守田です。(20150112 13:30)

フランス新聞社襲撃事件の背後を考察しています。今回は「明日に向けて(1010)フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か」の続きです。
アルカイーダというイスラム義勇兵たちが作りだしたネットワークが、ソ連の力を削ぎたかったアメリカの軍事支援のもとでできあがったことを述べてきましたが、それが反米に転換していったのは湾岸戦争の時でした。
中でも問題なのはアメリカがメッカとマディーナというイスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに膨大な軍を送り込んだことでした。

湾岸戦争が勃発した時、アフガニスタンに集ってソ連軍と闘った多くの国際義勇兵たちは、目的を達して自国に帰っていました。ウサマ・ビン・ラディンもちょうど出身国であるサウジアラビアに戻っていました。
これらの人々は今度はアメリカのイスラムの大地での無謀な振る舞いに激怒し、やがて反アメリカネットワークを形成していきました。
かくして1990年代にアメリカ貿易センタービル爆破事件(911事件はもっとあと)など、さまざまな軍事攻撃が行われるようになりました。アメリカが仕込んだ「過激派」が、その暴力をアメリカに向け出したのでした。

このことに新自由主義のもとでの世界の混乱が大きく関連していきます。なぜかと言えば、イスラム教は利子による儲けを禁止しており、過度な儲け主義を戒めているからです。利子を禁ずる理由は神のものである時間を利用した儲けだからです。
実は中世キリスト教も利子を禁止していました。キリスト教ももともとは儲け主義を戒めているのです。しかし取引の活発化と共に現実には必要とされたため、「守銭奴の行う下劣な仕事」としてユダヤ人が携わっていたのでした。ユダヤ人が共同体と共同体の外におかれ、またがる位置にいたからでした。
その後、商業が発達し、資本主義が成熟する中で、西欧社会は利子を合法化していきましたが、イスラム世界では今も経典に反する行為として禁じているのです。

現実にはいろいろな抜け道があり、利子に変わる利潤の回し方があるのですが、それでもイスラム教が今なお「儲かればそれで良い」という価値観に否定的であることは間違いありません。
それだけに弱肉強食の新自由主義のもとで、貧富の格差が開けば開くだけ、イスラムの教えによる強欲な社会への批判が高まってくる構造を持っています。それがまさに新自由主義の時代のもとでイスラム教が独自の光を放っている所以です。
しかしだからイスラム教徒が「過激化」しているのでは断じてありません。これまで見てきたように、そのような地盤の上に、アメリカによってトレーニングされた武装集団が結合したとき、「過激派」が生まれてきたのだということです。

しかもアメリカは911事件後、アフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、ムスリムの国に明らかなる侵略戦争を行いました。
アフガン戦争の場合は、時のタリバン政権が、ウサマ・ビン・ラディンの引き渡しを拒んだのが理由とされたわけですが、タリバンは「彼が911事件の犯人だと言うなら証拠を見せよ」と言っただけでした。
2003年からのイラク戦争に至っては、「大量破壊兵器」をイラクが隠し持っていることを理由に全土が占領されましたが、実際にイラクは大量破壊兵器など持っていませんでした。

しかもこの戦争の過程で、ものすごくたくさんの民間人が「誤爆」の名の下に殺害されました。
実際には兵器産業と一体のものとしてあるアメリカ軍は、この二つの戦争で核兵器をのぞくあらゆる兵器を使い、たくさんの「誤爆」を生み出したのでした。新型兵器の見本市と言われたほどでした。ものすごく大量の爆弾、弾薬が使われました。
しかも湾岸戦争以降、アメリカ軍は劣化ウラン弾も多用してきました。劣化ウランがもたらす健康被害も甚大にイラクや周辺国を襲っています。湾岸戦争以降、そのイラクにアメリカは国連を通じて医療品をはじめとしたさまざまな物品の禁輸措置をとり続け、しかも2003年に全面侵攻したのでした。

こうした大義なき戦争が繰り返されてきたこと。あとになって開戦理由が間違っていたことが判明してすら、誰も罰せられもしないあまりに酷いありさま。それでどうしてイスラムの人々の怒りが高まらない理由があるでしょうか。
しかもこれらの戦争にヨーロッパ各国は度々追従しました。もっとも熱心にアメリカを支持し、攻撃に参加したのはイギリスでした。フランスはイラク戦争には反対しましたが、アフガニスタンには攻め込みました。
これらすべての戦争行為が、多くの血気盛んな若者をイスラムの武装闘争派に惹きつけてきたのではないでしょうか。

しかもアメリカはこれらの軍事戦闘の中で、常に最も強いのは、無慈悲に、良心の呵責なく人を殺すことであることを示してきました。それがアメリカ軍の強さでもありました。
例えば湾岸戦争の時、クウェートからイラクに逃げ戻る戦車や兵員輸送車などの車列をアメリカ軍は後方から襲い、何万もの兵士を殺害しました。戦闘ではなく一方的な屠殺であったと言われています。イラク軍は逃げ帰る途中だったのですから殺害する必要などなかったのです。
しかもこのときイラクはたくさんのクウェート人を人質にとったのでアメリカは攻撃をためらうだろうと考えたのですが、そんなことはまったくおかまいなく徹底した殺戮が行われました。残虐さを見せつけるような攻撃でした。

