守田です(20120922 08:00)

このところ、アメリカによる東京大空襲や原爆投下が正されてこなかったこと、だから今こそ、正さねばならないことを論じてきました。またそのためには私たち自身が、自分たちの国の侵略の歴史も正さなければいけないということも論じ、旧日本軍性奴隷問題にも触れてきました。

今日はその続きを書こうと思っているのですが、重大なニュースが飛び込んできたので、先にそれを論じておこうと思います。今朝の東京新聞が一面トップで報じていることです。記事のタイトルは「原発ゼロ「変更余地残せ」閣議決定回避 米が要求」です。

ご存知のようにこの間、野田内閣は「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」をうたいだしました。これは度重なる首相官邸前行動など、広範囲に広がった「原発再稼働反対」の動きに耐えられなくなったが故の譲歩としてなされたものです。民意が政府を動かしだしたのです。

もちろんこの「原発稼働ゼロ」宣言は、随分、怪しいシロモノです。何より原発を止めても再処理は続けるのだと言っている。再稼働は、通常の原発よりももっと危険で、なおかつ実用化のめどなどまったく立っていない高速増殖炉の燃料(プルトニウム)を使用済み燃料から抽出する作業です。

どう考えてみても、「原発稼働ゼロ」と「再処理継続」は論理的に整合しません。その意味で「原発稼働ゼロ」宣言には真実味がないし、誠意がありません。しかもかりに本気でこれが目指されているのだとしても、三〇年代では遅すぎる。今すぐ、大飯原発を止め、すべての原発を廃炉にすべきです。

その点を踏まえて、しかしそれでも政府に、原発稼働ゼロを目指すべき目標として掲げさせたことは、私たちの度重なる行動が作り出した成果であり、未来にむけた展望が少し拓けだしたことを物語るものでもあります。さらに政府にすべての原発の即時廃炉を求めていく必要があります。

ところがこれになんとアメリカがいちゃもんをつけてきたというのです。それで野田政権が折れてしまい、「原発稼働ゼロ」の閣議決定が見送られてしまった。アメリカに脱原発の道が捻じ曲げられたのです。このアメリカの横暴な横槍をゆることはできません。

東京新聞によれば、アメリカは一つに「将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めた」のだそうです。また「核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明した」とも報じられています。アメリカの意図ははっきりとしています。核戦略を守り抜くことです。

そのために日本政府に圧力をかけてきた。そうして政府はたやすく屈してしまった。繰り返し言いますが、僕は右翼ではないけれども、こういうのは「屈辱的」というのだと思います。これらからはっきりとしたことは、こうした横暴なアメリカの傘下にいる限り、私たちは平和と安全のための自主決定ができないということです。

ではどうしたらいいのか。今こそ、まさに、真の意味で、アメリカから独立することです。では独立するとは何を意味するのか。ほかならぬ私たち民衆がもっとパワーをつけ、政府をアメリカに屈させなくすることです。いやそれだけでは足りない。アメリカの嫌がる方向に私たちは歩む必要がある。

嫌がる方向とは脱核戦略の道です。そのためにはアジアをはじめとした近隣諸国との友好関係を私たちは自ら推し進めていく必要があります。だからアジア侵略の真摯な捉え返しも必要になるのです。そしてそれをしながらアメリカの戦争犯罪を訴えること、原爆投下や都市空襲、沖縄地上戦による無差別殺戮の非を問うことが必要です。

いや、それだけではない。タリバン政権に、証拠も示さずに「アサマビンラディン」を差し出せと迫り、それが拒否されただけで全面侵攻を行ったアフガニスタン侵略戦争、さらに「大量破壊兵器」など何もなかったのに、その「破壊」を名目に行ったイラク侵略戦争、その非も問わなくてはいけません。

大事なのはそのイニシアチブを握る民衆的力をさらに育て上げることです。まさにPower to the people!です。僕はそれで何も政権をとらなくたっていいと思う。どんな政権が登場しようが、民衆の力を無視できなくさせること、それだけの力を持つことです。今、私たちが示している力を育てれば絶対にそれは可能です。

先に変わるのは議会ではありません。議員とは民衆の後ろからついてくる人たちです。同じように大新聞の紙面を変えるのが先ではない。大新聞もまた民衆の後ろからついてくるのです。それを雄弁に物語っているのがこの間の首相官邸前動です。国会議員の誰があれを呼びかけたでしょうか。どの新聞が呼びかけたでしょうか?

