守田です(20150507 23:30)

5月9日に行う京都府宮津市での講演にむけての考察の続きです。とくに問題にしたいのは宮津で浮上している中間貯蔵施設建設についてです。
端的に言ってこの施設が必要になったのは、核燃料サイクルがとん挫しているからです。このためそれぞれの原発の使用済み核燃料の搬出先がなく、燃料プールが満杯になりつつあります。
いや正確には多くの原発が実質的にはすでに満杯状態を越えているのです。それでも満杯と言わないのは、燃料体の間隔をつめて入れ直す「リラックング」や、燃料棒を入れる「ラック増設」を行い、安全性を犠牲にして容量を増やしたからです。

使用済み核燃料の中間貯蔵施設が必要とされているのは、これ以上、危険なリラッキングや増設を進めるわけにはいかないので、燃料をどこかに移して燃料プールに隙間を作らないと再稼働してもすぐに行き詰ってしまうからです。
そのためもともとの予定にはなかった再処理工場に送る前のつなぎとして「中間」という施設名が生まれたのですが、この施設がなければ例え再稼働を強行しても、早晩、原発は止めざるを得なくなります。
再稼働はもっとも危険な行為です。しかも危険な使用済み核燃料を作り出してしまいます。さらに宮津の貯蔵施設には直接的には高浜原発再稼働との連関の動きであって、は危険なプルサーマルにも連動しています。だからこそ止める必要があります。

ただし私たちはその先も見据えていく必要があります。リラッキングしてつめつめになった現在の燃料プールは極めて危険です。ここから降ろして乾式キャスクに入れた方が(性能に不安がありますが)まだしも安全です。この作業自身は急ぐべきです。
そのために必要なのは原子力政策のあまりの危険性をさらにもっと強く社会にアピールし、一刻も早くこの国の方向性を原発ゼロに向けさせ、廃炉過程に向かうことです。
このことを抜きに使用済み核燃料をプールから降ろし始めても、再稼働をして降ろした隙間にあらなた使用済み核燃料が入れられれば、かえって危険性は増します。燃料棒は使った直後がもっとも放射能が多く、熱量も高いからです。
これらのことをより詳しく押さえるための考察を続けます。

核燃料サイクルの頓挫

前回、「明日に向けて1082」の考察の中で、原発が原爆製造の中から生まれてきたこと、今もなお、核政策に寄り添ったものであることを述べました。
その際、ポイントとして原子炉が核分裂実験の装置として生まれるとともに、核分裂しないウラン238に中性子をあてて、プルトニウム239を製造する装置として発展してきたことを述べました。
このプルトニウム239の製造をより効率的に行うために開発されたのが高速増殖炉でした。高速の中性子を使い、プルトニウムを増殖すうことからこのネーミングが生まれました。

ただ前回の説明で少々足りなかったことと誤まった点がありました。説明が足りなかったのは原子炉の中の中性子の減速についてです。
原爆に使用されるウラン235やプルトニウム239は限りなく100%に近く作られておりて、爆発にいたる臨界量が一気に通常火薬の爆発で一か所に集まって瞬時に爆発を起こすようにセットされています。
これに対してアメリカで1942年に作られた原子炉では天然のウランがそのまま使用されました。ウラン235の割合は0.7%とごく僅かだったのです。その後、多少濃縮されたものが使われましたがそれでも3%ぐらいでした。

このためウラン235は連続的に並んでいません。ここに最初の核分裂で飛び出してきた中性子が飛んでくるのですが、この時の中性子のスピードは大変速いので、まばらに存在してるウラン235にはなかなか当たらないのです。
減速はそのために中性子のスピードを著しく落とし、ウラン235にぶつかりやすくするためのものでした。それが結果的に原爆と比べてずっと遅い核分裂連鎖反応を作り出したのでした。
ウラン235の核分裂のためにはこれが合理的なのですが、しかし原子炉に入ったウラン238が中性子をとりこんでプルトニウム239に変わっていくためには不効率なことが分かり、そのために中性子のスピードを落とさない高速増殖炉の建設が目指されたのでした。

