守田です。(20180108 16:00)

この間、から私たちに民衆の力を高めるために必要なことについて論じています。
今回は私たちの社会が持つ「平和力」について論じたいと思います。

世界を旅して思うこと、みなさんに伝えたいことの中でも特筆したいのは、世界の多くの国の人々は一概に「戦争を悪いもの」とは思っていないことです。
正確には戦争には「良い戦争」と「悪い戦争」があると捉えている。侵略などの悪い戦争はしてはいけないけれども、侵略を防ぐような「良い戦争」は決然と行うべきだというのがまだまだ現代世界に主流的な考え方なのです。
だからこそ実際に世界中で戦争が繰り返されてもいるのです。世界の多くの人々はまだまだ「正義の暴力」を肯定しています。この点はとても大事です。

いま安倍政権が行おうとしている「憲法改悪」の軸は、この「日本的な常識」を覆すことに一番の主眼があります。もっともひっくり返したいのは「戦争はよくないものだ」という日本の中にかなり広く定着している考え方です。
事実、アメリカはまったく違います。だからこそ毎年、毎年、どこかで戦争を行うことができるのでもあります。
この点で戦争を「悪いもの」と捉えている日本の多数の人々の思いは、それ自身が「平和力」と呼びうるものだと僕は思います。戦後70年、民衆がこの国に戦争をさせなかったことにより強められてきたものです。

ここで僕が「日本の中の多数の人々の思い」と書いていること、あえて「日本人の中の」とは書かなかったことにご留意いただきたいと思います。
戦後社会を考えたときに、敗戦当時は大日本帝国憲法下では日本人とされ、サンフランシスコ条約における単独講和以降に「在日朝鮮人」と呼ばれるようになった人々など、日本国籍を持たないたくさんの人々も平和に貢献してきているからです。

そんな日本の「平和力」を象徴していると思われた記事を一つ紹介します。
2015年8月9日の読売新聞に載ったものです。実はこの日、僕は長野県伊那谷の大鹿村に向かっていました。祭りに参加して発言するためでした。
僕はこのときも原発だけでなく、戦争と平和のことについても発話したいと思っていて、話の入り口のつかみになるちょっとしたネタを探してふと駅の売店で読売新聞を買ったのでした。

なぜ読売新聞だったのか。この新聞社は安倍政権を強く支持、その戦争政策も強烈に後押ししているからでした。
そんな読売新聞が8月9日にどんな記事を書いているのか。「きっとけしからん記事を書いているに違いない。それをとりあげて話の入り口にしよう」と考えたのでした。

ところが一面に載り、中面にも続いていたのは、僕にとっては意外にも張本勲さんの読み応えのあるインタビュー記事でした。
張本さんはご存知のように東映フライヤーズで大活躍し、後に巨人軍にも移り、3000本を超える安打を記録した日本野球界きってのスーパースターです。
その張本さんが朝鮮人であることを知る方は多いと思いますが、同時に彼は広島で被爆した方でもありました。美しく、慕っていたお姉さんは、むごたらしい火ぶくれのような姿になって家に担ぎ込まれ、1日半ぐらいで亡くなったそうです。

その張本さんは記事の中でこう述べています。
「私はプロ野球を引退後、広島原爆の平和記念資料館に2度行こうとしたのですが、手に汗がにじんで震えて、入ることができなかった。
苦しみだけでなく、怒りと恨みがこみ上げてくるのです。よくもこんな姿に、こんな形で。身代わりで、あれだけの人をね。」

そんな張本さんの「8月6日は思い出したくない」というインタビュー記事が2006年に新聞に載ったのだそうですが、それを読んだ小学生の女の子から「自分は怖かったけれどいった」という手紙がきて、張本さんは初めて資料館を訪れたのだそうです。
さらにこの記事の中では、張本さんが朝鮮人としてさまざまな差別を受けたこと、とくに甲子園を前に野球部内でおきた暴力行為の責任を一人背負わされ、出場停止処分になってしまったことも語られています。
張本さんは「電車に飛び込もうかとも思い詰めた」そうですがお母さんの声がどこからか聞こえてきて思いとどまり、やがて在日の高校選抜チームによる韓国遠征に参加する中で救われ、帰国してみたらプロ球団のスカウトが待っていたといいます。

インタビュー記事は最後に張本さんのこんな言葉で締めくくられています。
「私たちには、それぞれが受け継いだ国をより良くして、後世に引き継ぐ責任がある。戦後70年、我々が抱き続ける戦争への怒りを、継いでいくこともその一つです。
日本と韓国の関係も含め、だからこそ仲良くしなきゃ。それが私の念願です。野球の世界では、ずっと交流が続いている。」

