守田です(20170824 16:00)

連載中のNHKスペシャル「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」の文字起こしの3回目をお届けします。これが最終回です。
今回は「黒い雨」の調査資料が隠されてきたことに対して、被曝者が原爆症認定を求めて裁判をおこすなど、奮闘してきたこと、この結果、裁判で黒い雨の影響を認める判決が引き出されましたが、なお国が内部被曝の影響を認めずに来ていることが描かれています。
重要なポイントですのでご注目ください。

とくに番組の終盤ではこのことと福島原発事故による被曝の問題のつながりが示唆的に描かれています。
今回の放影研への問い合わせの中で、初めて自らが黒い雨を受けていたことを母親が残してくれた証言から知った佐久間邦彦さんが、福島などから広島に避難してきたお母さんたちに次のように語っているシーンを流すことを通じてです。
「佐久間さんが繰り返し訴えているのは、事故のときにどこにいて、どう避難したのか、自分と子どもの記録を残すことです。被曝の確かなデータがなければ、子どもを守ることはできない。母親が答えてくれた自らの黒い雨の記録を見せながら、語り続けます」

広島・長崎原爆の被害の中で、アメリカが内部被曝の影響をひた隠しにし、だから「黒い雨」に関するデータが活用されてこなかったことがここまで描かれてきましたが、日本政府はこのアメリカの姿勢にべったりと追従し、多くの被爆者に「あなたは放射線被曝の影響を受けていない」と冷たく言い放ってきました。
被爆者の懸命の努力で、多くの裁判で、この政府の見解が正されましたが、それでもいまなお、政府は内部被曝の影響を認めていません。
そしていま、福島原発から飛び出した放射能による被曝に対しても、政府は同じ姿勢をとり続け、子どもや妊婦さんを含む膨大な人々を被曝するに任せています。

しかし「黒い雨」による内部被曝の実態は、被爆者援護政策が切り縮められてきており、とてもではないけれどもまっとうな救済措置にはなっていないことを明らかにするとともに、現在の日本政府による福島原発事故による被曝防護対策もあまりに誤っていることを突き出しています。
かつてアメリカに追従して、広島・長崎の被爆者を切り捨て、見捨ててきたと同じ理屈、同じ論理による被曝影響の極端な軽視が、いまなお繰り返されているのです。
この状態をなんとしてもひっくり返さなければいけないし、ひっくり返したい!
このNHKドキュメントで明らかにされた事態が私たちに問いかけているのはこのことであると僕は思います。

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「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」2012.8.6NHKスペシャル
(その3は32分25秒から最後まで)
http://www.at-douga.com/?p=5774

1975年、ABCCは組織改正されます。日本も運営に加わる日米共同の研究機関、放射線影響研究所が発足しました。研究の目的に被爆者の健康維持や福祉に貢献することも加えられました。ABCCの調査を引き継ぎ、被爆者の協力のもと、放射線が人体に与える影響を研究しています。
国は放影研の調査結果をもとに、被爆者の救済にあたってきました。原爆による病気と認められた人に医療手当てを支給する原爆症の認定制度です。救済の対象は実質、初期放射線量が100mSvを越える2キロ以内。残留放射線の影響はほとんど考慮されてきませんでした。
原爆症と認められる人は、現在、被爆者全体のわずか4%、8000人にとどまっています。被爆者は自分たちの調査をもとに作られた国の認定制度との闘いを強いられることになりました。
2003年から全国にひろがった原爆症の認定を求める裁判。その中で被爆者は、半世紀以上も前の被曝の影響を自ら証明することを求められたのです。

原告の一人、萬膳ハル子さん(享年68)です。爆心地から2.6キロで被曝、黒い雨に合いました。訴訟が続いていた2005年、原爆症と認められないまま肝臓がんで亡くなりました。
遺族のもとには戦後の貧しさの中で学校に行けなかった萬膳さんが、国に訴える紙を書くために練習していた文字が残されています。
「一生懸命に頼みたいからね、こういう字とか、「切実」とか」
自らの苦しみを必死に伝えようとしていた萬膳さん。それに対し、国は、裁判で被曝の確たる証拠を示すように迫ったのです。

「黒い雨を浴びたなどと供述しているが、それに放射性物質が含まれていた証拠はなく、肝臓がんの発症に影響を与えるとの知見も存在しない」
「脱毛などの症状も、客観的証拠は存在しない上、考えられる被曝線量からすれば、放射線による急性症状とは考えがたい」(国が提出した裁判資料より)
萬膳さんが亡くなった翌年、黒い雨の影響を認める判決が出されました。しかしそれから6年が経った今も、国は認定制度を抜本的に見直そうとはせず、黒い雨の影響についても、認めようとしていません。

30年以上、被爆者の医療にかかわり、医師として原告団を率いてきた齋藤紀さん(医師)。詳細な調査もせず、黒い雨の影響をないものとしてきた国こそ、責任を問われるべきだと考えています。
「初期放射線で国は説明がつかないから被曝がなかったんだと国は言っているのですけれども、説明のつかない放射線にもとづくと思われる症状が、多数被爆者の中に認められていたわけですね。
その被害がなかったのかどうかは、その調査を突き詰めていくことによって結果として出てくることであって、その調査をつきつめないで被害がなかったというのは科学の常道ではないわけなんですね」(齋藤医師)