しかも燃料にもより核分裂性が高く、たくさんの中性子を出すプルトニウム239がウラン235とともに入れられました。このため高速増殖炉には減速材は入れられず、熱を処理するための冷却材のみが入れられ、液体ナトリウムが選ばれました。
高速増殖炉はそれまでの炉よりより核分裂を行うので発生する熱も多く、水では冷却しきれないことも液体ナトリウムが選ばれた原因でした。
(この点、前回はそれでも減速が必要なため、水よりも減速性が低い物質を選んだと書いてしまいました。誤りです。お詫びして訂正します。なおブログ上の文章はすでに訂正してあります)

このため実は人類最初の原子力発電もアメリカの高速増殖炉によって行われています。アメリカは軍事物資としてのプルトニウム製造を急いだために高速増殖炉の建設を優先したのでした。
ところが高速増殖炉はそれまでの炉に比べてもより扱いにくい構造的な問題を持っていました。
一つにはもともとはウランやプルトニウムによりあたりにくい高速中性子が使われており、ウランやプルトニウムをより詰めて装填せざるをえないことなどから暴走しやすいことです。

また液体ナトリウムは、水と接触すると激しく燃え出す特徴をもっているため大変扱いにくいこともあります。炉内のナトリウムはそれ自身が放射性物質にかわっていくため、二次冷却剤としてナトリウムをまわし熱交換を行います。
それを三次冷却剤として回している水と、パイプを通じて接触させて熱交換を行うのですが、ここでピンホールなどがあいただけで大火災が発生してしまいます。これらから実際に深刻な事故が相次ぎました。
さらに高速増殖炉は毒性の高いプルトニウムを扱っているため事故時の被害も桁外れになります。このためアメリカなどで軍事用プルトニウムの生産は実現したものの、発電設備としては完成せず、各国が次々と開発から撤退していくこととなりました。

これに対してあくまでも高速増殖炉建設にしがみついたのがフランスと日本でした。日本は「もんじゅ」こそが世界中での高速増殖炉開発計画の挫折を越えるとの意気込みで開発を進めましたが1995年に運転直後にナトリウム漏れ火災事故を起こしました。
高速増殖炉のとん挫だけではありません。運転をしながらウラン238に中性子をあて、プルトニウム239を取り出すためには使用済み核燃料の「再処理」が必要となりますが、これがまた大きな危険性を伴います。
燃料棒を分解して燃え残りのウラン235と新しくできたプルトニウム239を回収しようとするのですが、燃料棒に封じ込まれている死の灰も出してしまうことになるため、放射能汚染が不可避的に生じるからです。

実際、イギリスのウインズケールにある再処理工場からは、度々、高濃度に汚染された放射能がアイリッシュ海に流れ込み、福島原発事故以前は、この海は世界でもっとも汚染された海と呼ばれるようになってしまいました。
アイルランド共和国政府は、再三、イギリスに再処理工場の運転中止を求めましたが、核大国であるイギリスは拒否し続けました。そのイギリスの工場に日本もまたたくさんの核燃料の再処理を委託して行い、汚染に加担してきてしまっています。
日本はさらに現在、東海村にある小規模な再処理工場に加えて、青森県の六ケ所村に大規模な再処理工場を建設し、運転しようとし来ていますが、その度に事故を繰り返し、いまだ経常運転に成功していません。

プールに溢れる使用済み燃料棒

これらの結果として実は世界中で生じているのが、行き先を失った燃料棒が燃料プールに溢れてしまう事態でした。
そもそも現在稼働している原発の多くが1960年代から70年代に設計されたものですが、その時は核燃料サイクル計画を前提としていたので、燃料プールは数年分の燃料を入れる容量しか作られなかったのです。
燃料棒は運転を終えた直後はもっともたくさんの放射能を有しており、高い線量の放射線を出しています。さまざまな放射性核種が放射線を出して違う物質に変わっていく「壊変」という現象が起こっており、その時にたくさんの熱も出します。
このため当初は水に沈めて冷却するとともに放射線を遮蔽するしかないので、プールに沈める以外の方法がとれません。この段階では乾式の保管方法はないのです。

