守田です(20120916 08:00)

今朝はこれから京都府北部に出発します。与謝野町でお話し、その後、舞鶴市に移って市民の方たちと懇談します。今宵は舞鶴宿泊です。舞鶴でも景勝地にちょっと連れて行ってもらいます。こんな美しいところが奪われてはいけない・・と本当にそう思いながらですが、なんとも役得を続けてしまいます。

その前に、「内部被曝と被爆者差別」の(下)、完結編をお届けしておこうと思います。今回は核心部分、差別の問題に切り込んでいます。その際、取り上げたものに「ダウン症児の出生前診断」の問題があります。9月以降、「共同臨床研究」の名のもとに、国立成育医療研究センターをはじめ、10施設が参加して行われようとしているものです。

僕はこの間、放射線被曝と差別の問題を一番深く話し合ってきた小寺さんという女性からこれを教えられました。ちなみに小寺さんの息子さん、アキト君もダウン症児です。それでこのことを一緒に掘り下げて考えてきたのですが、9月8日の大阪梅田教会のお話のときは、主催者の中のお一人で、自らも障がいをお持ちの方が、これを報じた新聞記事を、当日資料の中にコピーして挟み込んでくださったのでした。

当日、配られたのは朝日新聞でしたが、ネットでは全文を読めないので、毎日新聞の記事を紹介しておきます。

ダウン症の出生前診断:来月から妊婦血液検査を試行
http://yahoo88.jugem.jp/?eid=245

問題のポイントは次の点にあります。ダウン症に関する出生前診断はこれまでも行われてきており、中絶が選択されたり、妊婦さんが事実上、中絶を迫られたりしてきたのですが、今回、大きく事態が変わったのが、診断の精度が格段にアップしたとされていることです。99%の確率だといいます。そのためこれまでは、ダウン症の可能性もあるけれど、そうでないかもしれないという中での「選択」だったものが、99%の可能性の中でのそれに変わる。そのため実際には、中絶が促進される可能性がきわめて強いということです。

私たちの国の法律では、障がいを理由に中絶することは認められていません。それが当然なのですが、実際には黙認されているのが現実です。命が障がいを理由に選別されているのです。新技術はこの選別を促進する意味を持ち、障がい者は生まれないほうがいいという暗黙の強制力を強めるものになりえるので、僕はその採用に反対です。

とくになぜ放射線被曝が深刻にひろがったこの時期に始めるのかという点に、深い疑義を抱かざるを得ないのですが、発言にあたって、この記事のコピーがあったおかげで、話をスムーズに進めることができました。感謝したいと思いますが、その方自身が後で、「今日は守田さんが僕の言いたいことをみんな言ってくれました」とおっしゃってくれたので、なんだか嬉しい気がしました。

以上を、前提として、発言の終盤部分をご紹介したいと思います。

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内部被曝と被爆者差別(下)

今日のシンポジウムでは「差別」ということが大きな課題として掲げられています。放射線の被害は先ほど述べたように、激しく細胞分裂をしている子どもの方が、被害が大きく出ます。もっと被害を受けやすいのは胎児です。胎児の場合は、細胞分裂だけではなくて、細胞分化もしています。細胞がいろいろなものに分化することです。当たり前ですね。最初の受精卵がただ分裂を繰り返すだけでは人間の体になっていきません。

その分化する前の細胞を、幹(みき)の細胞と書いて、幹細胞(かんさいぼう)と呼びます。分化は大方は胎児のときになされますが、生まれてからも続くものがあります。血液がそうです。この場合は、血の元を造る造血幹細胞というものがあって、その細胞から赤血球、白血球、血小板が造られます。なのでこの造血幹細胞がやられてしまうと、赤血球、白血球、血小板が造られるときにあやまったものが出てきてしまいます。そうすると免疫上の問題などいろいろな深刻なことが起こります。放射線傷害が引き起こす白血病はその典型です。

