守田です。(20140926 18:30)

社会的共通資本を守り、育み、発展させることを訴え続けた宇沢弘文先生がお亡くなりになられました。僕にとっても大恩ある方でした。
18日のことだそうです。ショックで正直なところかなりおろおろしている自分がいます。
何はともあれ今日はみなさんに、宇沢先生ご逝去の報をお伝えします。

各社のニュースでも報道されていますが、NHKは宇沢先生のお元気な時のお姿が流してくれています。ぜひご覧ください。短いですがいかにも宇沢先生らしい語りを観ることができます。
他紙の報道も貼り付けておきます。

宇沢先生。
生涯を貫いて豊かな社会の実現のためのご奮闘され、心に響く思想、論文、言葉をたくさんのこしていただき、本当にありがとうございました。どれほど感謝してもしきれません。
先生のご努力にお応えし、社会的共通資本を守り発展させるため、核のない平和な社会を実現するために、今後もなお一層、身命を賭した努力を続けます。
先生。どうか安らかにお眠りください。合掌。

***

経済学者の宇沢弘文さん 死去
NHK 9月26日 10時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140926/k10014886591000.html

日本を代表する経済学者で、公害などの社会問題の解決にも尽力した東京大学名誉教授の宇沢弘文さんが今月18日、肺炎のため東京都内で亡くなっていたことが分かりました。86歳でした。

宇沢さんは鳥取県の出身で、東京大学理学部数学科を卒業後、経済学の研究を始め、アメリカに渡りシカゴ大学の教授などを歴任しました。
経済成長や消費者の行動を数学的な方法で分析する数理経済学の研究を進め、安定した経済成長のための必要な条件を、「消費」と「投資」の2つに分けて示した「2部門経済成長モデル」で注目を集めました。
昭和44年に東京大学の教授に就任したあとは公害問題などにも取り組み、自動車による交通事故や大気汚染などの影響を経済学的な視点で分析して、対策に必要な費用を利用者も負担して問題の解決につなげるべきだと指摘しました。
水俣病にも目を向け、自然環境や教育、医療など文化的で豊かな生活をするうえで欠かすことのできないものを「社会的共通資本」と位置づけ、効率や経済利潤から守るべきだと提唱しました。
その後、成田空港問題の平和的な解決に尽力したほか、地球温暖化の問題では、二酸化炭素を排出する企業などにコストを負担させる「炭素税」を導入するよう求めるなど社会的な提言を続けました。
こうした功績で平成9年に文化勲章を受章し、平成21年には環境問題の解決に尽くした研究者などに贈られる「ブループラネット賞」を受賞しました。
宇沢さんは3年前に体調を崩し、自宅で療養を続けていたということです。

「経済学の基礎作った功績は計り知れない」

宇沢さんの教え子で学習院大学経済学部の宮川努教授は「研究熱心な方で、授業のあとは毎回、われわれ学生と一緒に夕食を食べながら経済学のさまざまな話を聞かせてくださいました。
一般的に『経済学』と呼ばれている学問の基礎を作ってきた研究者の1人で、その功績は計り知れません。
経済発展によって人々の暮らしを豊かにするための研究だけでなく、公害問題など、経済発展がもたらす負の側面にもしっかりと目を向けてその解決に努力され、社会的な影響は非常に大きい」と話しています。

***

理論経済学者の宇沢弘文さん死去 環境問題でも積極発言
朝日新聞 2014年9月26日10時35分
http://www.asahi.com/articles/ASG9V316KG9VULFA005.html

世界的に知られた理論経済学者で、公害や地球環境問題にも積極的な発言を続けた東京大名誉教授の宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)さんが18日、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内で死去していたことがわかった。86歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は妻浩子さん。
鳥取県生まれ。東京大理学部数学科を卒業後、経済専攻に転じた。1956年に渡米し、スタンフォード大準教授やシカゴ大教授などを歴任。市場に任せる新古典派の成長理論をベースにした数理経済学者として活躍した。
消費財と投資財をつくる部門がそれぞれどのような過程を経て資本蓄積がなされるかを考察した「2部門経済成長モデル」などの研究で評価された。

