守田です(20180414 14:00)

京都府知事選の捉え返しの最終回をお送りしたいと思います。

今回はお相手の陣営のことも書きたいと思います。
西脇陣営は選挙には勝ったものの、もともとの目標としていた得票50万票以上、投票率40%以上に遠く及びませんでした。私たちの市民力によって相当に追い詰められたのです。
これに対して福山さんは、新たな支持を大きく掘り起こし、尾崎さんの選挙から10万票も積み増したのですから、福山陣営の側はかなり投票率のアップにも貢献していたことが分かります。
西脇陣営側は目標から10万票、前回の山田票からみても8万票も減らしたわけで、もっぱら西脇陣営によって投票率が押し下げられ、その結果として全体としては微増の低得票率に終わったことをみておく必要があります。

これらの点についてマスコミもこのように論じています。
例えば京都新聞は「選挙コラム アングル」(4月10日付)の中で「低投票率、直視を」というタイトルで以下のように書きました。

「国と地方は別」という理屈を全否定しないが、今回の府知事選ではその過程が余りにも不透明過ぎた。
昨年12月に山田啓二知事が不出馬を表明した後、4期16年の評価や新知事像を巡る議論は政党から強く発信されることなく、「枠組みありき」で西脇さんの擁立へと動いた。
理由を聞けば、長く京都の政治に関わっている人ほど、「革新府政に戻してはいけない」と40年も前の政治情勢を根拠に説明する。
それが実感だとしても、相乗りの動機は別のところから生まれてきているように感じた。衆院選で小選挙区が導入されて20年余り。大局的な視野で政治を語るよりも、目先の選挙勝利を優先する傾向が強まった。
自らの都合で不意打ちの衆院解散・総選挙を繰り返し、勢力維持を図る安倍晋三首相の政治手法が、地方政治にも及んでいるのではないか。
大義や政策より、勝ち馬に乗れる体制づくりを優先することが「オール京都」というなら、有権者は置いてけぼりになる。

朝日新聞も京都版の選挙の「解説」の中で「西脇カラー見えず」というタイトルのもとに以下のように論じています。

「西脇知事になったら京都はどう変わるのか」は、最後まで明確に伝わってこなかった。
「府政の発展を止めるのか、前に進めるのかが問われている」と訴えた西脇氏。各地で演説に耳を傾けたが、主張は総花的との印象を拭えず、何を柱として府を発展させるのかイメージするのが難しかった。

毎日新聞の京都版は、「西脇氏新人対決制す」と題した選挙報道のリードに以下のように書いています。

一方で、敗れた弁護士の福山和人氏(57)=共産推薦=も、保守系府政になってからの共産推薦候補では最高得票率(44%)となる善戦をした。
ただ16年ぶりの新人対決にもかかわらず、投票率は低迷。西脇氏は幅広い有権者の信託を得たとは言い切れず、府民の声を丁寧に吸い上げる姿勢が求められそうだ。

以上が三紙の論調ですが、実際に西脇氏の公約は総花的でまったく具体性がありませんでした。そもそも「安心、いきいき、京都力」というどうとでも取れるような中身のないスローガンを掲げての選挙でした。
これに対して福山さんは選挙中にさまざまな点で繰り返し論戦を挑みましたが、西脇陣営から、一つとしてまともな回答は出されませんでした。

そもそも西脇氏は、選挙中にあまり表に出てこず、「組織票」固めばかりを行っていました。
また当初は「中央との太いパイプ」を売りにして、HPに掲載していた安倍首相とのツーショット写真を途中で削除したり、「北陸新幹線延伸」などの目玉政策もハイライトしなくなり、元国土交通省という肩書も小さくなっていきました。
これらをみた記者たちが、「ステレス選挙」と陰で揶揄するほど、西脇氏は市民の前からは隠れたままで、具体的な政策の提示も避け、ただただ「オール京都」の組織票のみで逃げ切る戦術に徹しました。
そのために今回の選挙、投票率が過去最低だった前回の34.45%をわずかに上回ったものの、「過去2番目」の低水準に終わってしまったのでした。