となると胎児が放射線に被曝した場合、受ける影響は大変深刻だということが分かると思います。まず流産、死産の可能性が高まります。次に障害が発生する確率が高まります。障害者が生まれてくるわけですが、この問題をいかに捉えるのかがとても重要です。

その点で、今日は主催のみなさんが作ってくださった資料の中に非常に重要なコピーを入れていただいています。ご覧になってください。ダウン症児の出生前診断をめぐる記事です。今、この時期に、この臨床試験が合法化されたのです。非常に高い確率で、ダウン症児を発見できるというのですが、なぜよりによってこの時期にこれを推し進めようとするのか、僕は強い疑いを持っています。

なぜかというと、放射線被曝の影響で、ダウン症児の出生の確率が高まることは、これまでの核実験や原発事故後のデータで確認されています。それに対して新たな精度が高いとされる出生前診断をこの時期に始めたら、ダウン症児だったら中絶しなさいということにしかならないのではないでしょうか。

ここは非常に重要な点です。僕は放射線被曝の危険性を説いています。とくに胎児が被曝することの危うさを強調しています。しかし「放射線に胎児が被曝すると障がい者が生まれてくる。だから原発は怖い」と言ってしまったらどうなるでしょうか。それは障がい者の尊厳を踏みしだくことであり、間違いです。そこの問題に関して、僕は踏み込んでいかなくてはいけないと思っています。

ではどう踏み込んでいくべきなのか。これだけの被曝がある限り、私たちの社会には病気を持った方、障がいを持った方が増えます。間違いないです。否定のできないことです。何せ避難すべきところに今もなおたくさんの方がおられ、日々、被曝が進行しているのですから。しかも食べ物に混入した放射能が、全国に出回っているわけですから。そうした影響はどこで出てくるかわかりません。ならばもはやそうした病気や障がいを持った方が、少しでもよりよく生きれる社会に、今の世の中を変えていくこと、そうした方たちの尊厳がより守られるための社会的整備そ進めていくこと、その方たちと一緒に生きれる世の中の創出を、私たちは目指さなければなりません。

僕は放射線防護を強調していますが、もうそれだけでは足りない。防護できなかった面がたくさんある。被曝が進んでいる。だからこそその結果と正面から向かい合うことが必要なのです。腹をくくって、みんなで進んでいく必要があります。

それでこの間、実際に、ダウン症児のお母さんとこうした話をずっとしています。その方はこの出生前診断の問題が出てきてから、本当にブルーになってしまって、「うちの子どもは存在が許されない社会になっていくのだろうか」と嘆かれているのですが、そのお母さんに、では「実際にダウン症児を育てていてどうなの?」と話を聞きました。すると彼女が語ったのは「ダウン症の子どもがいることが、一概に不幸だとは思わないで欲しい」ということです。「私たちには私たちの幸せがある。ダウン症の子どもがいることは楽しいことなんだ」と。

僕は「どこがどう楽しいの?」と聞きました。そうしたらこう言っていました。彼女はアキト君というダウン症の息子さんがいて、今は小学校の高学年なのですが、アキト君が学校に入ると、子どもはすぐによってきてアキト君と親しみだすのだそうです。でもそれで「おばちゃん、俺、アキトの言うてること、ようわかれへん」とか言ってくる。

そうしたら「しめた!」と思うのだそうです。「アキトはな、こうこうこういうことでな、言葉がうまくないねん。だからよく面倒みたってな」などと説明してあげる。大人がいると「そんなこと、聞いちゃいけません」と子どもをたしなめてしまうそうですが、実はこんなときこと、アキト君と周りの子の関係が進むチャンスなのです。

そしてそこがつながって半年も経つと、「おばちゃん、おれな、アキトの言うこと、分かるようになってきたわ」と言い出し、そんな子が、大人たち、学校の先生に、アキト君のいいたいことを通訳してくれるのだそうです。そうやって子どもたちはアキト君を囲んだ素晴らしい関係をすぐにも作り、育てていってしまう。そうしてみんなで豊かに成長していくのです。もちろん、アキト君もそのうちの一人としてそこにいます。