呼びかけるどころか、大新聞は、首相官邸前行動が数万人に膨れ上がるまで報道すらしなかったのです。10万人を超えたぐらいからやっと報道し始め、さらに20万近くになると、例えば朝日新聞が、「なぜ首相はこの声を聞かないのか」とか書き出した。自分たちもつい数週間前まで無視していたことを忘れてです。

いわんや国会議員など、何の役にもたちはしなかった。民衆の力が強まって初めて声をあげられたのです。だからももうそれはいいのです。国会議員や大新聞に何かができるのなら、この国はとっくに良くなっていたのです。国会の場から、マスコミの場から世の中が変わるなんてことはありえない。世の中が変わる中で変わるのが国会とマスコミです。

だから私たちは、私たちの側からのさまざまな行動を重視しましょう。もちろん、その中に議員や、マスコミを動かすということはあります。またこの問題を一面トップで掲げた東京新聞のように、大新聞の狭間で頑張っているマスコミもある。それは私たちの仲間です。マスコミの内部で奮闘している記者さんたちもそうです。

横に、横にと手を広げ、手をつなぎ、私たちの足元のパワーを強めましょう。あらゆる意味でアメリカの横暴に負けない力を培いましょう。大地を耕し、農の営みをたくましくして、アメリカ流の市場万能主義に負けてしまわないのも大事なことです。地に根をはり、心を強くし、そうして私たちを逞しくしましょう。

まさに今こそ、アメリカからの独立を!暴力がはばをきかせる野蛮で理不尽な世、暴力の世紀を終わらせる可能性が大きく開けていると僕は思うのです!

以下、東京新聞を引用しておきます。

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原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求

2012年9月22日 07時07分 東京新聞

野田内閣が「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが二十一日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。

政府は「革新的エネルギー・環境(エネ環)戦略」の決定が大詰めを迎えた九月初め以降、在米日本大使館や、訪米した大串博志内閣府政務官、長島昭久首相補佐官らが戦略の内容説明を米側に繰り返した。

十四日の会談で、米高官の国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官はエネ環戦略を閣議決定することを「懸念する」と表明。この時点では、大串氏は「エネ戦略は閣議決定したい」と説明したという。

さらに米側は「二〇三〇年代」という期限を設けた目標も問題視した。米民主党政権に強い影響力があるシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)のクローニン上級顧問は十三日、「具体的な行程もなく、目標時期を示す政策は危うい」と指摘した。これに対して、長島氏は「目標の時期なしで原発を再稼働した場合、国民は政府が原発推進に突き進むと受け止めてしまう」との趣旨で、ゼロ目標を入れた内閣の立場を伝えていた。また交渉で米側は、核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明したという。

エネ環戦略は十四日に決めたが、野田内閣は米側の意向をくみ取り、「エネ環政策は、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけを閣議決定。「原発稼働ゼロ」を明記した戦略そのものの閣議決定は見送った。

大串、長島両氏は帰国後、官邸で野田佳彦首相に訪米内容を報告している。

政府関係者は「事前に米側に報告して『原発稼働ゼロ』決定への理解を求めようとしたが、米側は日本が原発や核燃サイクルから撤退し、安全保障上の協力関係が薄れることを恐れ、閣議決定の回避を要請したのではないか」と指摘している。

◆「判断変えてない」大串政務官

原発ゼロをめぐる米国との協議について、大串博志内閣府政務官は二十一日、本紙の取材に対し「個別のやりとりの内容は申し上げられないが、米側からはさまざまな論点、課題の指摘があった。米側からの指摘で日本政府が判断を変えたということはない」と話した。

◆骨抜き背景に米圧力

<解説> 「原発ゼロ」を求める多数の国民の声を無視し、日本政府が米国側の「原発ゼロ政策の固定化につながる閣議決定は回避せよ」との要求を受け、結果的に圧力に屈していた実態が明らかになった。「原発ゼロ」を掲げた新戦略を事実上、骨抜きにした野田内閣の判断は、国民を巻き込んだこれまでの議論を踏みにじる行為で到底、許されるものではない。

意見交換の中で米側は、日本の主権を尊重すると説明しながらも、米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになるなら、プルトニウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという。

当初は、「原発稼働ゼロ」を求める国内世論を米側に説明していた野田内閣。しかし、米側は「政策をしばることなく、選挙で選ばれた人がいつでも政策を変えられる可能性を残すように」と揺さぶりを続けた。

放射能汚染の影響により現在でも十六万人の避難民が故郷に戻れず、風評被害は農業や漁業を衰退させた。多くの国民の切実な思いを置き去りに、閣議での決定という極めて重い判断を見送った理由について、政府は説明責任を果たす義務がある。 (望月衣塑子)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012092290070744.html