ベトナム戦争に深入りする米国への批判から、68年に帰国。翌年、東大経済学部教授に就いた。74年に都市開発や環境問題への疑問を提起した「自動車の社会的費用」を発表。環境や医療、福祉、教育などで構成する「社会的共通資本」の整備の必要性を説いた。
東大を定年退職後は新潟大、中央大を経て同志社大社会的共通資本研究センター長に。ノーベル賞受賞者らが名を連ねる国際学会エコノメトリック・ソサエティーの会長や、理論・計量経済学会(現・日本経済学会)の会長も務めた。
83年に文化功労者、97年に文化勲章を受章した。ノーベル経済学賞の候補としても長年、名前が挙がり続けた。
地球環境問題の啓発に力を注いだほか、93年に設立された「成田空港問題円卓会議」のメンバーとして国と農家の調停役を引き受けた。
2000年代前半には「脱ダム」政策を掲げた田中康夫・長野県知事(当時)の諮問委員会に参加。環境税や旧住宅金融専門会社(住専)問題、教育、医療制度のあり方でも積極的に発言した。

「近代経済学の転換」「地球温暖化の経済学」など多数の著書がある。

***

宇沢弘文東大名誉教授が死去 経済成長論で先駆的業績
日経新聞 2014/9/26 1:30
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGH2500O_V20C14A9MM8000/

日本の理論経済学の第一人者で、文化勲章を受章した東京大学名誉教授の宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)氏が18日、肺炎のため東京都内で死去していたことが明らかになった。86歳だった。既に密葬を済ませている。

1951年、東京大学理学部卒業と同時に特別研究生となり、経済学の研究を始めた。後にノーベル経済学賞を受賞した世界的な経済学者、ケネス・アロー氏の招きで56年に渡米、スタンフォード大助教授やシカゴ大教授などを歴任した。68年に帰国し、翌年、東大経済学部教授に就任した。
得意の数学をいかして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた。経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良。理論の適用範囲を広げ、後続の研究者に大きな影響を与えた。その業績の大きさからノーベル経済学賞を受賞する可能性が取りざたされたこともある。

70年代に入ってからは研究の方向性が大きく変化した。ベストセラーになった「自動車の社会的費用」(74年刊)では、交通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、大きな話題を集めた。地球温暖化をはじめとする社会問題にも積極的に取り組み、発言・行動する経済学者としても知られていた。
83年に文化功労者、89年に日本学士院会員に選ばれ、97年に文化勲章を受章した。「近代経済学の転換」「経済動学の理論」など多数の著書がある。2002年3月には日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。

***

故宇沢弘文氏、公害など社会問題批判 多分野に「門下生」
日経新聞 2014/9/26 1:30
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC2500E_V20C14A9EE8000/

宇沢弘文氏は経済学者として海外でもその名を知られ、ノーベル経済学賞の有力候補として期待された数少ない日本人だった。理論経済学で大きな業績を残した一方で、持ち前の批判精神から1970年代以降は一貫して「人間性の回復」を訴え、行動し続けた。
宇沢氏が経済学者として頭角を現したのは、50年代後半から60年代にかけての米国時代。初期の業績は、市場による調整機能を重視する「新古典派」理論に基づく成長理論。同氏の名を冠した「宇沢2部門成長モデル」という専門用語ができたほどで、発展途上国の支援策を検討する際などに幅広く利用され、新興国の台頭を陰で支えた。
しかし帰国して間もなく、研究対象を公害問題や環境問題に移した。74年に出版した「自動車の社会的費用」は大きな反響を呼んだ。熊本県・水俣などの公害現場に何度も足を運んだほか、成田空港問題でも円卓会議の座長として国と農家の和解に向けて努力した。

自らの思想信条へのこだわりと、フットワークの良さも人並みはずれていた。日本のどこかで公害問題が起きていると聞けば、リュック一つ背負って直ちに現地に飛び、実地調査する生活を続けた時期もあった。
また、学校、病院といった社会的インフラから自然環境までを包含する「社会的共通資本」という概念の重要性を提唱。環境、教育、医療などについても積極的に発言した。地球温暖化を防ぐため、二酸化炭素の排出1トンあたりの税率を1人あたり国民所得に比例させる「比例的炭素税」の導入などを提言した。

功績は経済理論の構築にとどまらない。教育者としての影響の大きさはよく知られている。2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大学教授をはじめ世界中の様々な分野で「門下生」が活躍している。
日本に戻ってからの教え子では、岩井克人・国際基督教大学客員教授が代表格。40歳代の若手も含め、日本で活躍する経済学者の多くが宇沢氏の薫陶を受けた。
(経済解説部 松林薫)