さらにそのお母さんが言っていたのは、「言葉がうまくつながらない分だけ、愛情が深くなります」ということでした。いろいろなことが言葉にならない分だけ、より愛情を細やかに伝えようとしあう。だから「あの子と私の間の愛情で凄いんですよ」と彼女はニコッと笑って言うのですね。僕は、ああ、素晴らしいことだなと思いました。

しかしそういうことが知らされないまま、ダウン症のお子さんと生きていることがどういうことなのかを知らないままに、何かそれが「不幸だ、欠落したものだ」と決めつけられて、中絶を迫られてしまう。命の尊厳が選択されていく。そんなことはあってはならないわけです。

もちろん、だからと言って、すべての人に病気をもたらし、障がいをもたらす放射線の害はとめなければいけないと思います。ここは非常に難しいことですが、僕が思うのは人間の自然なあり方として、ある一定の数の方が今は「障がい」と言われる特徴を持って生まれてきているわけです。僕はそこには、それこそ神様が与えた役割があると思うのです。誰にも役割があるのです。それが人間存在そのものだとも言えると思います。だからそうした障がい児のまわりにいくと、「あの子がいることによって、特別な幸せを得ることができた」と、そう話される方がたくさんおられます。その子を通じてしか結ばれない素敵な縁がそこに存在しています。

でもそのことと、人為的に自然の摂理が捻じ曲げられ、人体に害のあるものがばら撒かれていく。その結果、流産・死産が多発する。生まれ前に奪われてしまう命が発生する。これは許すことができないことで、とめなければならないと思います。僕はとりあえずはそのように整理しています。

その上で強調したいことですが、僕はあちこちで、内部被曝の危険性を説いています。これからも説きます。さきほど、西山さんが、福島の中で「そういう怖がらせることを言うのはやめてくれ」という声があることが紹介されましたが、しかしそれは事実なので、僕は話し続けなければいけないと思っています。ところがその部分だけを聞かれてしまって、「障がい者がいっぱい生まれてくるから危険なんだ」と、逆にその話から差別的な見方が出てきてしまう可能性があることととも、闘わないといけないと思うのです。

放射線被曝から人々を守るということが大事なことの一つですが、でももう大変な被曝をしてしまったのです。だから被曝の結果に対して、手厚い対処をしていかなくてはいけない。どういう形であろうとも、多くの、多様な方と共生していける方向を目指すことがもう一つの大事なことなのです。

国はまったく逆を向いています。みなさん、ご存知でしょうか。この4月から介護保険がきり縮められてしまいました。1時間の枠が45分に削減されてしまいました。僕は明らかに厚生官僚は、これから医療費が跳ね上がることを理解しているのだと思います。放射線被曝のためにです。理解して、彼らが突き進むのは、医療費のカットです。

この出生前診断についても、その中で出てきた可能性があると思います。つまり国は障がい児が生まれない方がいいと思っているのだと思います。障がい児が増えると、原発の危険性が表面化するし、社会的費用もよりかかるようになる。だから障がい児はその前に殺してしまえということですよ、これは。こんなことは絶対に許せない。

そうではなくて、障がいを持った方、ハンディキャップを持った方が、それを障がいやハンディキャップと感じなくていいような世の中に近づいたほうが、全ての人が、生きやすくて、幸せな世の中になるのです。また誰もがいつどこでどのようにハンディキャップを負うことになるかも分からないわけで、そのことからも、こうした世の中こそが、私たちにとってより良い世の中なのです。そのことを頭に入れて、放射線被曝とたたかいながら、同時に差別を越える豊かな世の中をみなさんと一緒に作っていきたいと思います。どうもありがとうございました!