軍事戦闘と言うものは、いやそもそも暴力と言うものはですが、それを受けた側に強烈な印象を刷りこみます。虐待を受けた子どもが親になって虐待をしてしまいやすいように、意識下に暴力の凄さが刷りこまれ、同じ暴力に相手を誘う性質があるのです。
このためあらゆる戦争において、やられた側はやった側を模倣する傾向を強く持っています。しかも卑劣な攻撃ほど被害が甚大なためコピーされやすい。こうしてやった側は多くの場合、同じ戦術で攻撃されることにもなります。戦争の愚かさです。
その点でアメリカは、アフガンでもイラクでも、徹底的に無慈悲な攻撃を行うことで、無慈悲でなければ勝てないという思いを相手の側に作り出してしまってきたのです。

今、イラクとシリアで暴れている「イスラム国」についても同じことが言えると思います。この点で参考になる記事がNHKのウェブサイトに載ったのでご紹介します。
「イスラム国」指導者に迫る NHK NEWSweb 1月6日 18時20分
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0106.html

記事の中でNHKは、謎の人物とされている「イスラム国」の指導者、アブバクル・バグダディに触れています。
それによるとこの人物はもともとはフセインのバース党(世俗主義)の党員で穏健な人物だったそうです。しかしアメリカ軍のイラク進攻に対して武装抵抗し、アメリカ軍に補足されてクウェート国境の「キャンプ・ブッカ」に収容され、そこで「過激思想」に感化されたというのです。
NHKの記事ではこれらのキャンプは「まるで過激派の学校のようだった」とされています。

しかし見過ごしてはならないのは、アメリカ軍がイラク戦争当時、これらの収容施設の中でさまざまな拷問を行ったことです。アブグレイブ刑務所が有名ですが、キャンプブッカもこれと同様の施設でした。例えば受刑者に大音響のロックを一日中聞かせるなど、精神崩壊を狙った行為が繰り返されました。
さまざまな性的拷問も行われました。男性受刑者に他の男性受刑者とのセックスを強要したり、女性看守が男性受刑者をもてあそんだりという蛮行が繰り返されました。女性受刑者に対するレイプや子どもに対する性的虐待も行われました。
そのどこまでがアメリカ軍の正式作戦だったかは分かりませんが、このような人権のかけらもない収容者アメリカの姿こそが、多くの「穏健」で「世俗的」だった収容者を、「過激派」に変えていったと思われます。だからこそ「キャンプ・ブッカ」は「過激派の学校」になったのです。

まさにこれらの人々はアメリカの理不尽な戦争を目撃し、その上で監獄における極度の虐待を受けて、暴力的な思想に染まっていったのです。残虐なアメリカ軍に抗う中で、残虐さを徹底的に刷りこまれてしまったのです。
イスラム国は、IT機器の操作などがうまく、英語の情報発信能力にも長けていると言われていますが、そうした現代的なITスキルと粗野な暴力性の同居のあり方に、アメリカ軍との強い親近性を僕は感じます。
その意味で「イスラム国」の獰猛な暴力性も、イラク戦争におけるアメリカの理不尽さの中で生み出されたものといわざるを得ないのです。

しかもアメリカの主導する新自由主義が、さらに矛盾を拡大し、人々の怒りに火を注ぎ続けてきたことを忘れてはなりません。
とくに資本主義のもとでも長い間、投機の対象にすることを避けられてきた食料品など、人々の生活に直結するさまざまなものまで新自由主義はマネーゲームの対象にし始めました。
この中でアラブ諸国に次々と大きな政変が起こりました。西欧はこれを「民主主義の進捗」「アラブの春」などと捉えましたが、僕の友人の国連職員は一言「あれは食糧暴動だよ」と怒りを込めて僕に指摘してくれました。

このように考えるならば、今回のフランスにおける新聞社へのまったく許しがたい暴力行為は、そもそもこの間、アメリカが理不尽な軍事戦闘と新自由主義における世界中の人々の生活破壊によってこそ生み出しているものであることが分かります。
だからこそまた、イスラムへの信仰をもった過激主義者にも僕は言いたいのです。アメリカに屈するなと。暴力に心を奪われるなと。アメリカが行ってきたような理不尽な暴力を、自己解放の手段にしてはいけないと。それではどんな解放も実現しないと。
そうすると必ずこういう答えが返ってくるでしょう。「日本こそアメリカに屈しているではないか。アメリカに基地を貸し、アメリカの子分になっているではないか。自衛隊までだそうとしているではないか。おまえたちにとやかく言う資格はないと。」

そうなのです。まさに日本はそこに位置しているのです。
僕はこう言い返すでしょう。「確かにそれはそうだけれども、僕はあくまで暴力に反対だ。とくにアメリカの理不尽な暴力に反対だ。だからあなたたちの殺人行為にも全面的に反対なのだ。ただそれを言う限り、僕はこの日本の地で命をかけて日本の戦争協力や参加を止めるために奮闘する」と。
こう返すしかない。そうは思いませんか?テロに屈しないことは暴力思想に屈しないことです。だとしたらアメリカの暴力思想、連綿たる戦争犯罪こそが真っ先に批判されなければならないのです。

フランスでは数百万の人々が今回の殺人事件を悼んでデモ行進をしました。そこに「テロに屈しない」というスローガンがたくさん見られました。
そうです。テロに屈してはいけない。だから私たちは世界の中でもっとも大規模かつ卑劣なテロを繰り返し、たくさんのテロリストを養成してきたアメリカをこそ批判し、世界の人々に「アメリカのテロを真似るな」と叫ばなければなりません。
フランスの人々がそのことにこそ目覚め、真の反暴力、平和の道を歩むことを心から願いたいと思います。

続く