「オール京都」の合言葉は「革新府政に戻してはいけない」ですが、40年も前の蜷川府政のことを指したもの。しかも事実関係をかなり歪曲した評価がまかりとおっているにすぎません。
その点でそれ自身も批判できるものなのですが、しかし京都新聞が鋭く指摘しているように、実際にはそんなことよりも「大局的な視野で政治を語るよりも、目先の選挙勝利を優先する傾向が強まった」結果が今回の野合なのでしかないのです。
要するに安倍首相が繰り返してきたように、政治的な争点が曖昧なままに選挙を行い、論戦を避け、低投票率で逃げ切ること。利権の分配による「オール京都」の一致だけで、「組織票」固めだけに徹した選挙が行なわれたのです。
市民を無視した衆愚政治=安倍政治そのものですが、その点でも「国と地方は別」などとはとても言えないのです。国の腐敗のあり方が地方にも持ち込まれてきたからです。

しかも今回、論戦がかつてないほどに徹底して避けられたのは、森友問題や自衛隊日報問題で炎上している安倍官邸との近さを、西脇陣営ができるだけ見えないようにしたかったからでした。
これに与野党相乗りで野合した立憲民主党なども加担しました。こんな中で政策を緻密化することなどできるわけないのです。野合しているから、具体化すればほころびが顕在化してしまうからです。

反対に安倍政権のひどさはそのまま福山さんへの追い風となりました。自分の身内ばかりを優遇し、しかも不利になると平気でその身内を切り捨てたり、自分たちに忖度させた官僚に責任を押し付ける安倍政権。
しかも嘘を平気でつきとおし、「証拠をつきつけられても認めさえしなければいいのだ」というような、「あまりにひどい」としか言えないようなあり方に対し、福山さんは対局の姿勢を貫きました。
つまり人間として最も大切にすべき「誠実さ」「慈しみの心」「愛」などを全面的に体現しながら奮闘したのです。

このためにいわば西脇陣営とって「ステレス」戦術は、強いられてとった戦術だったのでしょうが、しかしこうしたあり方そのものが政治から希望を失わせ、関心を低下させ続けてきていることは明らかです。
政治をより一層駄目にする行為であり、もうそんなあり方は許されてはならないし、かつまた次回以降に打ち破ることが可能なのはこれまでも見てきたとおりです。だから「オール京都のステレス選挙」など「もう終わっている!」と言いたい。

私たちがこれほどひどい「ステレス選挙」を覆せなかったのは一重に「時間が足りなかったこと」に尽きると思います。もっと時間があれば私たちの進化は勝利にまで確実に結びついたでしょう。
次回はなんとしてももっと早い段階から選挙戦に挑みたいものだと思いますが、最後に今回、時間が足りなかった点を捉え返す上での大切なポイントをおさえておきたいと思います。

というのは福山さん自身はこの点について「立候補表明が遅れた自分に責任がある」とおっしゃっていますが、僕には福山さんだけが謝るべきことだとはまったく思えないのです。
なぜかといえば、共産党などの政党の推薦があっても、それでもなお私たちの側の選挙は市民が主力となって担っている選挙で、企業献金などの資金援助がほとんどないため、候補者とその周辺にさまざまなしわ寄せがいってもいるからです。

今回、それを被る決意をしてくださったのは福山さんが所属する選挙事務所のみなさんでした。福山さんという有能な弁護士がいなくなり、様々な点で業務にも収益にも影響が出ることを覚悟して、選挙を支えてくださったからです。
福山さんがそう簡単には立ちあがれなかったことには、この問題が深く横たわっています。やはり現在の選挙制度は、お金のない側に圧倒的に不利な仕組みになっていることをみておく必要があります。
この点をどう解決したら良いのか僕にはまだよくわかりませんが、その点で今回、福山さんを快く私たちの前に押し出してくださった福山さん所属の弁護士事務所の皆さんに心からのお礼を述べたいと思います。

以上、最後の点はまだまだ知恵を絞っていくべき大きな難点ですが、しかしそれでも私たちは京都府政の新たな一ページを間違いなく切り開くことができました。
これをさらに全国のみなさんと共に発展させたいと思います。同時に今回の経験を全国各地の取り組みにも生かしてもらえたらと思います。
京都のみなさん。今度は京都から、全国のみなさんの地域の選挙も応援しましょう。

さらに大きく手を伸ばし、しっかりとつながって、頑張りましょう!
選挙の振り返りをこれで終わります。

連載終わり