守田です。(20150512 23:30)

9日に宮津で「原発ゼロネット宮津・与謝ネットワーク」結成集会に参加して、中間貯蔵施設のことなどをお話してきました。
前日から主催者のうちの宇都宮和子さん、綾さんのペンションに泊めていただき、たくさんのことをお話してきました。
ちなみにこのペンションは4階建てしかもセルフビルドで建てられた実に豪勢なものでした。

居間にはグランドピアノが置いてあるほか、ウッドベース、チェロ、バイオリン、ギターなどなどが壁を取り巻いており、「音楽と教養」が溢れていました。
また和子さんのお連れ合いの宇都宮さんは、ミュージカルにも造詣が深く、なんと「サウンドミュージック」のシナリオを手に入れて自ら8割も書き直し、これをもとに宮津の人々を主体に本当にミュージカルを実現してしまった経験もお持ちでした。
ビックリしました。感動しました。なんというか、「こういう文化があってこその私たちの人生だよなあ」とか思いました。放射線防護を貫きながらもこういう一時、思いをこれからも忘れずにいたいです。

ネットワーク結成集会当日は会場いっぱいの方が集まってくださいました。遠く、高槻市、京都市から。また近くは舞鶴や丹波、綾部などからの参加もありました。
中間貯蔵施設について、この日の集会までに連載を終えることができませんでしたが、でかける直前までパワーポイントを作り込み、なんとかまとまった提案をできたように思います。
みなさん。非常に熱心に聞いてくださいました。内容についてはこの後に書かせていただきます。

さて集会後は実行委の方たちと喫茶店でお茶をして、その後に伊根町に送っていただきました。これまで2回、講演させていただいた町ですが、この日は、みなさんに歓迎の宴を催していただきました。
伊根の造り酒屋さんからの美味しいお酒も届き、集まっていただいた方とかなり遅くまで歓談しました。
宮津も伊根も高浜原発から30キロに町ですが、きれいな若狭湾が広がり、古くからさまざまに営まれてきた人々の生活を感じることのできる温かい町です。この場を原発事故から放射能のこれ以上の押しつけから守りたいです。そんな思いを高めた訪問でした。
さて前回は中間貯蔵施設建設の前提として、全国の原発の燃料プールがつめつめになっていることを書きました。
現在のプールの使用量は全国平均で容量の7割とされていますが、この数字には既に説明したように重大な虚構があります。本当はもう満杯になってしまっていたのに、リラッキングとラック増設で無理やり容量を広げてきたからです。
政府と電力会社が中間貯蔵施設建設に焦りを持っているのは、もうすぐに燃料プールがいっぱいになって稼働ができなくなってしまうからです。いやそれだけではなくて、政府も電力会社も、現状が非常に危険であることも承知していると思います。

その意味では中間貯蔵施設は、原発輸出と並んで、滅びゆく原子力政策の必死の延命策としての位置を大きく持っています。
だからこそ私たちは全国の連携でこの施設を建てさせず、再稼働を永遠に止めて行く必要があります。

一方で私たちが押さえておくべきなのは中間貯蔵施設の固有の問題とは何かです。この点についてもっとも端的なまとめを行っているのは、京大原子炉実験所時代の小出裕章さんの以下の文章だと思われますのでご紹介します。

中間貯蔵施設とは
2004年5月21日~23日 小出裕章 宮崎県内連続講演会より
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/myzk0405.pdf

この中で小出さんは、この施設が核燃料サイクルの破産の中ででてきたものであり、「中間」ではなくそのまま「最終処分場」になる可能性も秘めたものであること、そこに膨大な放射能が持ち込まれようとしていることを指摘して以下のように書いています。
「現在計画されている中間貯蔵施設は、金属製のキャスクと呼ばれる巨大な容器の中に5トンの使用済み核燃料を入れ、それを1000基つまり5000トン分の使用済み核燃料を保管しようとする。
100万kWの原子力発電所では1年間に30トンの使用済み核燃料を生み、その中に広島原爆1000発分の死の灰が含まれている。したがって、キャスク1基には広島原爆150から200発分の放射能が含まれ、中間貯蔵施設全体では17万発分にも達する。」

その場合の危険性とはどのようなものでしょうか。小出さんは以下のように述べています。
「中間貯蔵施設はたしかに原子力発電所や再処理工場のように、厖大な熱を発生させたり、ポンプを稼動させたり、長大な配管を持っていたりしない。
そのため、中間貯蔵施設が抱える危険性は原子力発電所や再処理工場のものとは異なる。それは時間の長さに関係する危険性である。」

中間貯蔵施設・・・とうより核燃料はいずれ最終処分をしなくてはならないわけですが、その管理年月はなんと100万年という想像を絶する長さです。しかし現在の施設は50年から100年ぐらいの強度しか持っていません。その先、どうするというのでしょうか。
私たちが向かい合わなければならないことは、わずか数十年の発電のために、この想像を絶する長い時間、人類が管理しなければならないものを私たちの世代の人類が作りだしてしまったという現実です。
そしてそれは実はいつかどこかに必ず作らなければならないものです。その場合、建物は何度も何度も作り変えられなくてはならないのですから、地上管理していく必要があります。地震大国のこの国で地下に埋めるなど言語道断です。