解明されてこなかった、黒い雨が人体におよぼす影響。放影研のデータが公開されないなか、被爆地広島の科学者たちが、独自の研究で明らかにしようと動きはじめています。(原爆放射線医科学研究所の映像)
広島大学の大瀧慈教授です。被爆者ががんで死亡するリスクについて研究してきました。大瀧教授らは、被ばくした場所によって、がんによるリスクがどのように変わるか調べてきました。すると意外な結果が得られたのです。
初期放射線の量は、距離と共に少なくなるため、死亡のリスクは同心円状に減っていくはずです。しかし結果は、爆心地の西から北西方向でリスクが下がらないいびつな形を示しました。初期放射線だけでは説明のできないリスクが浮かび上がってきたのです。
「まさか、同心円状でないようなリスクの分布があるということは、まさしく想定外だったと思いけれども。はい。」

このリスクは黒い雨によるものではないか。しかし大瀧教授らが使ってきた独自の被爆者データだけでは、確認できませんでした。37000人について、どこで被爆したか調べていますが、黒い雨にあったかどうかまでは尋ねていなかったからです。
去年、放影研が黒い雨の分布図を公開してから、大瀧教授らは新たな分析を試みました。被爆者ががんで死亡するリスク全体から、初期放射線の影響を取り除きます。すると問題のリスクが姿を現しました。それは西から北西にかけて、爆心地よりも高くなっていたのです。
これを今回、放影研が公開した黒い雨の分布図とあわせると、雨にあったと答えた人と、重なったのです。
「やはりその、リスクが高くなっている地域というのは、黒い雨の影響を受けたのであろうということが、強く示唆されているものと考えております。
直接被ばく以外の放射線の影響が、あまりにも軽視されてきたのではないかなということが、今回のわれわれの研究を通じてですね、明らかになってきたのではないかと思っております」(大瀧教授)

今年6月、大瀧教授らのグループは、研究成果を学会で発表しました。
「黒い雨などの放射性降下物が影響しているのではないかと想像されます」(研究員の学会における説明より)
黒い雨によるリスクをさらに明確にしたい。大瀧教授は放影研が持つ黒い雨のデータを共同で分析したいと考えています。

放影研はABCCが作成した93000人の調査記録をもとに、すべての被爆者を追跡し、どのような病気で亡くなったか調べています。国から特別な許可を得て、毎年全国各地の保健所に、新たに亡くなった方の調査票を送り、死因の情報を入手しているのです。
黒い雨にあったと答えた13000人について死因の情報を分析すれば、黒い雨の人体への影響を解き明かせるのではないか。大瀧教授は考えています。
「黒い雨の影響を研究する上で、世界に類をみない貴重なデータだと思います。可能な限り、広い見かたができるような状況で解析をするということが、データから真実をひきだす必要条件だと思います。そうするとデータはおのずから語ってくれるようになると思います。真実をですね」(大瀧教授)

こうした指摘を放影研はどう受け止めるのか。共同研究については、提案の内容を見て判断したいとしています。しかし黒い雨による被曝線量が分からない限り、リスクを解明することはできず、データの活用も難しいとしています。
「可能性があるというところまでは、ああ、そうですかということで、もちろんそうかもしれない。そうかもしれないだけで、それ以上のことはいえませんのでね。
ゆがむにはゆがむだけの死亡率の、リスクの違いがあるわけですから、その違いを証明できるだけの被曝線量を請求書でもなんでもだしていただかないとですね、放影研として一緒に、同じ土俵で議論することはできないということです。」(大久保理事長)

今、私たちは新たな被曝の不安に直面しています。去年おきた原発事故です。子どものころ、母親の背中で黒い雨を浴びた佐久間邦彦さん。福島などから広島に避難している母親たちに、自らの体験を語り始めています。
「母が私を連れて裏山に逃げたのですが、そのときに黒い雨にあったのですね。」(母親たちへの講演で)

佐久間さんが繰り返し訴えているのは、事故のときにどこにいて、どう避難したのか、自分と子どもの記録を残すことです。被曝の確かなデータがなければ、子どもを守ることはできない。母親が答えてくれた自らの黒い雨の記録を見せながら、語り続けます。
「調査したけれども、その後、何もやっていない。やはり広島の経験を、本当に調査をやってなかったことは残念なことなのですが、怠慢だと思いますが、だけどやはり福島で生かすためには、どんどん進めていかなければいけないと思いますね。過去を振り返りながらね。そうすることが子どもたちを守ることにつながると思います」(佐久間邦彦さん)

広島・長崎で被ばくし、ガンなどの病気で苦しんできた被爆者たち。
長年にわたって集められてきた膨大なデータは、放射線によって傷ついた一人ひとりの体を調べることによって得られたものです。半世紀の時を経て明らかになった命の記録。見えない放射線の脅威に正面から向き合えるかが、今、問われています。

終わり

語り 伊東敏恵
声の出演 坂口芳貞 関輝雄

取材協力 高橋博子 冨田哲治
広島原爆被害者団体協議会
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

資料提供 アメリカ国立公文書館
全米科学アカデミー 広島平和記念資料館
気象庁 広島大学原爆放射線医科学研究所
林重男 林恒子

取材 田尻大湖 山田裕規 松本成至
撮影 佐々倉大
音声 土肥直隆
映像技術 猪股義行
照明 西野誠史
CG製作 妻鳥奨
音響効果 小野さおり

編集 川神侑二
リサーチャー ウインチ啓子
コーディネーター 柳原緑
ディレクター 松木秀文 石濱陵
製作統括 井上恭介 藤原和昭

制作 著作 NHK広島