守田です。(20150118 12:30)

前回、アウシュヴィッツ訪問でNHKBSドキュメント「ヒトラー・チルドレン」で描かれた場に立ち、イスラエルの若者たちの見学風景に遭遇したことを述べました。
その時の日本人ガイドの中谷剛さんのお話を紹介しましたが、現場の聞き取りでのことなので、中谷さんの真意を十分に伝えらていないかも知れません。
中谷さんのお話に興味を持たれた方は、ぜひ以下の書をご覧になってください。僕が描けていないアウシュヴィッツの全体像が書かれています。今、このときにこそ読んでいただきたい本です。

新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内
http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN978-4-7736-3607-9.html

その上で、もう少し、中谷さんから教わったことの中で強い印象に残ったことを記したいと思います。
アウシュヴィッツにはこのところ、年々、来館者が増えているのだそうです。その半分が若者たちです。実際、僕が現場に立った時も、とても若者が多いのに驚きました。各国から修学旅行などで来ている若者も多いのだろうと感じました。
このことについて中谷さんは印象的なことを語られました。

「こうやって来館者が増えているのは、ヨーロッパがにわかに目覚めたからではありません。むしろ逆です。今、あちこちで排外主義が強まっているのです。このような状態をなんとかしようと思っている人たちが、若者にアウシュヴィッツを見せなくてはいけないとせっせと送り込んでくるのです」
何とも深く感銘を受けました。もちろん、排外主義が強まっていることに対してではありません。それに抗する人たちの努力もまた高まっているのです。そしてその思いを中谷さんはしっかりと受け取って、丁寧にガイドされているのです。
それはガイドの方たちの共通の思いなのでしょう。途中で何度も各国の見学者たちが狭い収容棟の中ですれ違い、ガイドの方たちが言葉を交わしあうのですが、そこにはなんとも言えないようなガイド仲間の間の連帯感が漂っているように思えました。「ここに今まさに排外主義に立ち向かっている人々がいる!」と胸がジーンとなりました。

実はあのフランスの事件が起こる直前の1月5日に、ドイツのドレスデンで移民排斥デモが起こりました。18000人という多さでした。主催したのは極右団体のPEGIDA(Patriotic Europeans Against the Islamisation of the West)です。
ドイツはナチズムへの反省から移民に寛容な政策を採り続けてきたため、中東からたくさんの人々が移り住んできています。トルコからもとても多い。300万人が移り住んでいます。僕が仲良くなった方もトルコからドイツに移って医師として働いています。
これに対してペギーダが昨年10月から毎週の移民排斥デモを始めた。まったく由々しきことです。

一方でドイツ各地でカウンター行動も起こっています。1月5日の行動に対してイスラム教徒の多いケルンではペギーダ支持者の10倍の人々が集まって排外主義反対のデモを敢行。ベルリンでもペギーダ側400人に対して排外主義反対で5000人が集まり、カウンターデモを行いました。
ケルンの大聖堂やベルリンのブランデンブルク門は、全ての明かりを消して、移民排斥デモに対する抗議の姿勢を示しました。僕もニュースでその映像を観ました。
「ああ、中谷さんが言っておられた通りだ。排外主義者が行動を開始しているけれど、一方で懸命になって排外主義に反対して行動している人々がいる。この人々と連帯して僕も前に進もう」とそう思いました。

ところがその直後にフランスのあの事件が勃発しました。これに対してドレスデンでは30000人の反テロ集会が行われたといいます。内容はどのようなものだったのでしょうか。詳細が伝わってきてないのでとても気になるところです。
フランスのあの事件で各国の極右勢力が移民排斥の声を強めています。排外主義に反対し、すべての人の平等を訴え、連帯を叫ぶ人々には逆風になっていると思われます。その中でドイツの心ある人々がどんな行動に出るのかを注目したいです。
一方でそんなドイツ当局に対して、海外の情報筋から「テロ情報」がもたらされたといいます。ベルリンの駅が狙われており、さらにはドレスデンのペギーダのデモもターゲットとされていると伝えられたと言います。

こういう情報は信憑性が分かりません。情報操作の可能性も強くあります。しかしドイツ警察はペギーダのデモも警備せざるを得ないでしょう。
ドイツだけではありません。ベルギーでは「警察署襲撃計画」が事前に摘発され、「犯人」とされる2名が射殺され、多数が逮捕されました。今後、こうした事件が頻発しそうな趨勢です。
他方でイスラム教徒の多いたくさんの国で、シャルリ・エブドの風刺画に抗議する激しいデモが起こっています。とくにニジェールではデモ隊と警察が激しく衝突し、警官を含む7人が死亡しています。キリスト教会への放火も多発しているそうです。