ではどこに作るべきでしょうか。小出さんは都会に作るべきではないかと述べています。電力を一番使ってきた東京や大阪等々にです。
少なくとも宮津を始め、たいして電力も使ってはいないのに、都会の電力の供給地とされてきた場やその周辺に押し付けるべきではありません。それが倫理的に正しい答えだと僕にも思えます。

ただここで極めて重要なのはそれはいつから始めるべきことなのかということです。
これには燃料プールが現状でつめつめになっており、臨界事故などが起きかねない状態になっていること、その点では一刻も早く燃料プールの核燃料を乾式キャスクに送っていくことが必要であることとも深く関連した問題です。
今すぐ貯蔵する施設を作って乾式キャスクに入れて降ろすべきなのでしょうか。悩ましいですが、答えは「再稼働しないならどんどん降ろすべきだけれども、現状では否だと言わざるを得な」だと僕は思います。

現状での中間貯蔵施設建設は、再稼働のためのものだからです。再稼働されてしまえば、せっかくそれなりに冷えた状態の核燃料が乾式キャスクに移されても、空いた隙間にまた使用済み核燃料が入れられてしまいます。
核燃料は運転の終わった直後が飛び出してくる放射線値も、崩壊熱も、格段に高い状態にあります。現状では日本の原発は平均3年11カ月止まっていますから、その分、冷却が進んでいるものが多い。
もちろんそれでもなお、燃料棒にはウランやプルトニウムなどの核分裂性物質を含んでいるので、詰まっている状態はあまりに危険なのですが、これ以上、新たな使用済み核燃料をふやしプールに詰めてしまうことは避けるべきです。

そのためまずは再稼働の完全な断念を導き出すとともに、その中で核燃料の最終処分場をどこに作るべきかの全住民的討論を巻き起こす必要があります。
この討論の時には、けしてこれまでのような騙しを使わず、危険なことはきちんと明らかにした上で、もっとも倫理にかなった核燃料の超長期の保管のあり方を討論し、実行に移していく必要があります。
しかしそれまで待てるだろうか。とにかく今すぐ降ろさないと危険なのではないだろうか。かりにどこかに中間貯蔵施設ができたとしても、再稼働しないのだならば、誰にとっても今の状態よりは安全なのではないかという意見もあると思います。

僕もその点では悩ましさを感じます。しかし政府と電力会社が再稼働やいわんやプルサーマル計画など、核燃料サイクルを諦めない限り、どうしたって、これを止めることを優先する以外ないと思うのです。
またこの点で問題なのはこの燃料プールの抱えている巨大な危険性が十分に社会的に伝わっていない点です。だから「脱原発依存」などという一定期間の稼働を認めた論議も出てくる。そんな余裕などまったくないことをもっと広めなくてはいけません。
再稼働をやめさせるだけでなく、それでこそ燃料プールの危険状態に終止符を打ち、どんどん安全状態に移していく展望も開けるからです。

では今あるこの巨大な危険性に対してはどう対処すべきなのか。僕は原子力災害対策を重ね、避難計画を作ってのぞむことが重要だと思います。
ただしその場合の避難計画は、原子力規制庁が打ち出した「原子力災害対策指針」にあるような、まったくの絵に描いた餅のようなものではありません。
実際の事故をリアルに想定し、場合によってはかなりの被害も避けられないことが原子力災害であることをはっきりさせ、しかも必ず誰かを人柱にしてしまう性格をもったものがリアルな避難計画であることを明らかにして作り上げるのです。

その場合の視点は、減災の観点です。災害からの被害をすべて免れることは極めて厳しいことを前提にした上で、少しでも被曝を減らす方策を重ねていくのです。
繰り返しますが、私たちの前に現に膨大な数の核燃料が存在してしまっています。だからその巨大な危機とリアルに向き合うことこそが大事なのです。
防災の利点は、原発賛成・反対をひとまずおいて討論できることでもあります。その上で私たちの周りにある危険性をきちんと目の前に引きずり出す。とくに各原発の燃料プールと福島第一原発の危機を全市民的に共通意識化していく必要があります。

そもそも人々に正しい危機意識を持ってもらうことこそが、防災の重要な第一歩です。反対に言えば、だからこそ日本政府は福島原発事故までまともな原子力災害対策をしてこなかったのです。人々が原発の危険性に目覚めてしまうからです。
原子力規制庁が各行政が作る対策のひな形として作った「原子力防災対策指針」もこれと同じ位置性を持っています。原発事故が非常に小さく書かれており、あたかも30キロ圏以遠はほとんど被害を受けないかのような書きぶりです。
これを崩すためにも、下から原子力災害対策を築き、燃料棒の危険性や、福島第一原発が抱えている危険性をもっと明るみに出して、その中で現状がイデオロギーの問題ではなく、安全性の問題としてもう待ったなしであることを広げる必要があります。

以上で中間貯蔵施設に関する考察を終えます。これからも宮津の人々、いやもっと広範な人々と協力して、原発再稼働前提としたこの施設の建設を食い止めていきたいと思います。

連載終わり