ところが5年ぐらいを過ぎるとそれなりに放射能量が減り、壊変によって生じる熱も下がってくるので、取り出して再処理工場に運べると計算されたのです。
この時、プールの中に金属製の筒=キャスターを沈めて燃料棒を入れ、蓋をして空冷に任せつつ、車両、列車、船などで再処理工場に運ぶことが想定され、事実一部はそのように運ばれました。
ところが再処理をしてもその先に新たに取り出したプルトニウムを含んだ新燃料を装填する場がない。高速増殖炉建設が各国ともにとん挫していてプルトニウムを燃やす場がなくなってしまったのです。

このため使用済み核燃料を持ち出す場がなくなり燃料プールはどんどん隙間がなくなっていってしまいました。
これに対して各国の電力会社が始めたのが「リラッキング」、および「ラック増設」でした。燃料の間隔をつめて入れ直し、ラックそのものも増やすのです。このことで設計段階の容量の倍ぐらいの燃料棒を詰めてしまうような事態が生まれ始めました。
しかしこれは大変な危険を生じさせています。

なぜかというとウラン235やプルトニウム239などの核分裂性物質は、一定量が集まると臨界状態に達してしまう恐ろしい性質を持っているからです。
このため燃料プールでは核物質が何らかのはずみで集合してしまわないように、一定の間隔をあけて入れるように設計されたのです。満杯になる前に順次、再処理工場に送り出すことも想定されていました。
リラッキングやラック増設はこの設計思想に背き、燃料を無理に詰めてしまう行為です。核燃料サイクルの行き詰まりに対する典型的な弥縫策で、場当たり的な、もっとも危険な対処であると言わざるをえません。

このリラッキングとラック創設はどれぐらい行われているのでしょうか。以下に資料があります。

政策選択肢の重要課題: 使用済燃料管理について -国内の動向-
2012年2月23日 内閣府 原子力政策担当室
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/hatukaku/siryo/siryo8/siryo3-2.pdf

これをみると北海道電力の泊原発と東北電力の女川、東通原発をのぞいて、ほとんどの原発がリラッキングやラック増設を行ってきたことが分かります。
実はもっともそれが進んでいたのが福島第一原発なのでした。福島第一は1~6号機のすべての燃料プールでリラッキングが行われていましたが、実はそれでも足りなくなって原発敷地内に新たな巨大プールを作って共用としていたのでした。
つまりそれをしなければ実はかなり前に運転を止めざるを得ない状態だったのです。しかもそこまで容量を増やしてなお、貯蔵割合は国内の全原発の中で一番高い93%になっていたのでした。

ここで思い出されるのが3号機の爆発です。1号機と3号機とともに「水素爆発」とされていますが、二つの爆発はまったく違ったタイプであることが一目瞭然でした。
1号機に比して3号機はクレーンなどと思われる建屋内の構造物を空高く舞い上がらせるほどの爆発力を持っており、しかも小型のキノコ雲のような巨大な黒煙も生じさせていました。
これに対して、アメリカのアーニー・ガンダーセン教授が、3号機プールで臨界爆発があった可能性を主張し続けていますが、その根拠としてあげられているのも、福島第一原発の燃料プールが、日本中の原発の中でも最も過密な状態になっていたためでした。

続く

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中間貯蔵施設問題については5月9日の宮津の企画でまとめてお話します。以下、企画案内を記しておきます。

原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク結成のつどい
~わたしたちは原発再稼働に反対です。京都・宮津に使用済み核燃料の中間貯蔵施設をつくるのはごめんです~

宮津市 歴史の館にて 午後1時より
1、オープニングの歌
2、原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク結成宣言
3、あいさつ(津島英一)
4、福島支援宮津プロジェクトからの報告
5、講演「生き続けられるふるさとを~高浜原発再稼働問題から~」(守田敏也)
6、今後の取組と行動提起(濱中博)
*つどいの終了後、ミップル前宣伝。

主催 原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク
連絡先 与謝地方教職員組合内 0772-22-0321