まさに世界が騒然としているわけですが、どうしてドイツで移民排斥デモが起こっているのかを考える際に、とても示唆に富んだことを中谷さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
排外主義が世界を跋扈しているのは、新自由主義のもとでの貧富の格差の拡大、著しい人権蹂躙が背景にあると僕は確信していますが、問題はナチズムを捉え返してきたドイツでどうしてそれが起こるのかです。
この点について中谷さんはこう語りました。「日本人も他のアジアの人々もそうですが、ドイツを美化しすぎです。ヨーロッパでは誰もドイツを褒めません。このぐらいして当たり前と言う感覚です。それほどまでに普通のたくさんの市民がこの虐殺に手を貸し、あるいは見てみぬふりをしたのです」。

さらにビルケナウを歩いているときに、僕が「日本で『ヒトラー・チルドレン』という番組を観て感銘して来たのですが、ご存知ですか?」と尋ねたら、中谷さんはこうおっしゃいました。
「おお、あれをご覧になりましたか。あれは本当に良い番組でしたね。あのアウシュヴィッツの生き残りの方と会うシーンなどとても感動的でしたね。あのヘスさん、お孫さんですが、あんなに罪を問い返せる人はドイツでもほとんどいませんよ。彼はドイツでは変人扱いです」
「なるほど!」と思いました。何かストンと腑に落ちるものがあった。実際、ライネル・ヘスさんはこうも言っていたのです。「私がここに来たのは、我が家に伝わる嘘に対して真実を知るためです」と。つまりヘスさん一家は、ホロコーストの罪を認めているわけではないのです。

いや他の登場人物たちの家族の多くもそうでした。そのため、罪に対する語り部となったことを理由に一族を絶縁された人々もいます。一方で、ナチス高官のゲーリングの弟のお孫さんたちは、兄と妹ともに不妊手術を受けられました。呪われたゲーリングの血を残さないためだそうです。
一方でこれほどに過去の罪を背負い、問い続けようとしている人々がいながら、罪を認めず、否定している人々もいる。後者の方が多いのです。もちろん後者の人々は間違っていますが、ここには過去の罪を問い返すことの本質的な難しさも横たわっていると僕は思います。
人間は自分に不利なことは隠したい。できればないことにしたい。そうした心証を強く持っている生き物です。だからこそ、過去の罪を振り返り、捉え返し、責任を果たそうとする行為は気高いのです。人間としてきわめて尊いのです。僕にはそう思えます。

その意味では、僕は「日本はドイツより遅れている」とあまり首をうなだれていてはいけないと思うのです。もちろん制度的に遅れているものはたくさんあります。フランスで伸びている極右のルペンは「われわれを極右というのはおかしい。われわれは国籍条項をせめてあの日本ぐらいにしようと主張しているに過ぎない」とかつて述べていました。
日本はそれほどにもともと移民を構造的に排斥している国です。それやこれや、制度の問題として正さなくてはならないこと、進んだドイツに学ばなくてはならないことはもちろんたくさんあります。
しかし、ドイツにはドイツの文脈があるのです。核心的なことはその中で本当に真剣に罪を捉え返している人々はやはり少数で、「変人扱い」なのだということです。だとしたらぜひとも僕はこの日本で「変人」として生き抜こうと思います。ライネル・ヘスさんのようにです。

同時にその対局に立っているのが安倍晋三という人物であることを私たちは忘れてはならないと思います。なぜなら彼こそまさに「ヒトラー・チルドレン」なのだからです。A級戦犯岸信介の孫なのです。それだけに彼には過去の罪を暴かれることへの恐怖がある。
そのことがとくに日本の戦時暴力の非人間的象徴としてある「慰安婦」制度、性奴隷制度を、絶対に認めず、躍起になってもみ消そうとしている根拠があると僕は思います。
戦時下の罪を認めることにほとんど本能的と言えるほどの恐怖を抱いている。だからこそ安倍首相のもとで、新自由主義のもとで心が荒れ、誰彼かまわず攻撃したいさもしい暴力的心情にかられ、ヘイトクライムに惹きつけられていくものたちが跳梁跋扈しているのでもあります。

自らの罪を捉え返すこと、自国や自民族、自らに繋がる人々の罪を捉え返すことはとても難しい。誰だって自分が親しみを持つ人々が「悪者」であって欲しくはない。
しかしだからこそ、なかなか万人が歩みとおせない道だからこそ、そこを切りひらくことの中にこそ、未来への大きな可能性を作り出す道があると僕は思います。
それぞれが歴史的罪を捉え返す中でこそ、真の相互理解、対話、そして平和の道が開けていく。もう本当にそろそろ人類は愚かな前史を閉じて、新しい時代に入っても良いころです。

今私たちには勇気ある選択が問われている。
だからこそ、攻撃的精神に巻き込まれることを拒否し、今こそ、非戦の心を逞しくし、大きく連帯を訴えて歩んで行こうではありませんか。
この騒然とした世界情勢の中でこそ、真の平和の道を光らせて行きましょう!