***

訃報:宇沢弘文さん86歳=経済学者、消費社会を批判
毎日新聞 2014年09月26日 02時31分(最終更新 09月26日 09時29分)
http://mainichi.jp/select/news/20140926k0000m040147000c.html

東大名誉教授で世界的な経済学者である宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)さんが18日、肺炎のため死去した。86歳だった。葬儀は親族で営んだ。喪主は妻浩子(ひろこ)さん。

1951年東大理学部数学科卒。経済学に転じ、56年に渡米、58年に米スタンフォード大経済学部助手となり、のち助教授、准教授。カリフォルニア大経済学部助教授、シカゴ大教授を経て、69年から東大経済学部教授。80?82年に学部長を務める。
83年に文化功労者、97年に文化勲章受章。数理経済学の分野で多くの実績を上げ、新古典派経済学の発展に大きな影響を与えた。

しかし、70年代以降は市場原理優先の新古典派理論を批判する立場に転換。環境保全への視点から生産、消費優先の先進国の在り方に疑問を呈してきた。二酸化炭素の排出に対し、国民所得に比例した「炭素税」を各国に課すことも提案。東大教授時代は、電車や車を使わず、自宅からジョギングで通っていた。
一時は、ノーベル経済学賞に最も近い日本人学者といわれた。

東日本大震災直後の2011年3月21日、脳梗塞(こうそく)で倒れ、その後、自宅などでリハビリを続けていた。
主要著書に「近代経済学の再検討」「自動車の社会的費用」「地球温暖化の経済学」「社会的共通資本」などがある。

***

宇沢弘文さん死去:数理経済学で実績 温暖化防止訴えも
毎日新聞 2014年09月26日 07時10分
http://mainichi.jp/select/news/20140926k0000m040145000c.html

18日に亡くなった文化勲章受章者の宇沢弘文・東大名誉教授は、マクロ、ミクロ両経済学の分野で先駆的な業績を上げ、世界計量経済学会会長を務めるなど、世界的な経済学者として活躍した。
同時に環境破壊など現代文明に対する鋭い批判者としても知られ、地球温暖化防止などを訴え続けた。

宇沢さんは1951年に東大理学部数学科を卒業。生命保険会社に一時勤務したが、経済学に転じ、渡米。スタンフォード大で助教授、准教授を歴任。カリフォルニア大経済学部助教授、シカゴ大教授を経て、69年から東大経済学部教授となった。
50年代から70年代にかけ、数理経済学の分野で数多くの実績を上げた。特に高い評価を受けたのは、消費財と資本財の2部門の成長モデルの構築。農業と工業が成長を遂げるため、土地、資本、労働など生産要素が部門間でどう移動すればいいかを理論的に実証した。

しかし70年代以降は、次第に市場原理を優先する現代新古典派理論に疑問を抱き、同理論を激しく批判する立場をとった。公害など環境問題に対応できていないという不満からだった。地球温暖化など環境問題への発言は多く、生産、消費優先の先進工業国のあり方に疑問を投げかけた。
90年8月には、毎日新聞のインタビューに対し、「石油、石炭をふんだんに消費し、環境保護の費用を出し惜しんできた工業文明のツケが、今、私たちに回ってきている」とし、「将来の世代と開発途上国に負担を肩代わりさせないよう、生産、消費のコストに温暖化を減らす費用を急ぎ組み込まねばなりません」と語った。
当時、宇沢さんが提唱した「炭素税(カーボン・タックス)」を世界各国に課すというアイデアは、その税収で大気安定化国際基金を設け、発展途上国の森林作りなどに役立てるという狙いだった。そうした環境面での国際貢献で日本が先頭に立つよう、強く訴えた。

企業活動と環境保全をどう両立させるかについて、宇沢さんは「経済成長率が高いということは、地球の温暖化や日本の経済摩擦のような好ましくない問題を引き起こす。本来なら経済成長率は低いほど望ましい」とさえ述べていた。
97年に地球温暖化防止に向け、京都議定書が締結され、先進国が温室効果ガス削減目標を定めたが、日本で官民による環境保全の流れを作る上で、宇沢さんの主張は大きな影響を及ぼした。
近年は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の反対運動に携わり、日本の農業保護などを訴えていた。