記事のアドレスをご紹介しておきます。ぜひ全文をお読み下さい。

熱風私をかばった母…元プロ野球選手 張本勲さん 75
読売新聞 2015年08月09日 05時20分
http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150808-OYT8T50000.html

・・・長崎原爆の日に、読売新聞を批判的に読み込もうと思って購読した僕は、同新聞社が載せたインタビュー記事に、大変、感動させられてしまいました。
それでこう思いました。「これがこの国に住まう民衆の中に根付いている平和力なのだ」と。
右傾化の道をひた走る現政権を支える新聞社=読売新聞とて、この日にはこういう特集を載せたいと成り立たないのです。同時に右傾化を強める読売新聞の中にもまだまだこうした企画を組み、記事にできる記者がいるのです。

張本さんがここで語られていることは、私たちの社会に大きく浸透し、受け止められています。「我々が抱き続けている戦争への怒り」・・・その言葉に多数の人が共感できるだけの積み上げをこの社会は実現してきているのです。
だからこの国では誰もが戦争を良いものとは語りません。安倍首相だって「戦争法案という言い方は誤解だ。これは戦争を遠ざけるためものだ」としか言えない。もちろん大嘘です。でも「若人よ。御国を守るために今ぞたて」という本音は言えないのです。

これらは戦後70年間、連綿として繰り広げられてきた平和を守る運動があって、語り継がれてきたことがらです。
とくに戦争体験世代が、「戦火を繰り返してはならない。若い人に二度とあんな思いをさせてはいけない」と、絞り出すように辛い過去を語り続けてきてくれる中で、人々によって守り続けられたことなのです。
この70年に渡って培われてきた「平和力」を、私たちは感謝の念と自信と誇りを持って、受け継いでいくことが必要です。憲法9条はその思いの結晶です。

もちろんただ受け継いでいくだけでは足りません。私たちは私たちの手にしている「平和力」にまだまだ欠けているものがあることも自覚しなくてはいけない。
張本さんのインタビュー記事の中にある朝鮮人として背負ってきた苦しみに対する責任がとられていないこともその一つです。

そもそも戦後の日本の経済復興は、朝鮮半島で南北が分かれて激しく戦ったあの戦争での特需景気によってもたらされたのでした。
アメリカ軍はこのとき、日本空襲に使った弾薬を上回る規模の空襲を敢行しました。朝鮮半島は全土が戦場になり、多くの地域が丸焼けにされてしまいました。
この時、日本が大儲けをしたことを私たちは恥じる必要があるし、何かを朝鮮半島にお返ししなくてはいけないと思います。
いやそもそも長きにわたる植民地支配に対する謝罪とて、朝鮮半島の南半分にはある程度しただけで、北半分にはまだ一切していないのです。

さらに日本はベトナム戦争を行うアメリカをも全面的に支持しここでも大儲けをしました。
その後のアフガン戦争だって、イラク戦争だって日本はいの一番に支持しました。イラク戦争など「大量破壊兵器」などどこにもない、大義のひとかけらもない侵略戦争だったのに。
もうこんなことに手を貸し続けるのはごめんです。戦争が悪いものであるのなら、私たちはどんな国の戦争も支持すべきではないし、手を貸すべきではないのです。

だからもうこれ以上、この国の政権にアメリカの戦争を支えることをやめさせなければなりません。
そのことでアメリカ軍に殺される人々をなくすとともに、アメリカの人々、とくに若者たちを戦争から解放しなくてはならない。いや解放したいと切に思います。

この点で「右翼」を自称する人々にも僕は切に問いたいです。
あなたたちは日本人を、アジア人を、さらには世界中の人々を、世界で最も殺し続けてきたアメリカ政府になぜそれほどまでに媚びへつらい続けるのかと。あなたたちの言う「愛国」とは一体何なのかと。
アメリカはどうみても戦争犯罪である原爆投下も、都市空襲も、沖縄地上戦も何一つ謝罪もしてないし反省もしていません。

だからいままた世界で同じことを繰り返し続けており、かつアメリカの若者たちが虐殺行為に駆り立てられてもいるのです。アメリカは戦争で自国民をもたくさん殺しています。
その殺戮行為への批判の一つもできないのは、実はあなたたちには人間に対する「愛」がなさすぎるからだと僕はいいたい。そして「そうではない。愛があるのだ」と言うのなら、ぜひ、ともにアメリカの戦争に反対して欲しいです。

この点も含めて、つまり過去のアメリカによる日本や各国への戦争行為への真っ当な批判を貫くことも含めて、私たちは私たちの平和力をもっと大きく発展させましょう。
世界から戦争と暴力を一掃するため。戦乱に明け暮れた野蛮な人類前史の扉を閉じ、友愛に基づく豊かな人類後史の門を開けるために。

続く