村(よみたんそん)にその発音が残されています。ちなみに沖縄には大和古語の発音が今でも残っています。那覇をNAFAと発音するなどです。それらから、丹波は、谷波であり、まさに谷が波のようにどこまでも続く丹波山塊を意味していると言うのです。
実はこの日のミーティングのあとも、僕は舞鶴にある「雲の上のゲストハウス」に泊めていただき、夜に満点の星空をご馳走になってしまったのですが、朝おきたら、今度はどこまでも続く山と谷の波が僕の目を楽しませてくれました。そんなときに胸に熱く去来するのは、「この山々に放射能を降らせたくない。降ることなどあってはならない」という思いです。この美しい山並み、日本の原風景と呼べるようなはるか遠くまで次々と続いていく波のような山々の美しさを、何世代もあとの人々にきちんと送りたいとそう切実に思うのです。
丹波そして若狭には、9月27日、28日にも伺います。27日篠山市、28日丹波市、舞鶴市で講演します。この地域での温かく豊な輪の広がりに貢献していきたいです。
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なおこの篠山・丹波を含む、今後の講演予定を示しておきます。
明日は京都市北白川いずみ保育園で講演します。
以下、フェイスブックでの紹介から
http://www.facebook.com/groups/125195297587402/permalink/302337139873216/
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左京区、北白川いずみ保育園での企画です。
保護者からの紹介でしたら、どなたでも御参加いただけます。(参加費300円)
ご希望の方は、詳細を送りますのでメッセージをお願いいたします。
知りたい、放射能のこと。守りたい、こどもたち」
?内部被曝とは?食べ物は大丈夫?できることは何??
お話:フリージャーナリスト 守田敏也さん
とき:2012年9月21日(金曜日)18:00?20:00(質疑応答含む)
守田敏也氏
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めている。311以降は原発事故問題をおいかけている。2012年3月に物理学者の矢ヶ﨑克馬氏とともに岩波ブックレットから『内部被曝』を上梓。
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9月27日28日
兵庫県篠山市・丹波市にて講演
日時:9月27日(木)午後7時半~
場所:篠山市民センター 1F多目的ルーム
日時:9月28日(金)午前10時~
場所:柏原住民センター 2F会議室
主催 「どろんこキャラバン☆たんば」
http://doronkocaravantanba.seesaa.net/
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9月28日
京都府舞鶴市にて講演
講演&意見交流会
「子どもたちを放射能から守る」
~内部被ばくのこと、東北被災地のこと、がれきのこと~
日時:平成24年9月28日(金) 午後6時半開場 午後7時開演
場所:舞鶴市中総合会館(中央公民館)一階 視聴覚室
京都府舞鶴市余部1167
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/modules/navi/index.php?lid=286
講師 守田敏也さん
1959年生まれ。京都市在住。「市民と科学者の内部被曝問題研究会」常任理事。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続け、社会的共通資本に関する研究を進めている。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都の大文字などで害虫防除も実施。東日本大震災以後は、広くネットで情報を発信し、関西をはじめ被災地でも講演を続けている。
また、京都OHANAプロジェクトのメンバーとして、被災地に中古の自転車を整備して届ける活動をおこなっている。
原発関係の著作に、『内部被曝』(矢ケ崎克馬氏との共著、岩波ブックレット2012年)があり、雑誌『世界』などで、肥田舜太郎医師へのインタビューを行ったり、福島第一原発事故での市民の取り組みや内部被曝問題についての取材報告をして話題になっている。
東日本大震災以降、インターネットではブログ「明日に向けて」で発信を続け、本年5月末までに約520本を超えるレポートなどを発表している。
参考:「明日に向けて」http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
入場無料
(運営資金へのカンパを募っております)
主催 がれきネット若狭
共催 復興ミーティング/子どもたちのふるさとを守る「ままコモ」会
問い合わせ先
hadashi088i4rest@yahoo.co.jp (今井)
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9月30日
京都市梅小路公園 ベジタリアンフェスティバルで講演
午前10時から午後5時まで開催
トークショーに参加
放射能よろず相談所を終日開設
スケジュール
10:40~11:10 守田 敏也氏「放射能の時代を生き抜くために」
11:50~12:05 長谷川 羽衣子氏「これからのエネルギーと私たち」
12:45~13:00 木下黄太氏「放射能被害の今と今後」
13:00~13:15 平氏 X 長谷川氏 X 木下氏 トークセッション
15:30~16:00 小山 直美氏「人間と生きものと地球」
16:30~16:50 平 智之議員 「放射能汚染と今後の日本。エネルギーシフトを京都から」
同ステージにてパフォーマンスライブもあります。時間は多少前後します。
隣接する 雅なイベントホール「緑の館」でも、平氏 X 長谷川氏 X 木下氏 トークセッションを行います。(完全予約制)